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(2)

 

 2回目の休憩時もまったく同じ席に高松さんと並んで座った。

 わたしは〈パンプキンサラダとクリームチーズサンドイッチ〉を、高松さんは〈熟成サバおむすび〉を手にしていた。


「高松さんが画家になろうと思ったのはいつ頃ですか?」


 彼は口の中のおむすびを飲み込んだあと、目だけをわたしの方に動かした。


「小さい頃から」


「というと、」


「物心ついた頃から」


「へ~、そうなんだ~」


 それが何歳くらいの頃なのか漠然としていたのでいい加減な相槌を打ったが、高松さんは丁寧に説明してくれた。


 彼の父親と母親は同い年で、共に京都の美術大学に通っており、21歳の時、学生結婚をした。

 その理由は妊娠で、お腹の中に高松さんができたからだ。

 事情があって結婚式を挙げられなかったが、高松さんが生まれる直前に籍を入れ、と同時に父親は学校を辞めて画材を卸す会社に就職した。

 母親は休学して、育児をしながら家で出来る内職をして家計を支えたという。


「貧しい暮らしだったらしいけど、私の存在が家を明るくしてくれたとオフクロがいつも言ってたよ。元気でやんちゃで好奇心が強くて、面白いことばかりしていたらしい。それに、よく泣いて、よく笑って、とても賑やかだったそうだ。そんな私の似顔絵を二人がよく描いたみたいで、写真の数に負けないくらいのスケッチが残っている。画家を目指していた二人だから当然といえば当然だけどね。そんな家庭環境で育ったせいで、こんなちっちゃい(・・・・・)頃から絵を描くことが大好きだったらしい。目を離すと、すぐに(ふすま)障子(しょうじ)にも落書きするので、それを止めさせるのが大変だったようだよ」


 それでも怒られることはなく、特に物心がついてからはどんな絵を描いても両親が褒めてくれるので、益々好きになって、どんどんうまくなっていったと笑った。


「幼稚園でハナマルを貰ってくるたびに大喜びされて、『お前は天才だ、天才だ』と言われるから、私もその気になって益々はまっていったんだよ」


 小学校に上がってからは多くのコンテストで優勝して、賞状やトロフィーが家中に溢れたという。


「当然のように画家を目指すようになるし、両親も自分たちの果たせなかった夢を私に託したいと思っていたから、中学に入った時には美大へ行くことが既定路線になっていて、それ以外の道は考えたこともなかった」


 それまで画材を卸す会社に勤めていた父親は、高松さんが高校に入学すると同時に独立して、自分の店を持ったのだという。


「オヤジが画材を扱う店を始めたから、欲しいものをなんでも手に入れることができて、好きなだけ絵を描くことができた」


 高校2年生の時に全日本学生美術展で審査員推奨作品に選ばれたこともあり、高校の美術部では部長を務めたという。


「現役で美大に合格して、3年生の時には全日本学生油絵コンクールで入賞して、さあこれからという時だったんだ」


 父親が友人の連帯保証人になって、事業を畳まざるを得なくなったのだと唇を噛んだ。


「オフクロはハンコを押すのを止めたらしいけど、オヤジは『大丈夫、大丈夫』と言ってきかなかったらしい」


 自分が知っていたら強く止めたのに、とまた唇を噛んだ。


「人がいいのも限度があるよね」


 力なく何度も首を横に振ったが、「もう止めよう、こんな話」とスパッと切って、残りのサバむすびを口に放り込んでトイレに立った。


 しかし、その後姿は無念に覆われているように見えた。

 なんか悪いことを訊いてしまったと後悔したが、後の祭りだった。

 この話はもう二度と持ち出さないようにしようと心に決めた。


        *


 3回目の休憩時、つまり、その日の最後の休憩は別々に過ごした。高松さんは道路脇のベンチで、わたしは使われていない工事車両のシートでただ腰を下ろして体を休めた。なんとなくそうする方がいいような気が、お互いにしたからだと思う。


 それでも、仕事が終わった時、このまま終わらせたらダメだと思い、高松さんを誘って食事に行った。

 美味いと評判の焼鳥屋だった。

 普段はこんな時間に開いていることはないのだが、東京都の時短要請を受けて朝5時からの営業に変更になっていた。


 中を|(のぞ)くと、予想に反して客で賑わっていた。

 自分たちのように夜勤明けの人が多いのかもしれない。

 それでもテーブルが一つとカウンターが3席空いていたので、入ることにした。


 入ると、店の人がテーブルを指差したが、それを断って、カウンターに座った。

 対面に座るよりは隣同士の方がいいと思ったからだ。


 生ビールと焼き鳥の盛り合わせを頼んだあと、仕事中とはまったく違う話題を振った。


「高松さんは未来へ行ってみたいですか?」


「未来?」


「ええ。もし行けるとしたら、ですが」


 すると、「未来ね~」と呟いてからビールをグビッと飲んで、「未来より過去の方がいいかな~」と思案するような表情になり、 運ばれてきた串の中からキモを取ってひと口食べると、「うん、過去だな。絶対過去」と大きく頷いた。


「若い頃に戻りたいのですか?」


 皮を頬張りながらもぐもぐと訊くと、「いや、そんな近い過去じゃないよ」と高松さんはハツを食べながらもぐもぐと返してきた。


「遠い過去ですか? もしかして生まれる前とか」


「いや、自分の過去や前世には興味がない」


 わたしはネギマに伸ばしていた手を止めた。


「言っている意味がわからないんですけど」


 彼は残りのハツを全部口に入れて、ニヤッと笑った。


「中世のヨーロッパに行ってみたいんだよ」


「中世?」


 ネギマを頬張ったまま素っ頓狂な声を発してしまった。


「そんな声出すなよ」


 高松さんが周りを気にしながら声を抑えるようにと目配せした。


「いや、余りにも突拍子のないことを言うから……」


 言い訳をしながらネギマを飲み込むと、「ルネサンス時代のフィレンツェに行きたいんだよ。現代美術も嫌いじゃないけど、なんといっても絵はルネサンス期のものが最高だと思うんだよね。ダ・ヴィンチだろ、ミケランジェロだろ、ラファエッロだろ、ボッティチェリだろ、ティツィアーノだろ、凄い画家ばかりだよね。私は彼らと一緒に絵を描きたいんだよ」と目を輝かせた。


 言っていることがよくわからなかった。

 発言の内容はわたしの理解を超えていた。


「特にラファエッロは大好きなんだよね。『小椅子の聖母』は稀にみる傑作だと思うよ」


 高松さんは一人で合点して言葉を継いだ。


「彼は17歳で親方になるほどの腕前だったんだけど、その才能が本格的に花開いたのはフィレンツェへ行ってからなんだ。そこで、ダ・ヴィンチやミケランジェロから多くを学んだらしいんだ。それはまだ20歳そこそこの頃なんだけど、その当時のラファエッロに会いたいんだよ。そして、弟子にしてもらいたいんだ」


「弟子、ですか?」


 彼は大きく頷いて、真剣な眼差しをわたしに向けた。


「弟子になって、それからローマへついて行って、『アテネの学堂』を一緒に描きたいんだ」


 フィレンツェに行って、弟子になって、ローマで何を描きたいって? 


 頭の中がごちゃごちゃしてきたので、〈んん〉と喉を鳴らして高松さんの話を止めた。


「話の流れがよくわからないんで、もう少しわかるように話してもらえませんか?」


 すると彼は目を大きく開けてわたしを見つめたあと、ゴメンというように右目を瞑って右手をその前に立てた。


「先ずは冷めないうちに串を平らげよう。それからゆっくり話すよ」


 高松さんはつくね(・・・)ぼんじり(・・・・)を小皿に取った。

 わたしはささみ(・・・)玉ひも(・・・)に手を伸ばした。

 そして、手羽を一つずつ食べて、ビールを飲み干した。


「次は芋のお湯割りにするけど、今仁君は何にする?」


 わたしは梅干し入りの麦焼酎お湯割りにした。


「なんか一人で突っ走っちゃって悪かったな。色々あってさ。良いことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも、いろんな事がごちゃごちゃしててさ。そんな中で現実逃避をすることも多くてさ。妄想の塊になったりしてさ。そんなんだから、聞いている方は訳わかんないよな」


 気を落ち着かせるように水を頼んで、それを一気に飲み干した。

 そして、先程とは打って変わって落ち着いた口調で話し始めた。



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