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九重親子の訪問 -1-

約束通り、午後になると九重ここのえ親子が屋敷を訪ねてきた。

小鞠さんが居間に案内すると、九重ここのえさんは部屋の装飾を興味深げに見渡しながら、ソファの座り心地を試すように軽く腰を下ろした。


娘の八重やえさんはその隣に静かに立ち、場の空気を読み取るように控えめな仕草で周囲を見渡している。


「とても不思議な座椅子ですが、とても座りやすいですね。」


ふわりと笑いながら九重ここのえさんが言うと、小鞠さんが


「そうであろう。これはソファと申して、琴音殿から教わった人間界の座椅子なのだ。」


と笑って返す。


その会話をきっかけにしばらく他愛ない会話が続いたあと、ようやく場が落ち着いたのを見計らって、九重ここのえさんがこちらを向くと、小鞠さんは空気を読んだのか、「それでは、ごゆっくり。」とだけ言って、居間を出て行った。


「さて・・・今日は、大事な話をしに参りました。」


彼女の声に、場の空気がすっと引き締まる。

蒼月さんがゆっくりと背筋を伸ばし、まっすぐに九重ここのえさんを見つめ返した。


「契約のことであろうか。」


うなずいた九重ここのえさんは、しばらく沈黙したのちに、落ち着いた声で言った。


「蒼月殿。あなたが望むのであれば、この契約は今この場で解除することもできます。わたくしは封印も解かれ、妖力は既に落ち着きを取り戻しております。先ほど、白翁様からも普通に暮らす許可をいただきました。もう、あなたに負担をおかけする必要はございません。」


そう言って、九重ここのえさんは少し微笑んだ。

長老からの許可と聞いて、そういえば彼女を封印したのは白翁さんと他の街の長老だったことを思い出す。


(勝手に封印を解いたりして、良かったのだろうか・・・)


ふとそんなことを思ったものの、封印を解いたのは私ではなく九重ここのえさん自身だったことを思い出した。


(まあ、解けちゃったんだから仕方ないよね。しかも、今はこんなに落ち着いているんだもん。しかし、意外と簡単に許可が出るものなんだな・・・)


長老と九重ここのえさんとの間でどんなやり取りがあったのかは想像がつかないけれど、長老の許可が出たというのは喜ばしいことだ。

そこまで考えて、二人の会話に集中を戻す。


「あなたが、この契約から自由になりたいと望むなら、わたくしはそれを止めません。」


言葉は優しかったけれど、その瞳の奥には凛とした強さがあった。

まるで、「あなたの決意を受け止める準備はできている」と言っているようだった。


蒼月さんは、ほんの少し視線を伏せてから、ゆっくりと口を開いた。


「・・・まずは、礼を言わせてください。この契約のおかげで、私は、美琴を救えたのですから。」


その名前を聞いた瞬間、胸がチクリとしたけれど、私は黙って聞き続けた。


「そして、あなたの力を借りて手にした妖力は、市ノ街の治安を守る上でも、大きな支えとなってきた。・・・本当に、感謝しています。」


そうしてゆっくりと、深く頭を下げた蒼月さんの言葉一つひとつは、心の奥底から丁寧に紡がれているようだった。


「しかし・・・あなたはもう、自由だ。かつてのように孤独に囚われることも、怒りに呑まれることもない。そんなあなたと今もなお繋がっているのは、私にとっても、あなたにとっても、不自然なことだ。」


蒼月さんの言葉に、九重ここのえさんはそっと目を細めた。

どこか安心したようにも、名残惜しいようにも見えた。


「・・・わかりました。」


小さく、しかしはっきりとした声で、九重ここのえさんはうなずいた。


「では・・・この契約は、これにて解きましょう。」


そう言って、彼女は手のひらを天に向けるように掲げ、ゆっくりと目を閉じた。

部屋の空気が一瞬ピリッと張り詰め、やがて淡い光が蒼月さんの周囲にふわりと揺らめいた。


しばらくして光が静かに消えると、空気も穏やかに戻っていく。


「・・・さあ、これで、わたくしたちの契約は解除されました。」


九重ここのえさんが、静かに微笑む。

そしてその隣で、八重やえさんもまた、ほっとしたような顔をして、一緒に小さくうなずいた。


「・・・ありがとうございました。」


蒼月さんはそう言って頭を下げると、ホゥっと息を吐いた。そして、


「さて・・・これからは自分の妖力だけでこの街を守らねばならぬゆえ・・・さらに精進しないとな。」


苦笑いをしながらそんなことを言うから、その場のみんながフフフと笑みをこぼす。


そんな中、それを聞いた九重ここのえさんだけは、少し意外そうな顔をしてこう言った。


「蒼月殿が今まで利用したわたくしの妖力はごくわずかです。この街を守ってきたあなたの妖力は、ほとんどがあなた自身のものですよ。」


その言葉を聞いて、私はもちろん、蒼月さんが驚きの表情に変わる。


「確かに、巫女を救った時、大戦争中のいくつかの制圧、そして、先日、幽月湖で川坊主を治めた時、そのあたりはわたくしも力をお貸ししましたが・・・」


九重ここのえさんが控えめにそう言うと、蒼月さんはそんなはずはないという口調で言った。


「いや、しかし・・・」


「おそらくあなたの潜在意識に、いざとなったらわたくしの強大な妖力を利用することができる、というような思い込みがあり、その思いがご自身の妖力を強めていたのでは?」


(・・・自己暗示ってこと?)


「そもそも、あなたが日常的にわたくしの妖力を使っていたとなると、わたくしの妖力は適度に発散されることになり、あそこまで膨れ上がることはなかったと思いますよ。」


(確かに・・・)


蒼月さんはそれを聞いてもなお信じがたいという表情をしていたけれど、


「そうだったのか・・・とはいえ、長きにわたるご助力を賜り、深く感謝申し上げる。」


すべては納得していないにせよ、何か思うところがあったのか、九重ここのえさんの言葉を受け入れたようだった。


蒼月さんの納得したような低い声を聞いて、九重ここのえさんはゆっくりと立ち上がり、


「こちらこそ、長い間、誠にありがとうございました。」


と、深く頭を下げた。


その姿には、かつての荒れ果てた九尾の狐の姿はもうどこにもなかった。

ただ、母として、あやかしとして、真っすぐに生きようとする一人の女性がいるだけだった。

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