第228話 闇からの視線 -5-
夕餉の後に話をしようと言っていたものの、夜市で問題が起きたらしく、話は明日以降に延期となった。
「澪ノ苑 へは予定通り、明日、朝餉を食べてから出かける」とだけ言って、蒼月さんは夕餉の途中で出かけてしまった。
夜市での問題と聞いて、火だるま事件を思い出す。
結局あの事件は妖力の暴走ということで片付いているけれど、直前に聞こえたという獣の声については解明されていない。
今日もあの時と同じような事件なのだろうか・・・
とはいえ、私にできることは何もないので、せめて明日迷惑をかけないように・・・と、不安な気持ちを抱えつつも早めに眠りに就いた。
朝餉にはいつも通り蒼月さんもやってきて、食事をしながら夜市の話をしてくれた。
屋台で出している飲み物のアルコールの分量が多かったらしく、酔って騒ぎ出すあやかしたちが続出したらしい。
店主はいつも通りに作ったつもりだと言っていたものの、試しに飲んでみると、確かに度数が強いと認めた。
しかし、材料も作り方も今までずっと同じで、なぜ今回こんなことになったのかはわからないとのこと。
「暑さで発酵が進んだんですかね?」
焔くんのいうことも一理ある。けれど、「いつもと同じはず」がそうではなかったことの違和感はそのままにしてはいけないというのが私の信条。
人間界ではルーチンワークと呼ばれるものをしていて、そんな中でも「いつもと違う」ということがたまにあったけれど、大抵は放っておいてはいけないことだったという経験があるからだ。
『同じであることに意味がある。』
そう言っていた先輩の顔が浮かんでくる。
(・・・みんな、元気かな・・・)
思わず郷愁の念に駆られていると、
「琴音?」
不意に蒼月さんに名前を呼ばれて、我に返る。
「あ、すみません。ちょっと考え事をしていて・・・」
言おうかどうしようか迷ったものの、気になったので言うことにした。
「いつも通りがいつも通りじゃなかったのって、何か違和感ありませんか?材料や作り方が同じでも、その材料がどこで調達されたものかまでは屋台の人は把握してないんですよね?」
その言葉に、蒼月さんが「そうだな」と言って黙り込む。
昨日の時点では「大騒ぎ」にはなったものの「大事」になったわけではないからと、あまり追求はしていなかったようで、
「少し調べるか・・・」
蒼月さんはそう言って、どこかに・・・おそらく番所のメンバーだろうけれど、伝書を飛ばした。
蒼月さんの方が遥かにこの世界に詳しくて、番所での経験も長いのに、こうしてちょっとした私の違和感を笑わずに聞いてくれるところが、とても好き。
思えば、この世界に来て、蒼月さんはもちろん、番所のメンバーにだって、今まで一度も頭ごなしに否定されることはなかった。
と思った瞬間、鷲尊さんが頭に浮かんできて思わず苦笑いしてしまう。
けれど、街の人も、最初こそ警戒していたけれど、一度仲良くなるとみんな親切だし、突然迷い込んできた得体の知れない人間に、こんなに親切にしてくれる人たちだ。
きっと、この世界はとても親切で温かい世界なのだと思う。
(人間と普通に交流があったという時代は、一体どんな感じだったんだろう・・・)
今の人間界とあやかし界が普通に行き来できるように戻ったとしても、おそらくその時代のような交流は難しいと思う。
けれど、大々的にではなくても、こう、少しでも交流できるような世の中になったら・・・どうなるんだろう?
そんなことを考えたのは初めてだけれど、いつか影渡さんが戻ってきて、また行き来ができるようになったら・・・
(なったら・・・?)
私はどちらを選ぶのだろう・・・
その時が来たわけでもないのに、急に現実を突きつけられたような気がして、ショックを受けた。
そんな私の様子に気づいたのか、蒼月さんが心配そうな声で、
「何か気になることでもあるのか?」
と聞いてきたけれど、
「あ・・・いえ・・・なんでもないです・・・」
そう答えながらも、心の中ではもやもやとした感情が渦巻いている。
ふと沸いた疑問に、私自身が答えを見つけることができずにいる。むしろ、考えること自体が怖かった。
選ぶということは、どちらかを手放すことだから。
あやかし界には蒼月さんやここで知り合った人たちがいて、この世界での暮らしに幸せを感じている。けれど、人間界には思い出があって、家族や友人の顔が浮かぶたびに胸が締め付けられる。
「・・・そうか。」
蒼月さんの低い声が胸に響き、追及されない優しさにホッとすると同時に申し訳なさが込み上げる。
いつかは決めなくてはならない。だけど、今ではない。
今、私が一番優先すべきことは、あやかし界の有事を事前に阻止すること。
そのためには、まず、今日の人探しもしっかりとやらなくては。
改めて自分のすべきことを認識して短く小さくうなずいた私は、残りの卵焼きを口に運んだ。
卵焼きの柔らかな甘さが舌に広がると、不安でざわついていた心が少しだけ落ち着いて、この一口が、今日という一日をしっかりと乗り切るための力をくれる気がした。




