6.鑑定士と姉
「えー!?あなたは本当におじさんの子どもじゃないの?こんなにそっくりなのに!」
「違、います」
首を振るクリスに、アクレシスはささやく。
「髪の毛も染めてるけど金髪でしょ。……ねぇ、私に隠す必要ないのよ?」
「違うので」
アクレシスがクリスを連れてきたのはマーケットの入り口にある小さなベンチだった。
噴水の近くにあるため、周りに会話を聞かれにくく、人々もクリスたちを気にする様子はない。
アクレシスは繰り返されるクリスの言葉に首をかしげる。
「嘘ついている感じはないよねぇ」
「その」
終わらぬ問答にクリスは腹を決めて、アクレシスにしか聞こえないよう小声で言った。
「僕はその、……弟子です。僕も貴族の血を引くので、それで似ているんじゃないでしょうか。貴族は印象が似通うといいますし」
「弟子?」
「そうです」
クリスはうなずく。
一般的に言われる貴族はみな似通っている、というのは顔立ちの話ではなく、髪の色や瞳の色の話だが、そもそもクリスとアクレシス自身の顔が似ていることに気づかないのであれば、この無理な理屈で騙されてくれないだろうか。
と、思っていたのだが。
「え、あの、あ、そうなんだ……」
クリスの言葉に数秒ぽかんとしていたアクレシスはその言葉を理解した顔をしつつも、目に力がなくなったように思えた。そして、下を向いてしまう。
なぜ。どうして。
クリスはその変化に首を傾げつつも、目的を思い出し、言った。
「……ええと、そのおじさん、なんですが」
「え、あ、うん」
「当面、旅に出るそうで、君に会えないと。君に」
アクレシスの気のない返答に続けて、クリスは言った。
そして、アクレシスが何か言う前に重ねていう。
「手紙は今まで通り渡すことができない。だが伝言はいつだって可能だし、いつものようにヤナに言ってくれればそれこそすぐに伝えておく。だから、安心してほしい。いつまでも君を見守っているといっていた。それで」
クリスは餞別の入った袋を服のポケットから出した。
それは魔力を貯めると、幸運を集めるという指輪型の古代遺物だった。
運命を変える古代遺物よりは必要な魔力は少ないし、効果も眉唾に近いが、それくらいがちょうどいいだろう。アクレシスはきっと望む未来に行ける。そう願いを込めた品だ。
(僕にできるのはこの程度……)
本当であれば国を出る直前に渡すはずだった。一応、中途半端だがクリスの魔力も籠めてある。気に入ってくれたらいいけど。
「その、それでこれ……を、え?なんで泣いて」
と顔を上げたクリスが見たのは、アクレシスの青の瞳から大粒の涙がこぼれている姿だった。
(な、何故アクレシスが泣く?今の会話に問題があっただろうか)
今までの話の流れで泣く必要なんてなかったと思うのだが。
クリスが離れて会えなくなるのが悲しいのだろうか。別に生きているし今までも年に数度顔を見に来るくらいだし、一か月後にはアカデミアに入る。
会えなくなるのは承知していたはずだ。
わからない。
「え、あ、ごめんなさい。私……」
固まったままのクリスに気づいてアクレシスは慌ててエプロンの裾で目を拭った。
「……あなたに、いっても、あなたも迷惑だとは思うんだけど。私、やっぱり、私じゃだめだったんだなって」
「そんな、何が駄目なんですか?駄目なわけがない」
「ありがとう。でも、私をそばに置いておけない事実には変わりないんだなって改めて思って。おじさまは私のこと、大事にしてくれるけど一線引いてるんだよね。でも、あなたはそばに置くんだなって、少しうらやましくて」
それは、自分のしていることで彼女に迷惑がかかるんじゃないかと不安で、怖くて。
こんな姿になってしまったのが、恥ずかしくて、彼女には言えないだけで。
何もかも言い訳になってしまう。
アクレシスは眉を下げてクリスを見た。
「最近情緒不安定なのかも……来月にはもう、ここを離れるのにね。うん、わかりました。おじさまにはありがとうといってね」
そういってアクレシスは勢いよく立ち上がる。涙をぬぐって、彼女は笑った。
その顔が別れ際の姉――ティターニアにそっくりでクリスは目を細めた。
「よっし、今日も明日も頑張ります!あ、ねぇ。あなた最近街に来たってことよね?どうせならおいしいもの食べていかない?最近来た屋台の人気がすごくてね、少し並ぶんだけど、とってもおいしいの!それにねそのお菓子はね……、英雄のローグ様が大好きなんですって!」
「……いえ、いいです」
思わぬ人物が会話の中に出てきたため、クリスは思わず顔を引きつらせた。
姪との穏やかな時間に今はその男の話をされたくない。
しかし、クリスの心の内を知らないアクレシスは笑って、胸を張った。
「遠慮しないでって!買ってくるから待っててね!今の時間ならそんなに待たないと思うから」
「そういうわけじゃ――」
クリスが止めるのも聞かずにアクレシスは行ってしまった。揺れる黒髪が人込みへ消えていく。
「……相変わらず思い込みが激しいな」
アクレシスはいつだってそうだ。ティターニアに似たのだろう。ティターニアもこうと決めたら曲げない――曲がれない人だった。
だからこそ、まっすぐでいられるところにいてほしいのだが。
年の離れた姉は幼いころ、顔に怪我を負った。そして、両親が死んだ後は、結婚もせずにクリスのそばにいて支えてくれた。
しかし、革命が近づき、世間がどんどんきな臭くなる中で、姉とクリスは引き離された。
姉は安全なところへ行くことになり、クリスは残ることになったのだ。馬車に乗る直前、クリスは言った。
――絶対に、また、姉さんと二人で暮らせるようになるよう頑張ります。
その言葉にティターニアは微笑んでいた。わかっていた。二人はただ、周りにいいように使われていた。それでも、逃げるわけにはいかなかった。流れる血が許さなかった。
――待っているわ。クリス。とっても頑張り屋さんなあなたなら、絶対に使命を果たすことができる。
額に口づけを。泣きそうになる瞳をこらし、クリスは去っていく姉に手を振った。
残されたクリスは、きっと姉が無事で過ごしているはずだと信じることしかできなかった。
数か月後、クリスがヤナの力を借りて自由になってから初めて、姉が目的地に着く前に襲われ、行方知れずになっていたことを知った。
何年もかけて、人を探す。姉がたどったはずの道を何度も。
革命後は貴族に対するあたりが強かったので、気づかれないように慎重に。しかし、国が荒れ、時間も経っていたこともあり、まるで手掛かりは見つからず。
クリスが姉を見つけたのは偶然だった。
それは国境に近い港町。海外からの取引荷物を海賊が襲ったと聞いたクリスは、荒事になれた部下を連れて海賊たちが逃げ込んだ小さな集落に向かった。
海賊は暴れたが、所詮は秘匿技能や古代遺物を持つものには対した抵抗にもならない。
国に刃向かうには数足りずとも、ただの人間だけであれば、造作もない。
すぐに掌握したが、その集落にはもうほとんど生き残りがいなかった。
それでも誰か助けられるかと、半ば諦めながらも見て回っていたクリスに、ヤナが言った。
――あっちに生きてる人間がいる。
ヤナの指し示した小さな家に近づく確かに泣き声がした。
ドアを開けると、家の中に光がさした。
血の匂い。クリスは部屋を見まわした。
まず目に入ったのは黒髪の男だった。彼は入り口を背に何かをかばうように倒れ、その既に息絶えた男を引き剥がすと、果たしてそこには女がいた。髪が乱れ、顔は見えない。
――金髪、か。
妙な、いやな予感がした。
その女の腕の中に子どもがいて。泣き声はこの子のものだったのか。と、そのけたたましい声に命を感じて少しだけ安心する。血は浴びているが、とうの本人は特に目立った傷もないようだ。それから、何気なしに髪を払い、見た女の顔に、クリスは固まった。
――ねえ、さん
女は――ティターニアは返事をしなかった。
男よりも傷は浅い。でも、彼女の腹からは血だまりになるほどに血が流れ出て、体は体温を失っていた。薄く開いたクリスと同じ薄青の目の瞳孔は開いたまま。いつも気にして隠していた額から頬にかけての傷は記憶のまま。
――そうか、それが君の姉か。確かに似ているね。
ヤナの声が遠くに聞こえた。
――ソレよりこの子だよ、ほら生きてるほうを大事にしようね。
血だまりに足をつき、姉の肩を抱いたままのクリスの頭をたたいてヤナは言った。いつのまにかヤナは赤子を抱いていた。
黒髪、青の目。多分、一歳になるかならないかくらいの。幼い少女。
――その子は
――どうみても君のお姉さんの子どもじゃん、姪っ子だね。人間は幼いほうがかわいいねぇ。どうする?名前つける?あったほうが便利だよね。
――……。
死んだ姉と、男を見る。
金髪の女は貴族の血を引く、魔力を持っているはずだと様々なものから狙われたはずだ。新国家のもののなかでも、とかく簡単に血筋に格をつけようと貴族の女を妻として無理矢理囲うものも多かった。
私は結婚できないからいいのよ。傷物の女なんてめとる男はいないわ。私にはあなただけいてくれればいいのよ、クリス。
姉は笑っていた。でも、彼女の人生はクリスではなく、彼女自身のためにあったはずだ。
男は姉をかばっている。姉はきっと男と姉の子どもであろう子をかばっている。
そこに少しでも愛があったならば。
いまさらきっと誰に聞いてもわからない。真実は飲まれてしまった。でも、この子は今ここにいる。
――アクレシス
――ん?
――名前はアクレシスだと思う。姉さんはその名前を気に入っていたから。
昔話に出てくる賢女。彼女は強く、かしこくて多くの人々を救ったという。
かっこいい。自分のその名前だったらよかったのに、と姉は言っていた。だから。
――アクレシス、僕が君を育てよう。ヤナ、契約を変更する。
――まぁ、お姉さんが亡くなってしまったならそうだね、ソレが可能だよ。対象は彼女?
――ああ。この子を守る、この子のことだけに僕は感情を許す。それ以外はお前に。
――許可します。
ヤナの言葉が終わった瞬間、クリスは、大きく魂が揺れるのを感じた。涙が浮かぶの感じ、唇をかんでそれをこらえた。
――なんだよ、せっかく久々の涙なのに、流さないの?
――流している余裕はない。姉さん――と、この人、ほかの人のお墓を作らないと。
――この辺だと眺めがいいところたくさんありそうだから、そういうところにしようよ。
ヤナの言葉にうなずき、クリスは赤子を抱き取った。
温かい。柔らかい。
――よろしく、僕は君のおじさんだ。
泣き疲れたのか少女はクリスをちらりと見てから、目を閉じた。
姉に与えられなかった分の未来を与えよう。そう思ったのだ。
とはいえ。
自分のやっていることは正道ではない。外道だ。それにアクレシスを巻き込むことはしたくない。
知人を頼って、孤児院に彼女を入れた。面会は目立たないように。そして、物心ついた彼女が魔力に優れていることがわかってからは、魔法育成に優れたアカデミアへの編入を考え、伝手を頼って入学資格を取り付けた。
この国では魔力の使い方が満足に学ぶことができないのは重々承知だ。アカデミアであれば、名高い賢者もいるし、魔法以外も学ぶことができる。そうすれば、彼女の選択肢は広がるはず。
姉の未来はもっと広かったはずなのに、両親の死で、クリスのせいで負った怪我で彼女は自分の未来を狭めてしまっていた。それが心残りだった。
そんな想いをアクレシスにさせるつもりはなかった。彼女の未来を奪いたくない。
(アクレシスが幸せになれば、それでいい)
クリスはそのためだけに生きている。