7.鑑定士と英雄、再び
アクレシスは両親が死んだとき、まだ物心ついていなかったし、クリスは詳しくは話していない。だから、自分の過去をすべて知っているわけではない。しかし、定期的に面会にくるクリスが叔父であり、元貴族であることは知っている。クリスがそのことを隠していることや、何かが理由でそばにおかないことも理解している。
その理由を、彼女には明かせない。彼女が、彼女自身で探し当ててしまうまでは、明かすつもりもない。
(これでいいはずだ)
黙ったままのアクレシスには悪いが、もう行こう。顔をみることもできたし、餞別の品も――
「……ここにあるじゃないか」
クリスは自分の手の中にある指輪に気づいた。そうだ、渡そうとして瞬間泣きだされてしまったので、渡しそこねたのだ。
握りなおしながらつぶやく。
「帰ってきたら渡さないとな……」
やはりアクレシス相手では調子がくるってしまう。
普段から感情をヤナに喰われているが、実際は完全にすべての感情を喰わせているわけではない。
ヤナはクリスを振り回すために、感情を食べきらずに残してみたり、近くにいないときは大きな感情だけを食すことになる。しかし、こんなに丸ごとの感情を味わうのは、アクレシスに関してだけなのだ。だから、振り回される。
嘆息ついたクリスは周囲を見渡す。
人混みが多すぎて、去ったアクレシスの姿は見えない。このベンチに座ったときがちょうど昼を告げる鐘の音が遠くに聞こえていた。いまは仕事の合間にたくさんある屋台で食べ物を買うために皆が並んでいるのだろう。
一体アクレシスが何を買ってくるかはわからないが、彼女のいうようにとてもおいしいものなのだろう。
(英雄、ローグさま、か)
クリスはベンチに背を預け、空を見た。
年若いが、実力は折り紙付き。顔もそんなに悪くないし、何しろ背が高く、体も引き締まっていて、動きが俊敏。物腰も、まぁ、先日のクリスの対してはともかく、基本的に優しいと聞く。アクレシスのような少女が憧れるのもわかる。
アクレシスがそんな男に偶像よろしく、若い女特有のあこがれ意識でキャッキャしているのは知っていた。というか、嫌がってもしつこく聞かされていた。にやにや笑うヤナから。
――アクレシスが英雄様の話ばっかりするんだよ、その筋肉がたまらないんだと。
――英雄様が転びかけたアクレシスを助けてくれたんだって。
その都度、やけに近い位置から話しかけてくるヤナのむかつくこと。
クリスなりにいら立ちを重ねていたのに、今回の騒動だ。
(国家管理の古代遺物や魔具を勝手に鑑定して勝手に売り払い、複製まで作る悪徳商人として逮捕されるのは仕方がないが、旧王族の第三王子だのなんだのと、追いかけられるのは迷惑だ)
とうに十五年たっている。されど、十五年。
まだ、記憶から失われるのには早すぎるのだ。
クリスを王子と見なされると、血縁のアクレシスも危うい。
都合の良いことに、クリスが今現在この姿になっていることを知っているのは、ヤナくらいだ。もとより戻る手段もないが、やはり、このままこの姿で生きるのが一番いいのだろう。
しかし。
(ローグ・フォルード。奴に今の姿を見られたはずだが、ヤナに聞く限り、僕の今の姿に該当する逮捕令状は出ていない)
ヤナがクリスを助けに来た時、彼は朦朧としながらもヤナと話したらしい。だが、すぐに意識を失ったとも言っていた。
彼がこの姿のクリスを探さないのは何か理由があるのか、それともタイミングだけ図られているだけなのか。
それにしても、
(頑丈すぎる。あれは本当に人間なのか)
ヤナは彼を悪魔だとうそぶいていたが、本当にそうなのだろうか。
(頼りにしているが、頼りすぎるのも危険……結局悪魔だし)
悪意はなくても、クリスの慌てふためく様子を見るためならば何をしてもおかしくない。契約により、アクレシスに関すること以外は基本的にヤナの好きにさせているせいなのだが。
空を眺めるクリスはふと、人のざわめきに気づいた。
(なんだ?)
クリスの周囲に集まっていた鳥が飛んでいく。視界が遮られる。人々の視線が集まっている。誰かがいる。
(なにか、きた)
クリスは目をこらし、鳥の向こう――今まさにやってきた背の高い人影に目を向ける。
鳥が飛び立ったのち、人影はクリスの前に立っていた。
逆光。しかし、クリスにはその人物が誰なのか分かる。何しろ、ちょうど彼のことを考えていたのだ。
「……君は」
目を丸くしてクリスを見下ろしていたのはローグ・フォルードだった。
(まずいな)
既に顔は見られた。今更かもしれないが、クリスは帽子のつばで自分の顔がローグ――と彼が来たことでクリスにも視線を送る周囲の人たちに見られないよう下を向く。
彼はいつクリスに気づいたのか。近づくまで気づかないなんて。
(腑抜けすぎていた。これからどうする)
感情は動かない。ただ、これからどうしたらいいかだけ考える。
(アクレシスを巻き込むわけにはいかない。やはり、逃げるしかないか)
しかし、逃げ切れるだろうか。
ヤナに頼るか。いや、これくらいなら自分でどうにかできる、はずだ。
筋力強化の古代遺物も持っているが、先日貯めた分の魔力を使い切っているし、少女の姿になったことで、以前よりも体力が落ちている。
あの晩ですら追いつかれていたというのに、現在はその前提条件も下がっている。
そうなると、不意を衝くしかないか。
クリスの視線、地面に靴が見える。
大きい靴だ。頑丈で、古びているが、どう見ても謹製品の軍用を流用したもので、手入れがしっかりされている。
ローグはクリスの前に立ったまま、何も言わない。どんな表情で見ているのだろうか。
侮蔑か、憎しみか。いや。
あの晩の彼を思い出すときっと、何の感情も浮かべていない表情に違いない。彼にとって、自分は獲物に過ぎない。
「君、ちょっと顔を上げてくれないか」
低い声だった。だが、聞き取りやすく、少し堅いが敵意は感じられない。
どうしようと思う。しかし、ここで頭を上げなければそれはそれでおかしい。
クリスは顔を上げた。
◇◇◇
鑑定士と悪魔の夜から数日。ケディは無事仕事に復帰し、ローグたちはあの夜の男と悪魔を探している。
しかし、鑑定士の男も悪魔も、手掛かりはつかめず。鑑定士の取引先ですら綺麗に逃げおおせていた。
このままではそのまま迷宮入りかと悩みつつも、最後に見かけた少女のことも時間が経てば経つほど夢か現かわからなくなり、誰にも言うことができなくなった。
(あれは想像した通り、というか、俺の空想したそのままの姿だったし……。頭を打って変な願望が出てしまっただけかもしれない)
トットミリアに言えば、馬鹿にされるだろうし、ケディに言えば心配されるだろう。
結局、ローグは何も言えなかった。
そうして、今、休憩と見回りをかねて、噴水広間に来た時、足が止まった。勘といってもいいだろう。
いつもなら立ち止まらずに通り過ぎる噴水横にあるベンチ。そこに座る小柄な少年を見た。
いや、少年じゃない。見るものが見ればすぐに気づくだろう。服装だけが少年めいているが、体つきと気配が少女だった。
何故か目が離せなくなり、ローグは立ちどまった。
はたして、目深にかぶった帽子で隠されていた顔が、眩しそうに空を見る動きであらわになる。
それは、あの夜見た少女だった。
そして、ローグが気づいた時には話しかけていた。
「僕ですか?」
視線が合う。かわいい。
口元は笑みの形になっているが、薄青の瞳には何の感情も浮かんでいない。ただ、ローグを見据えている。
この目だ。間違いない。
ローグは思わず笑みを浮かべそうになり、あわてて唇を噛んだ。
(夢じゃない)
「……以前あったことがあると思うんですが」
「ないです」
小柄な少女だ。帽子と服で少年のように装っているようだが、その顔はあの夜見たものとまったく同じだった。
(髪の毛は染めているようだな)
確かにあの長い金髪は目立つだろう。しかし、髪染めが甘いのか、量が少なかったのか、意識してよく見れば、こげ茶の奥にもとの金髪が見える。
彼女だ。ローグの直感がそう告げていた。だが、それをどう彼女に伝えればいいのか。なんといえばいいのか。
(悪魔と知り合いなのか、とか、あの晩あったものですとか。何を言ってもおかしいだろう)
鑑定士を捜査していれば、いつかまた出会えるかもしれないとは思っていた。しかし、まさか、日中の街中で突然出会うとは思っていなかったのだ。
君は何者なんだと聞いてもいいのだろうか。聞いたら怪しいのではないか。そんな思考で頭が真っ白になってしまう。
何も言えないローグを少女は何も言わずに見上げていたが、とうとう首を傾げた。
「あの、知り合いと待ち合わせをしているので、その、用がないなら失礼します」
彼女はぴょこんという動きで立ち上がり、固まったままのローグの前を去ろうとする。
「待ってくれ」
思わず彼女の腕をつかんだローグはその細さに目を見張る。
「しつこい……痛いです」
「すまない、でもその」
どうしよう、何を言えばいい。どうしたら。
言いよどんで初めてローグは気づいた。
人の視線が集まっている。ローグの常人よりも鋭い聴覚が「誘拐?」「いえ、ナンパ?」「英雄様のナンパ?」と人々がささやいているのが聞こえた。
やばい。ローグは少女の腕から手を放す。
何か言わなければ。
戸惑う間に少女はにこやかに笑って、逃げるように――実際逃げているのだろうが、去っていく。不審な行動だと知りつつ、ローグは少女を追う。
何を言えばいい。何を言えば、彼女は立ちどまる。去る背中を追いかけながら、ローグは叫んだ。
「――待ってくれ、クリス」
「え」
少女は振り向いた。
ローグは口を押える。今自分は何を言ったのか。
「君もクリスというのか」
「……」




