1.鑑定士と英雄
「鑑定士……待て!」
待てと言われて待つわけがない。だが、きっとほかにいうこともないのだろう。
クリスはそんなことを考えながら走っていた。
口から白い息が漏れる。
寒い。そのうえ、最近怠けていたせいか息が切れるのが早い。
高い建物に囲まれた路地裏の道は表通りとは違って舗装が良くない。足をひねりそうになるのをどうにかこらえつつ、走り続ける。
ここは王都でも治安が悪く、空き家が多い地域だった。
大声が響き渡るも、家から住民が顔をだすことはない。そういうところだ。
今回に限っては他人を巻き込まずに済むことを良しとするか。
クリスは左目にかかった眼帯を押さえた。
(ヤナ、どこだ?)
頭の中で問いかけるも返事はない。返事がないばかりか、繋がりも感じない。
やはりか。嘆息しつつ、眼帯から手を離す。
(魔法――魔女だな)
ただ鑑定をするだけの仕事、のはずだった。
買った屋敷の地下に古代遺物をみつけた。
それを国家に提出するよりも売って金にしたい。そのために仲介と鑑定を。
そういう簡単な仕事だったはずが、屋敷に着いた途端、不法取引の現行犯逮捕だと踏み込まれてしまった。
正直、確かに違法だが、その程度でこんな英雄のような大物が出てくるべきところではないはずだ。
(そう、英雄)
角を曲がりながら、後ろを見る。
クリスを追ってくる二人のうちの片方。
あれは『英雄』だ。
大柄、黒髪黄色の目、右頬に大きな刀傷。二十代半ばに見える男。
彼が英雄、ローグ・フォルード。
彼は肩に身の丈を越える槍を担いでいる。
それは魔具だった。
◇◇◇
この世界には、大昔、魔法で満ちていた。
そのころ世界を支配していたのは、今で言う魔女や魔神、魔物、そして悪魔。
人間は彼らに虐げられる無力な家畜だった。
だが、彼らの時代は唐突に終わりを迎えた。
生に飽きたのか、世界に飽きたのか。彼らの大半は突然姿を消し、人間の時代がやってくる。
しかし、彼らの影は残った。
彼らの残した日用品は今や古代遺物と呼ばれ、大金で売買される。
その中でも特に愛用され、力を注がれ、意思を――魂を持つようになったものを魔具と呼ばれ、持てば国一つ落とすことができるとまで言われる。
それらがこの世界には残っていた。
そして、人間は長い時をかけ、残されたものを解読し、複製品を作り上げた。
自身の中にある魔力を制御する術を学ぶよりも、道具を通じて魔法を使う。
それが今の世の魔法というものだった。
◇◇◇
魂を持つ魔具、旧王家、建国の王が振るったというその槍は意思を持つ。
名を≪アンナマリア≫。
革命でほろんだ旧王家の隠し財産だった。
建国の王が使用していたそれを、旧王家では王宮の奥底に隠し、男児は成人の儀の裏で触り、選ばれるかどうかの賭けをする。
だが、建国以降の旧王家の中から選ばれるものはいなかった。
魔具は人を選ぶ
気に入らなければ、触れたものを否定する。
槍は革命時に何者かに奪われ、姿を消していたが、ローグが数年前にあの槍の魔具に選ばれたことで再び姿を表した。
そして、そのことからローグは国家保安部に入ることになったという。
魔具は古代遺物の中でも意思を持ち、持ち主を選ぶ気難しさがある。魔具に選ばれないものは触れることすらできない。そんな魔具を複数も持つことができ、使用することができる。
そんなもの、革命前にはいなかった。
魔具は王家の財産となり、ただ、飾られるだけだった。
その魔具が世に解き放たれたのは15年前の革命時。
革命後、国は新たに議会制となった。
そして、議会は王都の治安を守るために様々な施策を考えた。
その一つが、古代遺物の国家管理と、国家保安部の設立である。
国の防衛、警邏をする軍とは別に存在する国家保安部は革命の主導者である『革命家』ダレン・コールディンが建てたもので、さらにその中の重大犯罪課取締班には、『英雄』と『魔女』がいる。
彼らを率いる部長のダレンは数年前に足を怪我して以来、現場には出てこないが、彼の率いる部下たちは街で少し耳を澄ませばいくらだって彼らの話は耳に入るほどに『活躍』している。
クリスはそう聞いていた。
(それがいいか悪いかは、大きく見たらいいことなんだろうがね。追われる僕としては、いろいろやるべきことが残っているわけだ)
捕まるわけにはいかない。まだ、クリスにはやることがある。だから、足を止めない。
「……とまれッ」
再びの制止の声。丁字路に差しかかり、どちらに逃げようかとためらった瞬間だった。
銃声がした。見れば、靴のすぐ横の地面を抉られていた。
「今度は当てるぞ」
振り返る。
クリスを狙っているのはローグではなく、彼の斜め後ろにいる男だった。ローグと同じ黒の軍服めいた服を来ているところをみると彼もローグと同じく重犯課なのだろう。
一瞬でクリスを狙撃できる位置で彼は立っている。
クリスは向き直った。あの古代遺物――いや、古代遺物の複製品には見覚えがある。
「顧客様だったようで」
クリスは言った。その言葉に返事をしたのは撃った男ではなくローグの方だった。
「そうだな、これの元になった古代遺物はお前がこの国に持ち込んだものだ」
「そのようですね」
「……」
目をほそめるクリスに、ローグは何も返さない。クリスは肩をすくめた。
「弱小貿易商人の私に何かご用ですか?」
クリスの言葉にローグは眉一つ動かさなかった。代わりに、彼の部下が叫ぶ。
「よくもぬけぬけと……!貴様が古代遺物を勝手に売買していることなど既にわかっている。しかも、その鑑定は秘匿技能によるものではないのかと疑いもかかっているぞ。――秘匿技能を持つものは国家に届け出をすることになっているはずだ!」
「ケディ、熱くなるな。生け捕りの指示だ」
「……」
クリスのもつ秘匿技能は『鑑定』のみ。
それも、生きていないものに特化している。有益に扱う方法はあっても、それだけでは強さになり得ない、中途半端な秘匿技能。
本来、魔法とは魔女のような強大な魔力や才を持つもの以外は詠唱、触媒、魔方陣、紋章等の一定の手順を踏む必要とする。しかし、決まった魔法に限り、何の予備動作もなく使うことができる魔法技術――それが秘匿技能だった。
革命前のこの国では、秘匿技能を習得することは王族、貴族のたしなみであり、それを使えないものは貴族内でも差別された。
そのゆがみから革命が起き、当時量産が始まっていた古代遺物の複製品をもって、秘匿技能をもつ貴族たちは殺されていった。
秘匿技能を持つ貴族たちはその技術を身につける方法を明かさなかった。
否、明かしても、それを身につけるには時間がかかりすぎる。結局、貴族たちは虚言だと断じられ殺されていく。
いまや、秘匿技能を持つものは少ない。持っていても、それを明かすようなものはいない。
服従を条件に魔法を神秘、奇跡と位置づける教会に飼われることを選んだものや、どの国家にも組織にも組することなく唯一学問を極めることだけを目的とする空挺都市アカデミアで、その術を学問として研鑽することとしたもの。そして、クリスやその仲間のように闇に隠れてこの国にしがみつくもの。
クリスがその秘匿技能を持つことを知るものも、ごくわずかなのだ。
(誰がもらしたことか)
どこまで漏れているのだろうか。クリスは考えてから、すぐに思考をやめた。
そもそも、売った恨みの数など覚えていないし、鑑定技能はごまかしやすいとはいえ、あまりにも正確なクリスの鑑定に、不審に思った取引先があってもおかしくない。
昨今でも、貴族と疑ったものを新国家に売るのはよくあることだ。
クリスの行ってきた仕事――古代遺物を鑑定し、売買する――は、古代遺物を管理したがっている新国家から見えれば、許せるものではないのだろう。
(僕が秘匿技能の持ち主だという話、漏れている情報の程度によってはアクレシスの身に危険が及ぶ可能性もあるか)
さてどうしたものか。
クリスは目の前の二人を見る。
ローグは落ち着いた佇まいで隙がない。彼が受けた指示が言葉通りであれば、クリスは確実に生け捕りにされるだろう。
しかし、もう一人のケディと呼ばれた方は銃の扱いは優れているが、クリスの言葉に過剰に反応するところを見ると、経験が浅く隙がある。
(攻撃してもらうとしたら、ケディに任せるしかないな)
そう結論づけて、クリスは伏せていた顔を上げた。
「私はただの物見遊山です。古代遺物がみつかったという噂を聞きましてね、見に行っただけなんですよ」
「貴様ッ、信じると思うか!そんな大嘘を!」
「おい、ケディ、やめろ」
(おっと)
予想外なほどに激しくケディは怒りを覚えたらしい。銃を向け、声を荒げる。英雄が止めていなければ撃たれているところだ。
逃げるにしても、何かしらのきっかけがないと難しい。
背後の部下を押さえながらも、ローグはクリスから視線を外さす、一切の隙を見せない。
(今日持ってきているのは……)
指につけた古代遺物を数える。
古代遺物は使い手の魔力を使用して発動する。クリスの魔力量は中の上といったところか。
ローグのように常人以上の魔力を持ち合わせているわけではない。
日夜身につけ、必要な魔力を注ぎ込んではいるが、長時間の使用に耐えうるほどの力はない。
(筋力増強はもうそろそろ魔力がつきる、あとは防御と、もう一つ)
先日買い取ったものだ。
鈍い金は編み込むように装飾され、小さな薄青の埋め込まれている。その装飾は何かをかたどっているようだが、よくわからなかった。
何に使うかわからないといわれたそれは確かに妙な品だった。大分年季が入っていて、クリスが鑑定しても、「命の危機に作動する。その運命を否定する」としかわからないほど。
効果がわかっても、実際に何があるのか全くわからないというのは古代遺物にありがちな話だ。だからこそ、古代遺物の使用には慎重になる。
使用するためには、強大な魔力が必要であることは明白だった。
この手の運命にあらがうほどの力を持つものはそうそう出回らない。
入手してから、クリスは実験代わりにそれを身につけ、魔力を流し込んでいた。
(ある程度は充填されているはず。これなら、作動できるかもしれない)
右の人差し指に入れた指輪を親指で触る。
運命を変えるという性質上、先に相手に動いてもらう必要がある。
さて、どのように誘導しようか、考えたときだった。
「おしゃべりはこの辺にして、まずは一緒に来てもらおうか」
ケディを制したまま、ローグがクリスに向かって一歩踏み出す。
クリスは彼を見据える。
彼は揺るぎない。彼は強い。彼は、
(私にないものを、持っている。だからこそ捕まるわけにはいかない)
そう思った、そのときだった。
「――ケディ!よけろ!」
銃声と同時にローグの声がした。彼の槍が空をさく。
クリスの目の前でケディが崩れるように倒れた。
「ぐあぁああ!!」
一呼吸置いて、ケディの悲鳴が聞こえた。彼は右足を押さえ、銃が地面を転がる。
銃声は短くも数十発続く、クリスは壁際にへばりつくようによける。道の真ん中をえぐる銃創。いつの間にかローグとケディもクリスを同じく、壁に身を寄せていた。
「一体何が……」
「お前」
ローグの声に振り返ると彼は右肩を押さえていた。かすったのか。
(まずい)
上からの狙撃だ。
当たった瞬間に感じた魔力の拡散。あの独特な気配。
(魔弾だ。同じものをみたことがある)
あれはつい最近鑑定したものと同型。『複製』ではない。この威力。本物だ。
(本来ならば当たっていた)
それを退けたのはローグの槍さばきが想像以上のものだったからだろう。
しかし、槍で魔弾を退け続けるのは厳しい。
「下がれ」
「貴様」
「僕じゃない」
あの銃を使う以上、狙撃手はクリスと関係があるはずだ。
彼らは反革命者、ローグたちとは相容れない。
(彼らは邪魔だ。しかし、殺させるわけにはいかない)
自分たちの仕入れた、売買した物で人を殺されるのは、もうクリスの手を離れた先の話だ。
でも、目の前では人を殺させるのをみすみす見逃すわけにはいかない。
特に英雄は。
例え、憎かろうが、悔しかろうが、彼は今の平和に必要な存在なのだ。
(そう。何なら僕よりも)
今回の通報には裏がある。もしかしたら、この英雄たちをおびき出すためにクリスがおとりに使われたのだろうか。
(だとしたらいいように使われたものだな)
相手はクリスがどうするのかを伺っているようだった。周囲に満ちる殺気、視線がそう物語っている。
クリスを助けるためだけはなく、英雄たちを殺すために、この状況を作り上げたのだとしたが、このまま英雄が死ねば、クリスがその原因の一つになってしまう。そんなことは、到底許せなかった。
だから、クリスは去らない。――去るわけにはいかなくなってしまった。