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(8)→8月25日

 

「新聞を持ち出すことができないんだよ。というよりも、過去に影響を与える重要な情報が持ち出せないようになっているんだと思う。それに……」


 松山さんの顔が思い切り曇った。


「俺はしばらく帰れない」


 現実の日付が8月25日にならないと帰れないのだという。


「未来の株価を知ってしまったから足止めを食らわされているんだと思う」


 新聞を持たずに改札口へ行ったところ、ディスプレーに〈情報漏洩〉という文字が表示されて入場を拒否されたのだという。


「悪いことができないようになっているんだよ」


 松山さんが大きなため息をついた。


「でも、それならあの時、わたしも帰れなかったはずです」


 9月17日駅に行ったことを打ち明けた。

 そして、安倍さんが辞めて菅内閣が発足したことを知っていることも話した。

 こんな重要なことを知っている人間が帰れたのだから松山さんが帰れないのはおかしいと訴えた。


「なるほどな~、菅さんが総理大臣になるのか。そうか、菅さんか~」


「そうなんですよ。凄いことを知っているでしょ。なのにわたしは帰れたんです。だから」


 最後まで言う前に松山さんが口を挟んだ。


「ビーちゃんはその情報を悪用しようと思ったか? 誰かに話そうと思ったか?」


 わたしは大きく頭を振った。


「そうだろ。その情報を悪用しようと思わなかったから帰れたんだよ。でも、俺の場合は違う。未来の株価を悪用して儲けようとしていた。だから帰れないんだ」


 そして、〈よく聞け〉というようにわたしの両肩を掴んで、鋭い視線を向けた。


「俺と同じ間違いをするな。未来を悪用しようと思うな。今すぐ帰るんだ。株式欄を見ずに帰るんだ。いいな、余計なことをしないで今すぐ帰れ」


 しかし、同意したくなかった。

 せっかく来れたのに、手ぶらで帰りたくなかった。

 あの3社の株価を見てから帰りたかった。

 だから当然のように新聞を開こうとした。

 その瞬間、松山さんが新聞を叩き落とした。

 そして、両足で踏んでぐちゃぐちゃにした。


「冗談で言ってるんじゃないんだ。真剣に聞け!」


 鬼のような形相だった。


「ビーちゃん、俺の目を見ろ!」


 再び両肩を掴まれた。

 瞳の中に怒りの炎が揺らめいているように見えた。


「未来を甘く見ちゃいかん! 未来を利用しようとしてはいかん!」


 しばらくわたしの目を刺すように見ていたが、少し目元が緩んだと思ったら、両肩を強く掴んでいた手から力が抜けた。すると、怒りの炎が説得のさざ波に変わった。


「ビーちゃん、俺はさっき25日になったら帰れると言ったけど、それだって確かではないんだ。俺の希望的観測でしかないんだ。もしかしたら永遠に帰れないかもしれないんだ。このカフェで飲まず食わずのままこの新聞を読むだけの日が永遠に続くかもしれないんだ。お前もそうなりたいのか? なりたくないだろ。だったら真剣に俺の言うことを聞いてくれ。頼む」


 声は哀願調になっていたが、ノーと言わせない強さがあった。


 わたしはぐちゃぐちゃになった新聞に目を落とした。

 その途端、3社の株価が載っているところを破り取って持ち帰りたいという衝動にかられた。

 しかし、そんなことができるはずはなかった。

 体を張った松山さんの説得を無視するわけにはいかなかった。

 未練を無理矢理断ち切った。


「わかりました。松山さんの言う通りにします。株価を見ずに帰ります」


 すると彼の頭が大きな息と共にガクッと落ち、肩から両手が離れた。


 顔を上げた松山さんがフッと笑ってわたしの背中に右手を置き、軽く押した。

 わたしがドアの前に立つと、スーッと開いたので外へ出た。

 そして、駅の改札口へ向かった。


 松山さんが改札口の前に立った。

 その瞬間、ディスプレーに〈情報漏洩〉という文字が表示された。

 改札は閉まったままだった。


 入れ替わってわたしが改札口に立った。

 すると、来た時と同じように顔認証と指紋認証と遺伝子認証をされたあと、〈本人確認終了〉の文字がディスプレーに表示されて、改札ドアが自動で開いた。

 なんの問題もなくプラットホームに入ることができたのでホッとして振り返ると、「25日になったら現実の世界に戻れるかもしれないから、24日まで休むと現場監督に伝えてくれ。そうだな、宇和島の親戚が急病になったとでも言っといてくれ。頼んだぞ」と松山さんが両手を合わせた。

 わたしは頷いて、「必ず帰って来て下さい」と告げて、電車の方へ歩き出した。


 電車のドアの前で立ち止まって、振り返った。

 しかし、松山さんの姿はなかった。


 カフェに戻って、あのぐちゃぐちゃになった新聞を丁寧に伸ばして読み直すんだろうか? 


 でも、それ以上は想像しないことにした。

 自分が帰ることだけに意識を集中させた。


 車内に入って、席に座って、ディスプレーを見上げると、『8月20日駅行き』と表示されていた。

 思わず安堵の息が漏れた。

 目を瞑って、電車が動き出すのを待った。



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