第298話 岐路 -2-
昨日と同じように蒼月さんが迎えにきてくれたので、私は静かな決意を秘めたまま、影渡さんにお礼を言って蒼月さんと受付処を出る。
「このまま天狗山ですか?」
何気なくそう聞いた私に、蒼月さんは少し考えるそぶりを見せてこう言った。
「腹は空いているか?」
確かに蒼月さんのところの朝ごはんの時間は早いので、まだ正午にはなっていないとはいえ少しお腹が空いた気もする。
「そうですね・・・空いているといえば、空いています。」
「そうか。」
ハハっと笑った蒼月さんは、
「それなら、天狗山には食事をしてから向かおう。」
そう言って、大通りを歩き出した。
市ノ街で蒼月さんとお昼を食べるのは、見回りのお供をした時以来だろうか。
(どこに連れて行ってくれるんだろう。)
そう考えるだけで、胸が躍る。
そうして軽くおしゃべりをしながら並んで歩いていたのだけれど、
「いらっしゃいませ〜」
遠くで微かに聞いたことがあるような声が聞こえて、ふと視線を向けると、お店の軒先でお客さんに涼やかな笑顔を振り撒いていたのは、
「あら、蒼月。」
雪女の氷華さんだった。
ただの幼馴染だ、と聞いているものの、自然と身体がこわばってしまう。
そんな私をチラリと見た氷華さんは、蒼月さんに向かって尋ねた。
「寄ってく?」
「ああ。」
そのやりとりを聞いて、お昼はここで食べるのだということを理解した。
席に案内されてもまだ妙な緊張感が抜けないでいる私を見て、蒼月さんが心配そうに顔を覗き込む。
「どうした?」
どうした・・・?
どうした・・・・!?
本当に、手練れな雰囲気のくせに、女心をさっぱりわかっていない蒼月さんに、むしろ脱力してしまう。
「いえ・・・なんと言いますか・・・」
言葉を濁しながら、正直に居心地が悪いと言ってしまってもいいものなのかと考えあぐねていると、
「なんでこんな女のところに連れてきたのよ・・・」
涼やかな声とはまるで正反対の強い言葉を聞いて、びっくりして振り返る。
そんな私を見て、氷華さんはクスリと美しく微笑むと、
「本当に、蒼月って女心がわかってないのよね〜。」
と、私が思っていたのとまったく同じことを言われて驚いた。
蒼月さんはその言葉を聞いてきょとんとした顔で氷華さんを見上げていて、氷華さんは氷華さんで、ジト目でそんな蒼月さんを見ながら「はぁ・・・」と軽くため息をついて、私たちの目の前にお茶を置いてくれた。
それから今度は私の目を見て、
「この前はごめんなさいね。ちょっとはっぱをかけようと思っただけだったんだけど・・・むしろ余計なことして傷付けちゃったわよね?」
困ったような申し訳なさそうな・・・そんな顔の氷華さんを見て、色々と謎が解けた。
(なんだ・・・思ったような人じゃないのかも・・・)
正直に言うと、仲良しマウントでも取りに来たのかと思っていたのだけれど(笑)、実はそうではないらしい。
「あ、いえ・・・そんな・・・」
とはいえそんなことは言えないので、こちらもまた濁して答えることしかできない。
けれど、そんな状況もきっと彼女は察したのだろう。
「今度は二人でぜひお茶でも。」
そう言った氷華さんは、私と蒼月さんから注文を取ると、調理場の方へと消えていった。
その後も、蒼月さんはさっきの言葉の意味がわからないままなのか、眉をひそめたまま何かを考えていて、ついには私に、
「女心がわかってない・・・?もしや・・・俺はまた何かやらかしたのか?」
と、困惑した顔で聞いてきた。
その顔がなんだかとてもかわいくて、愛おしい気持ちが胸いっぱいに広がる。そんな自分に呆れながらも、
「いいえ。大丈夫ですよ。」
とにっこり微笑むと、蒼月さんはほっとしたような顔になり、だけどまだ少し疑うようなそぶりで、
「本当か・・・?」
と言った。
(なんか、かわいい・・・)
だいぶ年上のはずなのにこんなにかわいい顔をされてしまうと、母性本能が大いにくすぐられる。
「本当です。」
思わずクスリと笑みが溢れてしまい、テーブルの上で両手で包むように湯呑みを持つ手を、私の手で上からそっと包む。
「言いたいことがある時は、ちゃんと言います。」
そう言った私に、やっと蒼月さんは安心したのか、
「ああ・・・こんな小さなことでさえ臆病になる自分がいるなんて・・・自分で自分に驚く。」
情けないな、と小さな声で言った蒼月さんは、今まで見たどんな蒼月さんより小さく見えて、
「おまえがいなくなるとか・・・考えただけで、胸が・・・苦しい。」
ポツリとそうつぶやいたのを聞いて、私も胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。
私は、目の前の蒼月さんをじっと見つめた。
普段はどこか達観していて、強くて、隙なんてひとつもなさそうな人なのに。
「胸が苦しい」なんて、そんなふうに言う人だったなんて・・・その言葉の重みに、心がじんわりと熱くなる。
「蒼月さん。」
私が名前を呼ぶと、蒼月さんははっとしたように私を見る。
「私も・・・同じです。」
視線を逸らすこともせず、真っすぐに気持ちを伝える。
「蒼月さんがいない毎日なんて、考えたくありません。」
お互い、まだ言葉にはできないことも多い。だけど、それでも。
「だから、ちゃんと伝えていきます。私も、ちゃんと聞くので。」
そう言ってそっと微笑むと、蒼月さんの肩の力がふっと抜けていくのがわかった。
「ありがとう。」
静かな声だったけれど、言葉の奥にある想いがしっかり伝わってくる。
そうしてしばらく、二人の間に心地よい沈黙が流れた。
湯呑みから立ちのぼる香りと、遠くから聞こえる店の気配。誰かの笑い声、土鍋の蓋がカタカタと揺れる音・・・全部が、やさしくて、あたたかくて。
(この時間を、大切にしたい。)
そう思ったとき、氷華さんが料理を運んできて、ふわりと香る湯気がふたりの間に舞った。
「お待たせ。さ、食べて、冷めないうちに。」
いたずらっぽい笑みを浮かべた氷華さんがそう言って、お膳を置く。
「ありがとう。」
「ありがとうございます。」
二人で同時にそう言って、目が合ってクスリと笑い合う。
たぶん私たちは、ほんの少しずつ、でも確実に、同じ未来を見つめ始めている・・・
そんな気がした。




