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8.鑑定士と黒衣の店主

 名前を呼ばれて思わず振り返ってしまったのは失敗だった。

 なんで名前を知っているのだろう。鑑定士としても名前を知られていないはずなのに。

 そして、なんでついてくるんだろう。

 クリスはできるだけ人目を避けるように、そして、アクレシスから離れるように街中を歩いていた。ヤナに頼ると大事になってしまう。こういうとき、頼れるのは一人だけ。そこに向かうしかない。

 

(本当はこんな形で頼りたくなかったが……)

 

 姿が変わってしまったことは伝えていないが、助けてくれることは確実だった。

 問題のローグはそわそわした動きでクリスを追ってくる。


「何故ついてくるんですか」


「えっと」


 要領を得ない返答にクリスは足を速める。が、そもそも歩幅が違うので、なかなか引き離すことはできない。

 最初に近づいてきたときは、彼があの晩を覚えていて、彼の追っていた鑑定士と現在のクリスが同一人物だとわかっていて、捕まえる気なのだと思っていた。

 しかし、彼は確かにクリスのことを覚えていたようだが、捕まえようとはしていない。

 ただ、妙にそわそわした動きでクリスに質問をしてくるだけだ。行動の意味が解らない。このままでは、年若い少女に付きまとう不審者ではないか。

 これではせっかくの英雄という名声も不審者にすり替わってしまう。後ろからついてくる彼を振り返ると、ローグは視線を逸らす。

 

「……」

 

 意味が解らない。クリスはローグから目をそらして先に進む。


(人の視線が集まりすぎる)


 せめてアクレシスを巻き込まないようにと噴水から離れたが、アクレシスはまだ屋台に並んでいるだろうか。それとも、もう、クリスがいないことに気づいたかもしれない。

 別れがこんな形になるとは思わなかったが、致し方ない。


 王城の周囲を西へ。進んでいくと、徐々に街並みが変わっていく。

 初めにいた噴水広場の周囲は商業活動が多いところだった。今は静かな住宅街が広がっている。

 ローグは不思議そうに見渡している。クリスは速足で進む。


「君は王都に詳しいんだな。こんな狭い道もすいすいと進む」


「……」 


 王都の裏道を進む。

 ローグはそれでもついてくる。さすがだな、クリスは内心でつぶやいた。

 道を知っていても、少しきついというのに。


 王都は古い。この街は建国の王が手ずから設計したという。

 一番古いのは王城、その周囲に徐々に街をつけ重ねていく。

 隠したい場所もあった。それは、街並みに隠した。

 決まった道を通らないとその場所にたどり着けない。ただその周りを歩くだけでは存在に気づくことができない。それが、その場所だった。

 意識しないとその道を選べない。その道を進むのは容易ではないのだ。違和感と不快感、それが意識に及ぼす影響は常人では避けられない。わかっているクリスでも、道がわからなくなりそうになるほど。

 あとをついてくるだけでも、気を抜けば自分がその場で何をしているのかわからなくなるはずなのだ。

 なのに、英雄は周りを見ながら歩く余裕すらある。ということはクリスのような凡人とはまるで桁違いの魔力耐性を持っているということなのだ。

 

 狭い道を通り抜けると、密集した王都の住宅地の中に開けた場所にたどり着く。

 ドアの前には生けられた花々が並んでいた。


「こんなところがあるのか」


 英雄が周囲を見渡しているのをみて、クリスは小さくため息をついた。


「さすがですね」


「何か?」


「何でもないです」


 ここまでついてきてしまったなら仕方がない。あとはあの人に任せるしかない。

 クリスは花屋の開かれた戸を通り、ローグも続いた。


  ◇◇◇

 

 王都にきて、数年。警邏も兼ねて城下はできるだけ歩き回っていたが、この辺りは大まかなことしか知らない。

 問題があまり起きない地区なのだ。

 ローグの知る限り、この地区は旧貴族の邸宅街に近い、もともとは官職に努める中産階級の平民の家がある区域だった。花屋があるなんて、知るわけもなかった。

 

 瑞々しく咲く花々の青、赤、黄色、紫などの色合いに目をやってから、入り込んだ店内を見渡す。

 狭い店内だった。薄暗い玄関口に、カウンター。その奥には住区域があるのだろう。右手の壁側には椅子とカフェテーブル、その奥に本棚があり、本が並べられている。本屋も兼ねているのか。

 

(あれは……)

 

 見覚えのある装丁に視線を向けていると、声が聞こえた。

 

「いらっしゃいませ」


 低くもなく、高くもない。聞き取りやすい声だった。声の聞こえたほうを向くと、薄暗いカウンターの内側に人がいた。

 肩につかないほどの髪。黒い襟の高いシャツに黒いエプロン。見えるはずなのに、妙に表情がわからない。髪の色も、目の色も。

 ただ、声が穏やかで気持ちが凪ぐ。


「貴方は……」


 それはローグの声のはずだ。でも、自分の声には思えないほど遠く聞こえる。


「私は店主です。本が気になりますか?」


「ああ。俺の好きな本がある」


「まぁ、それはうれしい」


 声が華やぐ。なんでだろう、何故うれしいんだろう。いや、そうじゃない、今は違う。


「何が違うんですか?何かお探しですか」


 探しているのではなく、俺は彼女についてきただけで……


「彼女?」

 

 ほらそこに――、あれ?

 

 狭いはずの店内を見渡して、気づく。今まで追っていたクリスはどこにいったのか。

彼女はどこに。


「ふふふ、その子が気になるんですね。どんな子なのか教えて?」


 美しくて、かわいらしい。そして、強い。


「それからそれから?」


 何故かわからないけど惹かれる。それと、


「いいですねぇ、なんだかとても楽しそう。――やだなぁ、少しくらい聞いてもいいでしょう?」


 よく知らない。知りたいと思う。一緒にいたい。

 それと、笑顔がみたい。


「素晴らしい!」


 楽しそうな声に視界がゆがむ。


「大丈夫ですよ、運命が重なるときがあれば、また出会うでしょう。でも、今はあなたの世界にお帰りなさい。ここはあなたの来るべきところではありません、英雄さん」


 床が揺れる。バランスを崩す。いや、違う、自分が倒れていくのか。でも、なんで来るべき場所ではないのだろう。


「それはね、ここが墓所だからですよ」


 こんなに花があるのに?いや、花があるからなのか。


「そうです、必要な人しかここにはたどり着けないものだから。ここにきてまだ意識があるなんてすごいですよ。でも、これでさようならです。では、また逢う日まで」


 最後に聞こえた声は、優しかった。




 ローグは眠りから覚めるように、目が覚めた。


「あれ?」


 足元には地面がある。耳は音を拾うことができる。周囲を見渡し、めまいに額を押さえる。

 ここは噴水広場のすぐ近くの路地裏だ。


「なんで」


 いつのまにか、花屋も、店主も。そして、クリスもいなかった。


   ◇◇◇


 黒衣の店主は振り向いていった。


「不思議なことになっているね、クリス」


「ふがいない」


「別に面白そうだからいいんじゃないかな」


 よくない。クリスはカウンターの下から這い出す。その様子を店主は穏やかな目で見つめていた。

 この場所は店主のいうように墓所であり、店主はその守り人だった。この場所は街を魔法陣と兼ねて作られた場所にあり、その主人である店主はここにいる限り、屋敷の敷地内ではほぼ万能ともいえる力を持つ。

 しかし、魔女でも悪魔でもなくただの人間なのだ。最後に残った大事な友人。


(友人というにはおこがましいが……まぁ、そう、今はただの人、だ)


 クリスが目を向けると、店主は満足そうに笑っていた。視線を逸らす。

 

「その姿、昔を思い出すね、とてもかわいい。あの頃は生意気そうだったね、今はティターニアにとても似ている。もっと笑いなよ、どうせなら彼女みたいに」


「そうですね」


「……ねぇ、私にできることはないのかな。私も君を助けたいんだよ。君たちにはとても助けられた。だから、せめて身を隠すのに、ここを使ってくれ。ここでなら私が君を守ることができる」


 店主の言葉にクリスは首を振った。

 ヤナよりも付き合いが長いのは店主しかいない。迷惑をかけたくない。

 それに、約束があった。


「……もう助けられたし、これ以上はもう大丈夫です。何かあったときに、あなたを巻き込むわけにはいかない」


「そっか」


 店主は肩をすくめて笑った。


「じゃあ、いつも通り祈っているね。私にできることはそれだけだから」


「いや、もう一つある」


「何なにいって?」


「締め切り。ミラー女史から、かなりせかされているんです」


 クリスの言葉に店主は視線をそらし、苦笑いしながら「善処します」とつぶやいた。

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