第318話 誓い -2-
長老の言葉とともに、部屋の空気が静かに変わる。
香炉から立ちのぼる薄紫の香煙がふわりと揺れ、光がその軌跡をなぞるように漂っていく。
衣擦れの音と共に、千鶴さんが私たちの前に一枚の敷き布を広げた。淡く光る紋様が浮かぶその上に、私と蒼月さん、そしてそれぞれの身元保証人──煌月さんと千鶴さん──が並んで座る。
静かな間を置いて、長老が口を開く。
「ここに集いしは、ふたりの縁を結び、ふたりの間に確かな絆を刻まんとする者なり。」
その声が響き終わると、長老が壇の奥から一つの石を取り出し、私たちの目の前に置いた。
真名の精霊が宿るという、小さな玉石。うっすらと光を放ち、淡く脈打つように震えている。
「ふたりよ。互いの真名を知っているか?」
長老の問いに、蒼月さんが真っ直ぐに私を見つめながらうなずいた。
私も同じように蒼月さんを見つめ、うなずく。
そうしてそれぞれの指先が石に触れるようにそっと石の上に手を置く。
すると、その瞬間、石に触れたふたりの指先が淡く光り、静かに輝きが広がった。
やわらかな波紋のように、石の光が部屋全体に広がっていく。
それが、真名の精霊が“互いを知っている”ことを認めた証。
──繋がった。
言葉にしなくても、その確かな感覚が胸の奥から湧き上がる。
続いて、長老によって霊水を注がれた三つの盃が運ばれてきた。
まずは私が一口。
次に蒼月さんが一口。
そして、最後にふたりで一緒に、一つの盃を持って飲む。
最後の盃にふたりが手を添えた瞬間、盃を交わす手元に一瞬光が宿った。
じんわりと繊細な光を帯びた指先は、とても神秘的だった。
霊水が喉を通るたび、身体の奥がじんわりと温まっていくような感覚。
妖力がやさしく交わる・・・そんな不思議な共鳴を感じた。
そして・・・
長老が、契約の詞を厳かに唱え始める。
「今ここに、ふたつの魂、ひとつの縁と成らんことを願い・・・」
私たちはそれに続いて、それぞれの言葉で応える。
「この縁に、偽りはありません。」
「命の続く限り、共に歩みます。」
その言葉を最後に、部屋の空気がふわりと柔らかくなり、光が包み込むように揺れた。
巻物が広げられ、まずは蒼月さん、次に私がそれぞれの名前を書く。
その巻物は不思議な巻物で、私たちが署名をした瞬間、それぞれの署名の下に自分の家の家紋が浮かび上がるのだ。
(人間界の家紋にも対応してるの、すごいな・・・)
そう考えると、ますます不思議な世界だ。
そして、次にお互いの身元保証人が署名を加えると、同じように署名の下に彼らの家紋が浮かび上がった。
そうして四つの家紋が並ぶと、巻物の書面の中心に浮かび上がる大きな光の紋・・・「縁の印」が一際目を引いた。
そして、それが長老の手で静かに巻き納められ、部屋の隅にある記録庫へと持ち運ばれていく。
記録庫は金庫に似たような姿をしているのだけれど、その大きさからは想像できないほどの巻物が納められているらしい。
これもまた、どこか別の次元や場所に繋がっているのかもしれない。
「これにて、婚姻の契り、確かに結ばれたり。」
その宣言を聞いたとたん、胸の奥から、こみ上げるものがあった。
私は今、この世界の誰よりも、確かに蒼月さんと繋がっている。
その感覚が身体全身を包み、温かくて穏やかで、そしてとても幸せな気持ちになった。
ふと隣に座る蒼月さんを見ると、おそらく同じことを感じているのだろう。
フフッとふたりで顔を見合わせて微笑み合うと、私たちはそっと手を繋いだ。
長老の言葉を最後に、少しの間、皆が余韻に浸るかのように静寂が続いた。
しばらくして私たちがふと我に返り、座ったままで深く頭を下げると、頭の上から長老の、
「おめでとう。ふたりは今から正式な夫婦であるぞ。」
という声がして、顔を上げた私たちは、それぞれに、
「「ありがとうございます。」」
と答えた。
(蒼月さんと・・・夫婦・・・)
嬉しいやら恥ずかしいやら、なんとも言えないむずがゆい気持ちになる。
一人でその感情と向き合ってウフフと笑っていると、ふと千鶴さんと目が合った。
「ふふ・・・おめでとうございます。おふたりを見ていると、自分たちの時のことを思い出しますわ。」
そうか、おふたりもおそらくここで婚姻の契りの儀を行ったんだもんね。
「緊張しました・・・!」
「それが普通ですよ。」
そんなやりとりをしていたら、煌月さんが私たちのそばに寄ってきた。
「おめでとう。末長く幸せにね!って、僕が言うまでもないだろうけど。しかし、この儀式は何度参加しても身が引き締まるね。」
(そんなに何度も参加してるのだろうか・・・)
ふとそんな疑問が湧いてきて、思わず聞いてしまった。
「そんなに身元引受人になっているんですか?」
すると、煌月さんはハハッと笑いながら、こう答えた。
「そうなんだよ。風華もそうだし、悠華もそうだし、琴音ちゃんはまだ会ったことがないと思うけど、風華のもう一人の娘、彩華の時もそうだった。」
(そうなんだ・・・そんなに信頼が厚いのか・・・)
そんな失礼なことを考えていたら、それを感じ取ったのか、煌月さんからすぐさま抗議が入った。
「ちょっと?今、この男にそんなに人徳があるとは・・・みたいなこと、考えてなかった?」
ズバリ言い当てられて、不自然に動揺してしまう。
「え!いえ!そんなわけ・・・・!というか、煌月さんは身元引受人じゃなくて当事者になるつもりはないんですか?」
動揺ついでに余計なことまで口走ってしまった私に、煌月さんは即答で、
「ないねー。」
と、言った。
その言い方こそ少しふざけた感じだったものの、表情はふざけているように見せていながらももっと、こう・・・何かを隠すようなそんな表情で、それが気にはなったものの、本人が否定していることを根掘り葉掘り聞くのは良くないと思い、
「あ、そうなんですか・・・。」
と答えるしかできなかった。すると、まあ、敏感な人だ。そんな空気も読んだのだろう。
「そうなんだよ。」
笑ってそう言った煌月さんは、
「あ、そうだ。そういえば・・・」
と見事に話題を転換して、
「これ・・・彗月から、“琴音ちゃんに会うなら、これ渡して!”って預かってきたんだけど・・・」
懐から小さな巾着袋を取り出して私の目の前に置いた。
「“僕の宝物だから、琴音ちゃんしか開けちゃだめ!”って言われてるから中身は見てないんだけど・・・」
そう言われて、そっと巾着袋を手に取る。
「“琴音ちゃんが開けたら見ていい”とも言われてる・・・」
そう言われたら、ここで開けないわけにいかない・・・笑
「なんでしょうね・・・?」
固いものが入った巾着袋の紐を解き、そっと手のひらに中身を取り出すと、
「石・・・?」
最初は思わずそうつぶやいたものの、それはただの石ではなかった。
古びた琥珀玉のように見えるその中には、淡くゆらぐ光が閉じ込められている。
その石を見ていると、ふと、胸の奥がじんと熱くなる。
この小さな光の中に、誰かの祈りと、誰かの想いが確かに息づいている・・・なぜか、そんな気がしたのだ。
 




