第221話 交わる想い -5-
沈黙だけが流れる中、ふっと俺を抱きしめる腕が緩む。そっと身体を離すと、俺を見上げる琴音と目が合った。
「本当に・・・すまなかった。」
名前を呼び間違えたことだけではなく、琴音に不安を感じさせたすべてのことを謝りたい。
「諸々きちんと説明させてくれ。配慮がまったく足りていなかったことを反省している。」
すると、琴音はふるふると小さく首を振りながら、
「私も怖がってばかりで聞こうとしなかったから・・・だから蒼月さんも話せなかったんだろうって思ってます・・・」
そう言って、ごめんなさい、ともう一度つぶやいた。そんな琴音の後ろ頭をそっと撫でていると、琴音の瞳がじんわりと涙で潤んできた。
「どうした?」
「いえ・・・本当に蒼月さんだ・・・って思ったら嬉しくて・・・」
この前のことを許してくれたかはわからない。
しかし、今この瞬間、俺とこうして再会できたことを喜んでいることを伝えてくれた琴音が、とてつもなく愛おしい。
満月の光に照らされて、潤んだ瞳がさらに輝きを増す。きゅっと閉じられた唇は薄い桃色に艶めき、そこから目が離せなくなる。
「琴音・・・」
その名を呼ぶ声が、思わず震える。琴音がそっとこちらを見上げた瞬間、俺の瞳に秘められた熱を感じ取ったのだろう。彼女の瞳には、期待と戸惑いが浮かんでいるように見えた。
琴音の顎に手を添えて、そっと持ち上げる。
拒否される様子がないのをいいことに、ゆっくりと、琴音に顔を寄せる。
月明かりの中、彼女の瞳がふるふると揺れるのが見えた。その瞳に映る自分を見つけると、まるで引き寄せられるように視線を外せなくなる。
琴音がそっと目を閉じた瞬間、俺の心臓がドクンと大きな音を立てた。ただ目を閉じただけなのに、俺に向けられたその無防備さが、とてつもない誘惑を感じさせる。
琴音の吐息が触れる距離まで近づくと、彼女のほのかな甘い香りが鼻先をくすぐり、その香りに、胸の奥が熱くなるのを感じた。
そうして、あと少しで唇が触れる・・・というところで、気づかなくてもいいことに気が付いた。
「すまない。ちょっと待っててくれ・・・」
目を閉じている琴音に小さな声でそう言うと、パチリと目を開けた琴音と一瞬だけ目を合わせた俺は、顔をあげて庭を見回すと、呆れた声を上げる。
「・・・覗き見とは、趣味が悪すぎるぞ。」
それでも庭は静まり返ったままだ。
「兄上、姉上、悠華。これは見せ物ではないぞ。そして、星華と彗月に至っては、まだ早い!」
もう一度庭を見回しながらさっきよりも大きな声で言う。すると・・・
「見つかっちゃったー!」
「あーあー。」
と子供二人が植木の陰から飛び出してきて、
「あ!こら!」
その後を追うように女子が子供たちを捕まえようと必死に手を伸ばした。
姉の娘の悠華と、その子供たちだ。
すると、兄と姉もそれぞれ姿を現して、
「やっぱり気づかれたか〜。」
「それにしてはギリギリまで気づかなかったわね。」
「相手はおじさまだから結界張ろうって言ったのに!」
などと、言いたいことを言っている。
「・・・で、何をしているのだ?」
ゾロゾロと俺たちのいる場所に集まってきた彼らに少し厳しめの口調で尋ねると、兄が、
「いやあ・・・蒼月が女の子口説いてるところなんてなかなか拝めないからさ。みんなで見にきた。」
と、悪ぶる様子もなく言う。
「ちなみに、母上はまだ責務中で、見に来れなくて悔しがってたよ。」
と余計な情報を伝えてくる。
そんな彼らにすっかり呆れていると、ふと胸の辺りに重みを感じた。
ふと視線を向けると、琴音がすっかり俺の胸に顔を埋めていて、その耳が真っ赤になっているのを見るに、この状況に照れて顔を隠しているのだろう。
そんな琴音をふわりと包むように抱きしめて、
「能天気な家族たちがすまない・・・」
そう言うと、胸に顔を押し付けたまま、くぐもった声で「いえ・・・」とつぶやく。
こんなに家族に囲まれていたのでは、続きなんてとんでもない。
「琴音を連れて帰る。」
そう言って、琴音の肩を抱いたまま、くるりと踵を返して歩き始めると、その言葉に、琴音の目が一瞬だけ見開かれる。
それから、小さくうなずいて微笑むのを見て、俺はその小さな仕草に安堵した。
しかし、数歩進んだところで、
「ちょ、ちょ、ちょ!泊まっていけばいいでしょ?せっかく来たんだし、琴音ちゃんには明日も手伝ってもらいたいし・・・」
兄が慌てて俺の前に回り込んで、両手で俺を制しながらそんなことを言ったので、
「前にも言ったが、うちでもできることだ。明日、兄上が必要な道具を持ってうちに来れば良いだろう?」
その手を軽く払って裏門に向かおうとすると、
「待って、待って!琴音ちゃんの荷物とか、どうすんの?」
そう言われて、確かにそうだなとふと足を止めた。しかし、
「あ・・・私、着の身着のままで飛び出してきたので・・・ここにあるものは全部煌月さんが用意してくださったもので・・・」
琴音のその言葉に、思わず不機嫌になった。
「全部捨てておいてくれ。」
すると、兄が「ひどい、ひどい」と言いながら追ってくるので、琴音が世話になった礼くらいは言っておくべきだなと思い直した。
「兄上。」
足を止めた俺を期待した顔で見つめる兄。
「琴音が世話になった。危ない目に遭う前に保護してくれたことにも礼を言う。主に世話をしてくれたのは菊乃殿だろうから、彼女にも礼を言っておいてほしい。」
そうして、今度はニコニコと緩んだ顔に戻って、「いやいや、気にしないでいいよ。」などと言っている兄に、
「それでは、明日、夕方、屋敷に来てくれ。姉上、悠華、それでは失礼する。星華と彗月は早く寝るように。」
名残惜しそうな顔をしている星華と彗月が、「蒼月おじさんと遊びたかったのに〜」と口を尖らせているので、二人の頭を軽く撫でてやる。
「琴音ちゃん!また遊んでね!」
いつの間にか面識があったのだろう。そんな二人の声を受けて、琴音は二人に手を振って「うん、またね!」と答えている。
さらに、琴音は兄や姉、悠華にもそれぞれ礼を言って深々と頭を下げていて、俺はそれが終わったのを見計らって、間髪入れずに絹の掛け布を琴音にしっかりと羽織らせて抱え上げる。
彼女の身体を抱えた瞬間、温かなぬくもりが俺の胸に広がり、一気に安心感に満たされた。
「わっ!」
久々に聞く琴音の驚きの声も、愛おしい。
そして、驚いた声をあげた琴音が、思わず俺の胸元を掴む仕草が愛らしく、胸がじんと熱くなる。
そんな様子を見て呆気に取られている兄たちをよそに、俺はそのまま別邸を後にした。
ここに来た方法と同じく、1分でも早く帰りたくて屋根の上を伝っていく。行きと違うのは、今は狐の姿ではないと言うことと、琴音が俺の腕の中にいると言うことだ。
幸せな重みを感じながら、軽快に屋根を跳び、あっという間に屋敷に到着すると、
「やっと帰ってきたな・・・」
そう言って、門をくぐったところで、そっと琴音を下ろした。




