(7)
その夜、久々に夢を見た。
しかし、電車に乗る夢ではなかった。
松山さんと彼女の夢だった。
二人はプチケーキセットを前にジャンケンをしていた。
松山さんがグーを出し、彼女はパーだった。
松山さんが天を仰ぐと、彼女が勝ち誇ったように両手で拳を握った。
そして、ど・れ・に・し・よ・う・か・な、と指差しながら10個のプチケーキを品定めし始めたが、「これ!」とハート型のチョコレートケーキを手に取った。
「それ狙ってたんだよな~」と松山さんが悔しがると、「ご愁傷様」と彼女が口に入れた。
その途端、恵比須さんのような顔になった。
口福に包まれた彼女が「どうぞ」と手を向けると、松山さんは残りの9個を舐めるように見回してから、「これだ!」と花びらを模ったオレンジ色のケーキを手に取った。
半分口に入れたところで視線を彼女に向けて、グイっと顔を突きだした。
すると彼女は一瞬驚いたような表情になったが、すぐに嬉しそうに笑って松山さんの口から出ているケーキをくわえた。
そして少しずつ食べて二人の唇が合わさると、そのままじっと動かなくなった。
少しして二人の口が動き始めた。
でも、唇は離さなかった。
キスを続けながら甘い時間が過ぎていった。
場面が変わった。
二人はベッドの中にいた。
長い長いキスを交わしたあと「あなたと結婚したら『松山伊代』になるのね」と彼女が言うと、頷いた松山さんが真剣な眼差しで、「君の名前を知った瞬間に運命の人だと思った。〈まつやま〉と〈いよ〉は切っても切れない仲だからね」と返した。
するとハッとしたような表情になった彼女は、「そっかー。ほんとね。〈まつやまいよ〉って運命に導かれた名前なんだ~」と何かを考える表情になった。
「ねえ、名前の漢字変えようか」
「どういうこと?」
「『伊代』を『伊予』に変えるの。『松山伊予』だったら完璧でしょ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて松山さんの鼻にチュッとすると、松山さんはうっとりとした目で彼女を見つめて抱き寄せた。
彼の唇が彼女の唇から頬へ、そして耳たぶから耳の中心部へと移り、唇を耳に埋めたままくすぐるように囁いた。
「君って最高だね」
*
目が覚めてから、松山さんが遺してくれたCDをラジカセにセットした。
レッド・ツェッペリンの『Ⅳ』というアルバムだった。
バンド名もアルバム名も記されていないから『Ⅳ』というのは俗称でしかなかったが、いつしかその名で呼ばれるようになったということと、全世界で何千万枚も売れた大ヒットアルバムということをネットで検索して知った。
表紙のデザインがとても印象的だった。
剥がれかけている壁に1枚の油絵が掛けられていて、そこには大きな薪を背負った老人の姿が描かれている。
その腰は90度近くに曲がっており、薪の重さに耐えかねるように杖を両手で持って体を支えている。
この絵は何を意味するのだろうか?
その表情からは希望というものが感じられなかった。
しかし、絶望でもないように思えた。
とすると……、
思い浮かんだのは〈諦め〉という言葉だった。
改めて老人の顔を見ると、悲しそうでも苦しそうでもなかった。
間違いなく諦めの表情だと思うと、その老人の顔から目が離せなくなった。
耳の中にはハードなロックが響いていたが、その違和感に心が押しつぶされそうになった時、突然曲が変わった。
生ギターのアルペジオに導かれるように『Stairway to Heaven』が始まった。
その音色は老人の運命を暗示するかのような哀しげな響きだったが、ロバート・プラントが歌い始めると、運命を受け入れたような穏やかな表情で階段を上っていく彼女の姿が目の前に浮かんできた。