第239話 語られる真実 -8-
部屋の外から聞こえた硬いものがこつりと当たる物音でゆっくりと目が覚めた。
寝られるわけがないと騒ぎつつ、身体も温まっていたせいか、あっという間に・・・しかも、ぐっすりと眠ってしまった。
物音は小さいながらも断続的に聞こえてきて、どうやらお茶を淹れている音だということに気が付いた。
朝のひと時を邪魔して良いものかどうか迷っていると、布団の擦れる音に気が付いたのだろう。
「ああ、起こしてしまったか。すまない。まだ寝ていても大丈夫だぞ。」
外から声を掛けられて心臓が跳ねた。
「あ、いえ・・・目が覚めたものの、蒼月さんのお邪魔をして良いものかどうか迷ってただけです・・・」
襖越しに正直にそう伝えると、
「邪魔だなどと思うわけがないだろう。」
と言われ、一人でにやけてしまった。
ごそごそと布団から出て、最低限の身だしなみを整える。部屋に鏡がないのでどんな顔をしているかわからず、恐ろしい。
昨日湯浴み処のそばに洗面処があったのを思い出し、手拭いを持って襖を開ける。
「おはようございます。ちょっと顔を洗ってきます。」
両手で押さえた手拭いで目から下を隠しながらそう言うと、蒼月さんはそんな私を見てハハハと小さく笑いながら、
「よだれの跡がついていてもかわいいから安心しろ。」
と、朝から甘い冗談を言うので、顔を隠したまま「もぉぉ〜〜!」と言い残して速攻顔を洗いに行く。
(朝から甘くて倒れそう・・・)
出会ってからずっと基本塩対応だった人と同一人物とは思えない甘さに、まだ慣れない。
洗面処で顔を洗い、鏡で髪を整えて部屋に戻ると、
「おまえも飲むか?」
と、湯呑みを広縁の卓上に置いてくれたのを見て、こくりとうなずいた。
静かな空間で聴こえるコポコポとお茶を注ぐ音と、それとともに広がるお茶の香りに癒される。そして、開け放たれた窓の外では小鳥のさえずりが響いている。
いつもの朝と変わらないはずなのに、今朝はどこか違って感じるのは、二人だけだからだろうか。
「ありがとうございます。」
そう言って湯呑みを口元に運ぶ。すると、私をじっと見ている視線に気づいて、そっと視線を上げる。
今朝は、蒼月さんの視線を強く感じる。静かな時間の中でいつもよりも距離が近い気がして、思わず湯呑みのふちを指でなぞった。
「二人だけの朝は初めてだな。」
穏やかな微笑みを湛えた顔で低くつぶやいた蒼月さんは、
「こういう朝も・・・良いものだな。」
としみじみと言った。
いつもは小鞠さんや焔くんも一緒の朝。
それはそれで私の中ではすでに日常になっていてホッとする瞬間なのだけれど、蒼月さんが二人だけでも良いものだと言ってくれたのが嬉しい。
「ふふ・・・そうですね。」
自然と浮かんでくる微笑みと共にそう答えると、蒼月さんも目を細めた。
(なんだろう、これ。何かのご褒美かな・・・?)
甘く幸せな雰囲気に浸りながらそんなことを考えていると、蒼月さんが湯呑みを置いて言った。
「今日は一度市ノ街に戻ろうと思っていたのだが、予定を変えてこのまま雪ノ郷に向かいたいのだが・・・良いか?」
「はい。日帰りですよね?」
「・・・ああ。特に大きな発見がなければ日帰りで考えている。泊まりが必要であれば、身の回りのものは向こうで調達しよう。」
雪ノ郷は、一年中雪で覆われている街だと前に番所の授業で習った。
人間界では年に数回しか雪が降らない街で生活をしている私としては、楽しみで仕方ない。
そんなことを考えていたら、気になることが浮かんだ。
「草履はこれで大丈夫でしょうか?」
なんせ、ここは今、夏だ。
着物も草履も夏仕様なのだ。よくよく考えたら凍えるのでは?と心配になった。
しかし・・・
「ああ、大丈夫だ。そのための妖具屋が、街の入り口にある。その妖具を使えば、妖力がないおまえでも簡単に装備が整う。」
そう言われて、なんだかスキー場のレンタルみたいだなと笑ってしまう。すると、蒼月さんがそんな私を不思議そうに見たので、今考えていたことを説明してみる。
「それは興味深いな。今まで人間界に興味を向けたことはなかったのだが、おまえの話を聞いていると興味が湧いてくるな。」
前に焔くんも同じようなことを言っていたのを思い出して、何気なく聞いてみた。
「蒼月さんは、一度も人間界に行ったことはないんですか?」
「いや?大戦争が起こる前は人間界にかなり長いこといたぞ。」
その発言に素直に驚く。
「え?そうなんですか?」
「ああ。うちの家系は代々稲荷神の使役を務めていることもあって、子供達は最低でも二回ほど使役に出る。」
稲荷神?使役?言葉の意味はわかるものの、いまいち想像がつかずにいた私は、少ししてからお稲荷さんのことを言っているのだと気が付いた。
「え?それって、お稲荷さんの・・・?」
「そうだ。おまえの実家の神社にも、稲荷神はいるのか?」
「はい。稲荷神社はあります。」
「では、今も使役がついているかもな。影渡が見つかるまで戻ってこれなくてかわいそうだが・・・」
その言葉に、急にあやかし界とのつながりを感じた。そして、それと同時に、蒼月さんのことを何も知らないことに気が付いた。
「これからはもっと蒼月さんのことも教えてくださいね。」
知らないのなら、聞けばいい。そう思ってそう言うと、
「そうだな。おまえのことも、もっと教えてくれ。」
フッと笑った蒼月さんは、おもむろに私の左手を取ると、手の甲にそっと唇を押し当てて・・・
「俺は、おまえのすべてが知りたい。」
そう言って、そのまま上目遣いで私を見上げた。
(なんなのぉ〜〜〜〜〜!!!)
仕草の破壊力も高いけど、その言葉の破壊力よ!!
『おまえのすべてが知りたい』なんて言われたら、冷静ではいられない。
(え?え?)
これって一体どういう意味?え?そういう意味だよね??
いや・・・落ち着け、琴音。私に関するすべての情報が知りたい、という意味かもしれない。
うん、昨日のことを鑑みると、思わせぶりな草食男子の発言だ。そちらの可能性の方が高い。
(・・・・・・・)
そこまでを秒速で解析した私は、こんなことを考えていたなんて悟られないよう、
「はい!なんでも話せる仲になりましょうね!」
自分でもよくこんな言葉が出てきたなと感心するくらい、しれっと、そしてさらりと答えた・・・つもりだったけれど、言い終わった瞬間、自分の声が少し上ずっていたことには気づいていた。
そして、それを察したのか、蒼月さんはクスリと微笑んで、
「フッ・・・そういうところもかわいくてたまらんな・・・」
なんて、すべてお見通しみたいな顔で言うから、耐え切れず、私はまんまと真っ赤になって、今更感が満載だけど、その顔を両手で覆った。
それなのに、ほんの少しの間の後で、
「ハハハ。さて、二人とも起きていることだし、支度ができたら出かけるとしよう。」
いつもの通り、突然通常モードに戻った蒼月さんが、時計をちらりと見る。
朝霧の刻を回った頃──8時を少し過ぎたあたり。普段なら朝餉を終えて鍛錬を始めている時間だ。
「朝餉は雪ノ郷で取るとしよう。氷灯粥という名物がある。」
「お粥、楽しみです!」
まだ少し熱を持った頬をパタパタと仰ぎながら元気よくそう答えた私は、雪ノ郷に向かうべく、身支度を始めた。




