(2)
工事が終わって終礼が済んだあと、松山さんがわたしに目配せをした。
わたしは少し間隔を空けて松山さんについて行った。
着いた所はビルの2階にあるファミリーレストランだった。
松山さんはさっさと中に入って、一番奥の席に座った。
わたしはその対面に座って周りを見回した。
客はまばらだった。
松山さんは生ビールと豚みぞれ煮朝食を、わたしは生ビールとモーニングハンバーグセットを頼んだ。
ビールをひと口飲んでから、松山さんが辺りを気にしながら小声で話し始めた。
「現実が未来に追いついた途端、俺は布団の中にいた。自分ちの布団だ。電車に乗って現実に帰るもんだとばかり思っていたからびっくりした」
あのカフェで気を失った瞬間、テレポーテーションが起こったような感じだったらしい。
「飛び起きて、すぐにコンビニに行って日経新聞を買った」
コンビニの駐車場で株式欄を開いたという。
「未来で見た株価と現実の株価を比べてみようとしたんだが……」
未来で見た株価の記憶は完全に消えていたらしい。
「あんなに必死になって覚えたのに、まったく思い出せないんだ」
両手で抱えて頭を揺さぶるようにした。
「どんなに頭を揺すっても思い出せない。どんなに気持ちを集中しても思い出せないんだ」
「25日の記憶がすべて消えているということですか?」
松山さんは大きく首を横に振った。
「いや、株価だけだ。他の記事の記憶は残っていた。ほとんどのことを思い出すことができたし、現実の新聞にも同じことが載っていた」
松山さんは一気に生ビールを飲み干して、お代わりを頼んだ。
「カフェでの記憶も残っているし、駅の改札口で〈情報漏洩〉と表示されたのも覚えている。株価以外はすべて記憶に残っているんだ」
松山さんは狐につままれたような表情になった。
「まっ、考えたってわかりっこないんだけど、誰かの意志によって株価の記憶が消されたんだろうな」
わたしもそう思った。
「松山さんが悪いことできないように、なんらかの力が働いたのかもしれませんね」
二人で目を合わせて頷き合った。
「まあ、帰ってこられただけで良しとしないとな」
「そうですよ。もしかしたら現実の世界に二度と戻って来られなかったかもしれないんですから」
「確かに」
そう言って2杯目の生ビールをゴクゴクと飲み干した。
「お帰りなさい」
わたしは自分の生ビールを半分松山さんのジョッキに注いで、カチンと合わせた。
「ありがとう」
飲もうとして松山さんがジョッキを口に持っていったが、急に止めた。
「現場監督の件もありがとな」
申し訳なさそうにコチンとジョッキを合わせて、今度は飲み干した。
「なんとか、うまくいって良かったです」
わたしも生ビールを飲み干した。
すると、それを待っていたかのように、豚みぞれ煮朝食とモーニングハンバーグセットが運ばれてきた。二人で黙々と食べた。
食べ終わってレジ前に立つと、お礼だと言って松山さんが奢ってくれた。
そして、「これからもよろしくな」と右手を上げたあと、背を向けて歩き出した。
*
家に帰って寝る支度をしたが、布団の中に入ってもなかなか睡魔が迎えに来てくれなかった。
松山さんが戻ってきたことに安堵したので気が楽になったはずだが、まったく眠くならないのだ。
仕方なく禁じ手を使うことにした。
寝酒だ。
体に悪いことはわかっているが、このまま悶々とするわけにもいかない。
〈仕方がない、仕方がない〉と言い訳をしながらワンカップの酒を飲んだ。
三分の二ほど飲むと、小さなあくびが出た。
同時に高松さんから聞いた話が蘇ってきた。
もしかしたら眠れないのはそのせいかもしれなかった。
彼のことがずっと気にかかっていたのだと思い至った。
夢が破れてどん底に落ち込んで大変な人生だったんだろうなと思うと、高松さんの辛そうな顔が浮かんできた。
それは二度と見たくないものだったので、なんとしてでも夢を叶えてあげたいという気持ちが沸々と湧き出してきた。
すると、あのとき彼の後姿に向けて心の中でかけた言葉が蘇ってきた。
「夢見れば叶う」
それを心の中で反芻しながら、カップに残った酒を一気に飲み干した。
それが喉から胃へ落ちていくと体が温かくなり、それと共に大きなあくびが立て続けに出た。
睡魔がお迎えに来たようだった。
布団に入って目を瞑ったら、すぐに夢という形の中に誘われた。