(3)→1980年
「心配させるなよ!」
窓際の席に松山さんが座っていた。
ヤキモキしていたと口を尖らせた。
「すみません。なかなか眠れなかったので……」
芋焼酎臭い息を吐きながら謝った。
すると、無理矢理機嫌を直すように「んん」と喉を鳴らしてから、「まあ座れよ」と隣の席を指差した。
座った途端、松山さんが顎をしゃくった。
その先に目をやると、ドア上部のディスプレーが見えたが、そこに行き先名は表示されていなかった。
本来なら〈1973年駅行き〉と表示されているはずなのに、ただ並んだドットが点滅しているだけだった。
「おかしいですね~」
どこに連れていかれるのかわからないという不安が湧いてきた。
「これって、行き先がまだ決まっていないということだよな」
松山さんの声も不安そうだった。
「まさか電車を間違えたわけじゃないだろうな」
「どういうことですか」
「過去行きではなく未来行きへ乗ってしまったとか」
「そんなことは……」
ないとは言えなかった。
何処へ行くかは電車が決めるからだ。
乗客が決められるわけではない。
わたしは彼と目を合わせて固まった。
その時、
「うわっ!」
急に電車が走り出したと思ったら、いきなり連結部のドアが開いて異様なものが現れた。顔の部分がディスプレーになっていて、体部の脇にアームがあり、足には車輪が4つ付いていた。ロボットだった。
「車掌のロボコンです」
いきなり挨拶された。
「ロボットのコンダクターなのでロボコンと呼ばれています」
訊いてもいないのに説明された。
「ピポパピパピポピパ」
音と共にディスプレーに文字が表示された。
『名演周遊の旅』
ん?
なんだ?
「パパポピポポパピパ」
音と共にロボットの体部からトレイが飛び出してきた。
「お受け取り下さい」
見ると、チケットのようなものが2枚乗っていた。
手に取ると、ディスプレーと同じことが書いてあった。『名演周遊の旅』
「ロックの名演奏を巡る旅にご招待します。但し、どこに行くかは誰にもわかりません。それに、各会場で聴けるのは1曲だけです」
えっ、どういうこと?
「1曲聴き終わる直前にこのチケットに手を置いて、目を瞑って『ロボコン』と心の中で叫んでください。そうすればこの電車に戻ることができます」
ん?
「もし2曲目を聴いてしまったらこの電車に戻ることはできません。つまり、他の会場に行くことも、現実の世界に戻ることもできないことになるのです」
んん?
「よく理解されていないようですのでもう一度だけ言います。耳をかっぽじってよ~く聞いてください」
わたしたちが聞く体制を取れるようにするためか、一呼吸置いてから喋り出した。
「これからロックの名演奏に接する旅が始まります。但し、一つの会場で聴ける曲は1曲と決まっています。ですから、1曲が終わる直前に、このチケットに手を置いて、目を瞑って、『ロボコン』と心の中で叫んでください。そうすればこの電車に戻って次の会場へ行くことができます。しかし、もし2曲目を聴いてしまったら二度とこの電車に戻ることはできません。そうなると別の会場へ移動することも、現実の世界に戻ることもできなくなります。ドゥー・ユー・アンダースタンド?」
なんで急に英語になるの? と首を傾げていたら、松山さんが「オーケイ。アイ・シー」と英語で返した。
えっ?
そんなに簡単に返事をして大丈夫なの?
ロボコンが言ったことはとてつもなく危険なことなんだけど本当に理解しているの?
わたしは不安になって松山さんに確認の視線を向けた。
しかし彼は安易に頷いてから、ニヤニヤしながらチケットに目を落として、口笛を吹き始めた。
レッド・ツェッペリンの公演会場に連れて行ってくれるのをワクワクしながら待っているような感じだった。
その姿を見て益々不安になったわたしはロボコンに向き合った。
「いくつか確認させてもらいたいのですが」
「パピパピパパパパパ」
遮るように電子音が鳴った。
返事は返ってこなかった。
その代わりにディスプレーに文字が表示された。
『説明終了。これにて後免』
呆気に取られていると、連結部のドアが開いて、ロボコンが車両から出ていった。
ドアが閉まるのを茫然と見ていたが、閉まりきった時、ドア上部のディスプレーの点滅が消えて文字が表示された。
しかし、それは松山さんが待ち望んだ駅ではなかった。
表示されていたのは『1980年駅行き』という文字だった。
*
なにがあるんだろう、と考えているうちに電車が止まった。
ドアが開いたので松山さんと二人で電車の外に出た。
本人確認終了が無事終わって改札を抜けると、目の前に階段が見えた。
しかし、急な階段だった。
なのに、手すりがなかった。
落ちないように一歩一歩慎重に上がっていった。
一番上に辿り着くと、『1980年7月29日へようこそ』と書かれている扉が見えた。
それを抜けると、また扉が見えた。
『サンタモニカへようこそ』と書かれていた。
サンタモニカ?
それって、どこだ?
頭の中に世界地図を広げたが、その地名を見出すことはできなかった。
松山さんはどうだろう?
視線を向けると、ブツブツ言ってるのが聞こえてきた。
「カリフォルニアか~、ということは、もしかして、あいつらのコンサートか?」
何か知っているようだった。
「サンタモニカって、どこですか?」
「州で言うとカリフォルニア。郡で言うとロサンゼルス。その西部にある海辺のリゾート地だよ」
それで頭の中の地図に大体の位置がプロットされたが、それが意味することは何もわからなかった。
「で、さっき、〈あいつらのコンサートか?〉って言いましたよね。あいつらって誰のことですか?」
「カリフォルニアと聞いて何か思い浮かばないか?」
カリフォルニア*ロック=?
頭を捻っても何も思い浮かばなかった。
両手を広げるしかなかった。
「そのうちわかるよ」
少し口角を上げた松山さんが扉を押して中に入った。
その途端、大歓声が聞こえた。
大きな会場の中は人、人、人で埋め尽くされていた。
圧倒されて見ていると、手に持ったチケットが光った。
見ると、座席番号が表示されていた。
なんと最前列の中央席だった。
その席に座ってドキドキしながら開演を待った。
*
しばらくすると、照明が消えた。
真っ暗な中、イントロが聞こえてきた。
アコースティックギターの音色だった。
ワンフレーズだけで大歓声が沸き起こった。
更に、ドラマーにスポットライトが当たって歌が始まると、歓声が一層高まった。
誰もが知るあの名曲だった。
『ホテル・カリフォルニア』
演奏しているのはイーグルスだった。
ドン・ヘンリーのハスキーヴォイスに絡むハイトーンのコーラスが美しい。
そして、あのギターソロが始まった。
ドン・フェルダーに続いてジョー・ウォルシュが弾き始めると、鳥肌が立ってきた。
それほどスリリングな演奏だった。
エンディングに雪崩れ込んだ。
ロック史上最高に美しいと言われるギターアンサンブルが始まった。
ツインリードギターのハーモニーが素晴らしい。
松山さんはあんぐりと口を開けて聴き入っていた。
わたしもウットリと聴き惚れていたが、その時、ロボコンの姿がふと思い浮かんだ。
アッ、ヤバイ!
もうすぐ曲が終わりそうだ。
その前にあれをしなければ大変なことになる、
わたしは松山さんの腕を掴んで大きく揺さぶった。
彼を正気に戻さなければならないのだ。
それも早急に。
もう一度大きく揺さぶった。
「チケットに手を置いて!」
わたしは松山さんの耳元で叫んだ。
すると彼はアッというような顔になって、正気に戻った。
松山さんが目を瞑ったのを確認してわたしも目を瞑り、「ロボコン」と心の中で叫んだ。
その瞬間、電車の中に戻った。