2.鑑定士と運命
「……」
クリスは最後の確認のために眼帯に手を当てる。
(ヤナ)
やはり声かけに答える声はない。クリスは決めた。
殺意。それが消えない。
クリスが動かない意図に気づき始めている。
魔力が充填していく気配。今回は先ほどの牽制するものではない。
(この魔力の集束状況だと、大きな一撃が来るか、それとも必中の魔弾になるか)
その緊迫感、久々に味わうものだ。
命の危険はこの数年は感じることがなかった。
平和、安定。そういうものをやっと、ほとんど手に入れたはずだった。だが、それはまやかしだ。
だが、いま、それが目の前にある。クリスは動いた。
「どけ、お前にかばわれずとも、俺は!」
目の前に立つクリスにローグは叫んだ。それを無視する。
「お前たちには生きていてもらわないと困るからな」
魔力の動きが変わる。
(こい)
クリスは左目を覆っていた眼帯を捨て、右腕を前に出す。指輪に魔力を籠める。それは発動のための鍵。指輪に体に残る魔力をも吸い取られるのを感じる。
顔をしかめながら、魔力の感じる方向に視線を向ける。
そして、それはきた。
一瞬の光。
(ここまで貯めた魔力、すべて使い切って耐えきれるか――)
「ぐッ」
伸ばした右腕に、体に、思った以上の圧がかかる。
バランスを崩しそうになる体をどうにかひねり、魔弾の力を逃がす。
「お前は、何をしている!俺なら、槍があるから」
「……それで解決できるわけがないだろう」
後ろのローグの言葉に反論する。
ローグの持つ槍は魔弾をはじくことができるだろう。だが、魔弾の力とは相性が悪い。
『必ず当たる』魔弾であればはじいても、魔弾の軌道が変わって狙った相手に当たるだけだ。
『当たる』という運命自体を捻じ曲げる必要がある。
現に銃弾はクリスの腕のほんの少し先で制止している。だが、クリスの古代遺物と拮抗しているだけであり、その起動が止まったわけではない。
じりじりと手との距離を縮める魔弾に、クリスは目を凝らす。
鑑定。
(やはり、先ほどのものとは違う、必中の魔弾だ)
必中の条件はいくつもある。ただ、この銃弾にかけられているのは、相手の条件付け。
(やはり)
クリスはじりじりと近づく銃弾に嗤う。鑑定すればすぐにわかる。
――条件付け、ローグ・フォルードを殺さなければ止まらない魔弾だ。
しかし、その魔弾には迷いがあった。
(魔力を籠めるときに雑念があったな)
かすかに混じる雑念は、ローグではなく、クリスに対する敵意。
その敵意をクリスは利用する。
「……!」
クリスは指輪をたぐる。運命を変える指輪、拮抗している以上、魔力がたりなかったのだ。つまり、入りきっていなかった必要分の魔力さえ入れば正当な働きを見せるはず。ならば。
「ローグ・フォルード!手を貸せ、僕に触れろ、魔力を注ぎ込め!」
「な、なんで――」
「いいから早くしろ」
「――ッ」
ローグのためらう気配は一瞬だった。彼の手が後ろ手に伸ばしたクリスの左手をつかむ。
魔力が体に流れ込んでくる間隔に、クリスは肩をふるわせた。クリスの体を通り抜け、ローグの魔力が指輪に充満していく。
(きもち、わるいな……)
悪寒をかみ殺しながら、魔弾をにらみつける。そして、
「入りきったッ!」
瞬間。ローグの手を振り払い、左手を右手に重ねる。
クリスの左目が赤く輝く。
わかった。この指輪の名は、
「動け、"運命の裁ち鋏"」
クリスの声に古代遺物が発動する。
魔弾の感触を感じていた手から、感覚が消える。魔力の圧が神経を焼く。
思わず顔をそむけると、身を乗り出したローグと目が合った。
「その目は⁈」
ローグの声が聞こえると同時に、右手の指輪が光る。
「ぐッ」
銃弾がそれる。痛みが右肩をかすめた。顔をしかめる。
視界が白く染まる。
(うまくいった……のか?)
崩れるように倒れる体。思ったよりも地面が痛くないのはローグを下敷きにしたからか。
(いい気味)
それ以降、意識も消えた。
◇◇◇
「いたい……」
頭を押さえて、クリスはつぶやいた。
目をあけると、見慣れた部屋だった。数ある隠し部屋のうちの一つ。
窓の外は明るくなっていた。鳥の声も聞こえる。
深夜の追いかけっこや、謎の銃撃があったとは思えないほどの穏やかな朝に思える。
一体どのくらいの時間、気を失っていたのか。
「……ここに運んだのはヤナ、だろうな」
この部屋はクリスとヤナしか知らない隠れ家だ。
クリスは自分の体を触る。頭は痛いが、これは魔力を使い過ぎたときに感じるものだから、無視していい。
腕は。
意識を失う前に魔弾がかすった右腕はすでに処置されたようで包帯がまかれている。
無事に生き延びた。と思うにはやけに違和感があった。
「……」
服がやけにぶかぶか。袖も妙に長くて手が隠れている。
それに、ベッドの上に身を起こすと、周囲に髪が散っているのが目に入った。
長くなっている。
「……」
クリスは髪をつかんだ。死んだ母にそっくりなまっすぐのプラチナブロンド。姉のものはくせ毛だったから、よく「クリスはいいわね」と唇をとがらせて言っていた。
その髪をつかむ指は小さく繊細にみえる。
クリスは右人差し指の指輪を見た。ぶかぶかになっている。古代遺物は持ち手の魔力を吸って、持ち手に合わせて自動的に大きさを変えるが、その力すらもう残っていないようだった。
確実にいえることは、魔法は発動したということだ。
「あ、気づいた?クリス。非常に面白いことになっているね、最高」
「ヤナ」
ドアの開く音に、明るい声にクリスは目を向ける。ドアの向こう側から、ひょっこりと頭が飛び出ていた。
二十歳程度の女に見えた。顔立ちは涼やかで目が吊り上がっている。そして、クリスとは逆に左目が薄青で、右目が赤い。黒髪は肩の上ですっぱりと切られ、下品ではない程度に体の線が出る服を着ている。
彼女はクリスの姿を見ながらニヤニヤ笑った。
「ごめんごめん、助けるの遅くなっちゃってさ。ちょっと魔女っ子とやりあってね。しかし、君、それってこの前の指輪のせいだよね?おもしろすぎ」
「そうみたいだな」
クリスは話しながら喉を押さえる。
あまりにも高い。そして、か細い。
クリスの座っているベッドの前に立って、にやにやしたまま、じっとこちらを見ているヤナに問う。
「僕は、一体どうなっているんだ」
「えっとね」
もったいぶる様子のヤナに怒りがわいた。瞬間それは消え失せる。
非難する視線を向けたクリスに、「ごちそうさま」と、ヤナの赤い舌が唇をなめる。
彼女はゆっくり時間をかけて、口を開く。
「クリス。キミは女の子になっています」