第272話 奈落の門 -5-
黒悠之守は、その大きな身体を燻らせながら、徐々に地面へと近づいてくる。
そして、穴の真上をぐるりと旋回すると、穴に向かって、爪の先から真っ白い雷を放出した。
バリバリバリッ——!!
雷鳴のごとく空気を震わせながら、光の奔流が奈落の門の奥へと突き進んでいく。
まるで深淵そのものを焼き払うかのように、漆黒の空間がじわじわと狭まっていく。
「う、うわっ・・・!」
思わず耳を塞ぐものの、それでも肌にまで響く振動が身体を貫く。
穴の中では、黒い霧のようなものが暴れ狂い、雷と衝突しながら激しく渦巻いていた。
「ぐぅぅ・・・やはり!」
黒悠之守は低く唸り、
「華月院の息子よ、閉じる鍵はお主の妖力を必要としているようじゃ。」
と、蒼月さんに声をかけた。
すると、蒼月さんはその一言で理解したのか、小さくうなずくとすぐに、穴に向かって青白い炎を流し込み始めた。
青白い炎と真っ白な雷の作り出す、恐ろしくも幻想的な光景に、思わず息をのむ。
と、さらなる雷の閃光が夜の闇を裂いた。
その瞬間——
ガアアアアアアア!!!
穴の奥から、まるで悲鳴のような轟音が響き渡る。
黒煙が波のように押し寄せ、次の瞬間、まるで底知れぬ力が何かを引きずり込むように、穴の周囲の空気がねじれ始めた。
「門が・・・自ら閉じようとしているの?」
思わず口からこぼれた私の言葉に、蒼月さんが、目を細めながらつぶやく。
「いや、違う。これは・・・」
「奈落の主が、封じられまいと、最後の抵抗をしているのじゃ!」
黒悠之守が鋭く言い放ち、さらに雷を強め、蒼月さんも再び青白い炎を注ぎ込む。
その雷と炎が穴に吸い込まれていくたびに、穴の奥から響く呻き声が激しさを増していく。
そして、ゴゴゴゴゴ・・・と、穴の奥深くから突き上げるような地鳴りが響くと、悲鳴のような轟音が徐々に小さくなり始めた。
「よし・・・あと少しだぞ!」
黒悠之守がそう言った、その瞬間——
ガシャンッ!!!
穴の奥から響いた、まるで巨大な錠前が締まるような音。
その音を合図に、黒悠之守と蒼月さんが手を止める。
すると、奈落の主の声が絶望の咆哮となってこだまする中、それも徐々に遠くなっていき、最後には再び静寂に包まれた。
「これで、今度こそ、奈落の門は・・・」
私は息を詰めたまま、穴の奥を見つめる。
「まだ終わっておらぬぞ。」
しかし、黒悠之守のその言葉にハッとする。
そうだ、次は・・・黄泉の扉を閉じなければならない!
黒悠之守はその言葉の後、何やら天に向かって光を放つ。
すると、空から穴に向かって、黒い煙が大量に流れてきた。
続々と穴の中に流れ込んでいく黒い煙は、こちらにくる時に見たものと同様、おびただしい数の魑魅魍魎たちだった。
「こやつらも元の場所に戻さんとな。」
黒悠之守が、なんてことないようにそう言ってウインクをするから、思わずクスリと笑ってしまった。
そうだ。まだ、千引の岩は元の場所に戻っていない。
このままでは、だめだ。
黒悠之守が次々に死霊たちを穴に戻すのを横目に見ながら、蒼月さんはスッと千引の岩へと歩み寄る。
しばらくしてほとんどの死霊が穴の中に戻り、黒悠之守が「もういいだろう」と言ったのを聞いて、静かにその手を岩へとかざす。
それから・・・私に向かってこう言った。
「琴音。おまえの妖力を、少し貸してくれ。人間であるおまえの介入なしに、人間界に存在するこの岩を動かすことはできないのだ。」
私はすぐにうなずき、そっと蒼月さんの手に自分の手を重ねる。
じんわりとした温かさが、手のひらを伝って流れ込んでいく。
蒼月さんの妖力と私の妖力が混ざり合い、ゆっくりと千引の岩を包み込んでいく。
と、同時に、胸元に熱を感じた。
(なに・・・?)
胸元を見ると、首から下げた守り水晶が着物から漏れるくらいの光を発している。
(え、どういうこと?)
そんな疑問が浮かんですぐに、岩の表面に光の文様が浮かび上がった。
(あれ・・・?これは・・・)
その、見覚えがありすぎる文様を見て、少なからず驚いた私は、チラリと蒼月さんに目を向ける。
すると、蒼月さんもその文様を見て驚いた顔をしている。
「え・・・?」
思わず、蒼月さんにこの文様を知っているのかと聞こうとした、その時。
——グググ・・・ゴゴゴゴゴ・・・!!
まるで千引の岩が応えるかのように、ゆっくりと動き始める。
私は岩の下に広がる黒い穴を見下ろしながら、唾を飲み込んだ。
(これで・・・閉じる・・・!)
そして、最後の力を込めて——
「——閉じろ!!」
蒼月さんが低く命じるように叫ぶと、千引の岩がゴゴゴゴ・・・と振動しながら、ゆっくりと前へ滑り出した。
その動きに呼応するかのように、穴の奥から最後の名残惜しげな呻き声が響く。そして・・・
ズゥゥゥゥン・・・!!
こうして、黄泉の扉は、完全に閉ざされた。




