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第268話 奈落の門 -1-

結界を張っているからか、グラスボートのように水中がよく見える。


(もうこちらは琵琶湖側なんだろうか・・・?)


そんなことを考えていたら、急上昇をして湖上に飛び出した。


(夜・・・!?)


あちらの世界ではまだお昼くらいだったと思うけれど、こちらの世界は今、夜のようだ。

そのまま上空まで舞い上がった黒悠之守こくゆうのもりが、私たちに言った。


「暗闇なら多少は姿も紛れるであろうからな。好都合この上ない。」


そうして、ぐるりと上空で旋回する。


眼下に広がる街並みは、まるで無数の星が地上に降りたようだった。金色の灯りが川沿いに帯を作り、車の流れが蛍のように瞬いている。

かすかに車の走る音が響き、遠くで電車の低いうなりが聞こえる。


(ああ・・・)


久しぶりに見た上空からの日本の夜景に胸が締め付けられる。意図せず熱いものが込み上げてきて、思わず目頭が熱くなる。


「美しいな・・・」


隣にいた蒼月さんが夜景を見下ろしながらぽつりとつぶやいた。


「俺がいた頃はこんなに灯りが灯っていなかったし、あちらの世界とはまた違った色合いの灯りもあって・・・」


そうしてふと私を見た蒼月さんは、私の手をきゅっと握って、


「ここがおまえの故郷か・・・」


そう言って優しい顔で微笑むから、我慢していたのにあっという間に涙腺が崩壊した。

流れる風が涙で濡れた頬を冷やす。


蒼月さんは相変わらず優しい顔のまま、親指でそっと涙を拭ってくれる。そんな優しさに触れてさらに涙が溢れそうになっていると、


「まだ終わってないぞ。」


と、クスリと笑った蒼月さんを見て、一瞬で涙が止まる。


「そうでした!」


涙を袖で拭って軽く両頬をパンと叩いて気合いを入れる。


すると、黒悠之守こくゆうのもりは夜の空をゆるやかに旋回しながら、視線を湖の対岸へと向けた。


「さて、奴らはすでに向かっているはずである。黄泉比良坂よもつひらさかまで一直線といこう。」


そう言うと、黒悠之守こくゆうのもりの巨大な身体が大きくゆらめき、空気を切り裂くように飛行を開始した。


黄泉比良坂よもつひらさか・・・)


私の胸の奥に、冷たい緊張が広がる。

歴史や伝説の中だけの存在だと思っていたものが、今はっきりと「戦いの場」として現れようとしているのだ。


あるじ黄泉比良坂よもつひらさかの位置は把握しておるか?」


ふいに黒悠之守こくゆうのもりが問いかけてきた。


「はい・・・島根県の・・・あ、西にしばらく行くと大きめの湖が二つあって、その手前の方の湖の東岸・・・そのあたりにあったと思います。」


頭の中で地図を思い浮かべ、記憶を辿る。


神話好きの友人が言っていたっけ。


黄泉比良坂よもつひらさかはね、昔の神話では、黄泉の国とこの世をつなぐ道と言われているんだよ〜。』


その時は単なる神話の話として聞いていたけれど、まさか本当にそこへ向かうことになるなんて・・・。


「確かにあの地図でもそんな感じだったな。ただ、問題は・・・」


蒼月さんが少し考え込むように言葉を切った。


祝部ほうりべたちがどこまで計画を進めているか、だな。」


「うむ。だが、門を開くための準備にどれほど時間を要するか・・・」


黒悠之守こくゆうのもりがそうつぶやくと、蒼月さんは軽く腕を組みながら言葉を継いだ。


「黄泉の扉自体は、おそらく六条の鍵とやらですぐに開いてしまうだろう。しかし、奈落の門はどうだろうか・・・」


そういえば最近ちょいちょい出ていた「奈落の門」について、実はあまり知らなかったりするのだ。


「あの・・・奈落の門ってなんなんですか?」


知らないのは私だけのようで心苦しいけれど、知りたくてつい聞いてしまう。


「奈落の門は黄泉の扉のさらに奥にある門のことで・・・まあ、簡単に言うと、二重扉になっているということだ。」


簡潔な説明、ありがとうございます(笑)


「そうなんですね。え?ちなみに、開くと同時に魑魅魍魎ちみもうりょうが飛び出してくるのは・・・どちらの扉なんですか?」


二重扉になっているのはわかったものの、なぜそうなっているのかまではまだ理解ができていない。


「ああ、それは黄泉の扉の方だ。」


え!ということは、奈落の門がどうとかという話ではない。

それなのに、蒼月さんも黒悠之守こくゆうのもりも、奈落の門の心配ばかりしているのはなぜだろう。


すると、よほど難しい顔をしていたのだろう。

蒼月さんは私を見て、追加で説明をしてくれた。


黄泉の扉付近にいる魑魅魍魎ちみもうりょうは、外に出ると厄介ではあるものの、影響力も小さく、今現在もちらほら人間界には存在するものなので、急に大きなダメージを受けることは少ない。


とはいえ、一度に大量に溢れることを考えると、手を打っておく必要はある。


それに比べ、奈落の門の奥にいる存在は、彼らとは格も脅威もとにかく違う。

神話の時代から封印され続けた、人間とあやかしが決して開けてはならない深淵。

それが「奈落の門」であり、それを開こうとしている祝部ほうりべだけは絶対に今ここで止めなければならない。


「間に合わなかったらどうなるんですか・・・?」


私の問いに、黒悠之守こくゆうのもりはわずかに目を細めた。


「簡単なことじゃ。この世が、死者の世界に飲まれる。」


ぞくり、と背筋が凍る。


「ちょっ・・・それは冗談とかではなく・・・?」


「冗談で済めばどれほどよいか・・・」


黒悠之守こくゆうのもりの代わりに蒼月さんがポツリとつぶやいたその言葉を聞いて、改めて自分の拳をぎゅっと握る。


「風が不吉にざわめいている・・・急ごう。」


蒼月さんの言葉に、黒悠之守こくゆうのもりは大きく頷き、一気に速度を上げる。


夜風が強く吹き抜け、街の灯りが流れるように遠ざかる。

目的地はただ一つ。


黄泉比良坂よもつひらさか——

祝部ほうりべが待つ異界の扉、そしてその奥にある奈落の門へ——。

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