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再び8月26日(1)

 

 目が覚めると、当然ながら布団の中にいた。

 すぐに起きようとしたが、何かとてもしんどくて、二度寝、三度寝をしてしまった。

 それでも疲れは取れなかった。

 一気に500年以上時代を(さかのぼ)ったせいだろうか? 

 それとも光速移動をしたせいだろうか? 

 よくわからないが、今まで経験したことのないだるさが纏わりついていた。

 なので、起きてテレビを見る気にもなれず、横になったままスマホをいじくっていた。


 すると、『コロナの影響で生命保険の解約が急増』というニュースが目に飛び込んできた。

 中小企業の経営者が解約しているのだという。

 手元資金の確保が理由らしい。

 資金繰りが大変なんだろう。

 先の見えない暗闇を手さぐりで歩いているような状態だし、それがいつ終わるかわからないから、できる限りの現ナマを手元に置いておきたいという気持ちはよくわかった。

 と共に、彼らの不安はどれほどなのだろうと心配した。

 事業運営に行き詰まった経営者の辿る道は悲惨なことが多いからだ。

 破産→一家離散→自殺という悪循環に陥ることも稀ではない。

 そんなことを考えていると無茶苦茶やるせなくなってきた。

 見ていたニュースサイトを×ボタンで消した。


 何もしないうちに夜になった。

 食欲はなかったが、仕事に行く前に何か腹に入れておかなければ体が持たない。

 お湯を沸かして、カップラーメンに注いで、3分待った。

 スープはできるだけ飲まないようにして麺だけすすった。

 あっさりした海鮮味を選んだせいか、残さずに食べることができた。


        *


 早めに現場に行って、監督が到着するのを待った。

 高松さんが急に辞めることになったことを伝えなければならない。

 道々考えたが、もっともらしい言い訳は思いつかなかった。

 だから、仕方なく高松さんの案に従った。

 既に亡くなっているご両親にもう一度死んでいただくのだ。

 気は進まなかったが、それ以外に選択肢がないので、どうしようもない。

 顔も知らないご両親に手を合わせて、〈ごめんなさい〉と呟いて許しを請うた。


 そのことを監督に伝えると、眉間に皺が寄った。

 松山さんの件もあったから、胡散臭いと思われたに違いない。

 大きく頭を振っているうちに眉が上がってきた。

 それが我慢ならないというような顔になって、「急に辞められたら人の手配ができないだろう!」と怒声を浴びせられた。


 わたしはただ(うつむ)いて彼の怒りが収まるのを待った。

 それ以外に為すことは何も無かった。

「いい加減にしろ!」という捨て台詞が頭の上を通過するまで自分の靴を見続けていた。


 そんな様子を見ていたのだろう、松山さんが心配そうに声をかけてきた。

 その気持ちは嬉しかったが、「なんでもないですから」と小声で返しただけで持ち場についた。


 その日の休み時間は一人で過ごした。

 松山さんのエッチ話に付き合う気分ではなかったし、一緒にいると高松さんのことを話してしまいそうなので、意識的に距離を置きたかった。

 その後も松山さんから誘いが続いたが、適当なことを言ってやり過ごして朝まで淡々と仕事をこなして家に帰った。


        *


 仕事で疲れているはずなのに、眠気はやってこなかった。

 寝るのを諦めたわたしはスマホを手に取って、二つのキーワードを入力した。

『徳島絵美』と『キュレーター』

 検索ボタンを押せば結果が出てくるのはわかっていたが、何故か躊躇った。

 彼女と、つまり高松さんの妹と繋がりを持つことによって何が起こるのか、

 それが変な方向に自分を連れて行かないのならいいのだが、〈もし抜け出せないような酷いことになったとしたら〉と思うと、指が動かなかった。


 やっぱり寝よう、

 気が進まないことを無理してすることはない、


 検索画面を×ボタンで消して布団に潜り込んだ。


        *


 夢の中に見知らぬ女性がいた。

 芸能人の誰かに似ていると思ったが、思い出せなかった。

 色が白くて、ウエーブのかかったセミロングで、顔はたまご型だった。

 唇はふっくらとして、鼻は高くも低くもなかった。

 はっきりとした二重で、眉は薄くなだらかな曲線を描いていた。

 何処にでもいそうで、実は何処にもいないタイプの女性だった。

 何より、好みの女性だった。

 こんな女性に巡り合って付き合うことができたらどんなに幸せだろう、と思うような理想のタイプだった。


「私を探して」


 彼女がわたしの耳元で囁いた。

 そして耳たぶを甘噛みした。


「君は誰?」


 耳たぶを噛まれながら問いかけた。


「あなたが知っている人」


 わたしは彼女の両肩を持って口を耳たぶから引き離し、真正面から顔を見た。


「君のような人は見たこともない」


「見たことがなくても名前は知っているわ」


 わたしは頭を振った。


「君みたいな素敵な人とは会ったこともないし、名前を聞いたこともない」


「そんなことはないわ。私の名前は知っているはずよ。早く思い出して」


 もう一度彼女の顔をじっくりと見た。

 しかし、何も思い出せなかった。


「もう行かなくっちゃ」


 突然彼女はそう言ってわたしに口づけた。

 マシュマロのような柔らかな唇だった。


 唇を離すと、右の人差し指を突き出すようにした。

 わたしにも同じようにして欲しいと言われたので、右の人差し指を突きだすと、彼女の人差し指の先端がわたしの先端に触れた。

 その瞬間、接触した部分に光が灯った。

 そして温もりを感じた。


「私を探して」


 そう言い残して彼女が消えた。


 わたしは唇に右手の中指を当てた。

 彼女の感触が残っていた。

 甘い余韻が消えることもなくいつまでもわたしを包み込んだ。



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