第290話 人間界かあやかし界か -4-
満月の夜・・・なんだっけ?
記憶のどこかに引っ掛かるのに、それがなんだかわからない。
「どうかしましたか?」
影渡さんの声で我に返ったものの、もやもやが晴れない。
「あ、いえ。満月の夜に二人揃って、って・・・何か意味ありげだなあと思ってしまって・・・」
ふとつぶやくように言葉にすると、影渡さんも大きくうなずいた。
「そうなんですよ。なので、当時は色々と父も事件じゃないかと調べていました。でも・・・」
少し顔を曇らせた影渡さんは、じっと畳を見つめたまま、
「鷲尊さんの協力が得られなくなって、結局調査は打ち切ることになってしまったんです。」
鷲尊さん・・・
「鷲尊さんも、奥様のこととても愛してらしたみたいなので、悲しみに限界が来てしまったのかもしれませんね・・・」
いつも怒っているイメージしかなかったけれど、(って、一度しか会ったことないけど)そう言われてみたらそうなのかもしれない。
奥様のことをとても愛していたからこそ、というのは大いにあり得る。
特に、超天邪鬼そうなあの鷲尊さんなら・・・
「あ!なんかしんみりさせてしまってすみません!話を戻しましょう。」
急に私の顔が曇ったことを気にしてくれたのか、影渡さんは話題を変えた。
そして、
「琴音さんは今現時点ではまだ、いつ人間界に戻られるかは決めていない、ということでしたね。」
「あ、はい。ただ・・・」
「ただ・・・?」「人間界の時間軸で数日の間には一度戻る必要があるとは思っています。」
どちらにせよ会社と接触する必要があるのは確かだ。
戻るなら、戻る。辞めるなら、きちんと伝えて引き継ぎまでしなくては。
まあ、引き継ぐことなんてほとんどないけれど・・・
「ちなみに・・・」
影渡さんが何かを思い立った顔で私を見る。
「琴音さんは、お家の神社は継がないのですか?」
突然のその質問に一瞬呆気に取られながらも、反射的に答えてしまう。
「考えたことがないんですよね・・・」
そう、一人娘なのに、この問題について、しっかりと考えたことがないのだ。
そもそも勘が少し鋭いとはいえ、自分にそういった才能や能力を感じたこともなかっし、母もまだ若い。
なんだかんだ続いてきた家系ということなので、絶やしてしまうのは申し訳ないと思っているものの、両親からせっつかれたこともなく、ずるずるとここまできてしまっているのだ。
別に嫌なわけじゃ、ない。
どちらかというと、何の取り柄もない自分が巫女になっても、なんの役にも立たないのではないか、という気持ちのほうが大きいだけだ。
「一つ気になっていることがあるのですが・・・」
影渡さんはそうつぶやきながら、記録帳から一枚紙を破き、さらさらと文様を描き始めた。
「黄泉の扉を閉じるとき、こんな文様が岩に浮かんだかと思うのですが・・・」
「あっ!」
突然大きな声を上げた私に、影渡さんは少し驚いて私を見る。
「心当たりがおありですか?蒼月さんも琴音さんも、あの時少し驚いた顔をされていたので。」
すっかり忘れていた。
私もそれが気になって、蒼月さんに聞こうと思っていたのに。
「あ、はい。その文様、我が家の家紋なんです。」
そう言ってうなずくと、今度は影渡さんが驚きの声を上げた。
「そうなんですか!?」
知り合って間もないけれど、静かで落ち着いた雰囲気の影渡さんにしては意外なほどの大きな声で、何かありそうだということにすぐに気づいた。
「はい。なので、あの岩に突然その文様が浮かんだ時は、びっくりしました。蒼月さんも知っている感じだったので確認しようと思っていたんですけど・・・」
その答えを聞いて、影渡さんはにっこりと微笑んだ。
そして、私の両手を取って、こう言った。
「桜宮 琴音さん。通行証の問題は、多分、解決できます!」
突然フルネームで呼ばれたことに少し驚いて、後の言葉が入ってこなかった。
(あれ・・・?私、影渡さんに自分の苗字なんて伝えたっけ・・・?)
むしろ、こちらの世界に来て苗字を伝えたことがある相手など・・・あ、一人だけいる。
初めて長老にお会いした時は、さすがにフルネームを名乗ったからだ。
しかし、この世界はあまり苗字を重要視していなさそうだなと思ってからは、自己紹介も下の名前だけで済ましている。
そこまで思い出した時、先ほど影渡さんが放った言葉が、頭の中に戻ってきた。
「え!!」
一歩反応が遅れた私を見て、影渡さんはクスリと笑う。
「琴音さんの間の取り方、結構好きです。」
「いや、わざと間を取っているわけでは・・・」
「そうなんですか?」
「はい・・・」
そんなやりとりの後で影渡さんが発した言葉によって、先ほどの疑問は解決した。
「人間界にある陰陽院の創設者の一人が、あなたのご先祖様である、桜宮家の巫女で、それ以降、代々桜宮家の巫女は、陰陽院の監督機構である審神座のトップを務めているんです。」
・・・
・・・えーっと。
「すみません。仰っていることが、理解できませんでした・・・さにざ?トップを務める?うちの家系の巫女が・・・?」
今日一番混乱しているであろう私に、影渡さんは、
「では、言い方を変えましょう。」
と言って、コホンと軽く咳払いをした。
「あなたのお母様は、陰陽院のお偉いさんです。陰陽院の審神座は申請どころか許可を出す立場です。そのトップの血筋であれば、特例として通行枠が発行されてもおかしくありません。」
影渡さんは、さらっと私にそう告げると、さらに続けて、
「黄泉の扉にあの家紋が浮かんだのも、おそらく“審神座の血縁”であるあなたが黄泉の結界に触れたからです。あの岩に刻まれていたのは、封印者を認識するための「紋章認証」のようなものだったのでしょう。」
と言った。それを聞いて私はますます混乱し、反対に、影渡さんの顔は興奮で輝きを増していく。
「なので、人間界からの通行証問題は、解決しそうですね!明日、早速確認してきます!」
そう言って、「わー!あの方が審神座のトップだと知っていたら、絶対ご挨拶したのにー!」「そりゃ、神社の気が整っているわけだわ〜!」などとテンション高めなひとりごとを言っている影渡さんの顔は、今まで見たことがないくらいに晴れやかだった。




