第57話 弟子入りへの挑戦 -11-
お礼を言おうと、小上がりに腰掛けたまま、鷲雅さんを見上げる。彼の瞳が優しく微笑みを浮かべたまま、私に話しかけてくる。
「そういえば、お嬢さんの名前を聞いていなかったな。」
確かに、鷲尊さんが人間、人間と呼ぶばかりで、私の名前を名乗る機会がなかった。黒悠さんにも名前を聞かれたのに、その時もつい答えそびれてしまった。
「私は、楽器の琴に音と書いて、琴音と言います。」
今日初めて自分の名前を口にすると、鷲雅さんが目を細めて微笑んだ。
「美しい名前だな。お嬢さんにとても似合っている。」
彼の言葉に、ほんのり頬が赤くなるのを感じる。鷲雅さんは優しく私の髪を撫で、それはまるで小さな子どもを褒めるかのような温かさがあった。
昨今の人間界では少しセクハラ扱いになりかねないけれど、彼の所作はとても自然で、どこか憎めない。
その時、私たちの間に突然割って入ったのは、翔夜くんだった。彼は立ち上がってズンズンと私たちに近付き、少しばかり怒り気味の口調と表情で言った。
「おい!鷲雅!俺の琴音ちゃんを口説くな。」
「俺の・・・とは?」
涼しい顔で翔夜くんに問いかける鷲雅さんと、翔夜くんを交互に見る。二人は以前からの知り合いのようで、そのうち、言い争いが始まった。どう対処すればよいのか迷っていると、月影さんが優しく声をかけてくれた。
「琴音ちゃん、その二人は放っておいて、こちらでお茶でも飲まない?あ、おかえり。」
月影さんが呼んでくれるその声に救われるように、私は彼のもとへと歩み寄った。卓に座り、ホッと息をつきながら、
「ただいま戻りました。そして・・・・」
懐に大事にしまっていた光る石を取り出して、
「無事、試練に合格しましたー!」
自信満々に石を卓の上に置く。石は先ほどと同様にじんわりと光り、その光が周囲に柔らかい輝きを放っている。
蒼月さんが石をじっと見つめながら口を開く。
「ほう・・・輝夜石か・・・鷲尊も随分と奮発したな。」
その言葉がどういう意味か、私にはすぐには理解ができず首を傾げていると、
「お嬢さんが黒悠様の封印を解いたからでは?」
と、いつの間にか私のそばに腰を下ろしていた鷲雅さんが、翔夜くんからのちょっかいを払いながら蒼月さんに答えた。
その言葉に蒼月さんが驚いたように目を見開く。月影さんも翔夜くんも同じだ。
「鷲雅、今のは私の聞き間違いか?」
眉をひそめて鷲雅さんを見つめる蒼月さんに、彼は「さあね」とでも言うように肩をすくめた。
「いえ、お嬢さんが黒悠様の封印を解いたのです。」
ゆっくりと、はっきりとそう口にして、蒼月さんを見つめる鷲雅さん。蒼月さんの表情が信じられないという顔に変わり、再び私に向き直る。
「おまえは一体、何者なんだ・・・?」
蒼月さんの声には驚きと不安が混じり、私をじっと見つめる。その目には深い謎と興味が込められている。
(いや・・・そんなことを言われても・・・)
人間界ではただの会社員だ。
確かに実家は神社だけれど、私は繁忙期に巫女のお手伝いをするくらいで、それ以外は基本的には神社の業務には関わらない。
蒼月さんが私に興味を持って何かを聞いてくれたのは、ここにきてから初めてと言っていい。でも・・・
「そう言われても、普通の人間ですとしか・・・」
そう答えるしかできずにいると、蒼月さんは大きくため息をついて、
「早急に人間界へ帰れるよう、急いで手立てを探すことにしよう。いや、最初からそうすべきだった。」
と、全く予想外のことを言った。




