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第220話 交わる想い -4-

この一週間、ほむらがずっとむくれている。


今日で琴音が飛び出してから八日が経つ。つまり、琴音のいない食卓も八日目なのだが・・・


「蒼月様の、バカバカバカ!」


聞き慣れたその叱責を、いつものように苦笑いで受け止める。

機嫌の悪いほむらのためにと、小鞠殿が夕餉ゆうげほむらの好物のハンバーグを作ってくれたというのに、この通り、機嫌がなおる気配がない。


ほむらがこうして怒るのも、翔夜に嫉妬心を抱くのも、仕方がない。なぜなら、ほむらは俺の使い魔で、妖力や感情、思考の面で俺の影響を受けている部分があるからだ。

それゆえ、俺がほむらに叱られるというのは、ある意味自分で自分を叱っているのと同じなのだ。


それを知っているからか、小鞠殿も特になだめもせずに静観している。





夕餉ゆうげを終えて部屋に戻ると、日課となった月を眺める。


「今日は満月か・・・」


そういえば、子供の頃一度だけ満月草に願いをかけたことを思い出す。

それまで満月草に興味を示さなかった俺が一度だけどうしても兄や姉には譲りたくないとごねたのだ。兄も姉も俺のその真剣な様子に驚き、満月草をすんなり譲ってくれたのだった。


そんな、人生で一度だけの俺が掛けた願いは、子供の頃、本当に短い時間ではあったが、共に過ごした人間の女子おなごとの再会だった。

五百年も前の出来事ゆえ、色々記憶も曖昧になってはいるが、初恋らしきものだったことだけは覚えている。


今となっては、願いは届かず会えずじまいだったのか、願いが届いて会えていたのに気づかなかったのかは定かではない。

俺が子供の頃に今の琴音くらいの歳だったことを考えると、俺が少年や青年になる頃にはもうかなりの年齢だっただろうし、なんならもう生きていなかったかもしれない。


ある程度の年齢を迎える頃には薄々その事実に気づいていたゆえ、再会は半ば諦めていた。満月草が話題に上がるたびにこのことを思い出すが、今では子供の頃の思い出の一つとなっている。


机の引き出しを開けて中を漁ると、奥の方から記録帳を引っ張り出す。

それを手に取りパラパラとめくっていくと、色は少し褪せているが、綺麗な形を保ったままの満月草の押し花が出てきて、


『蒼月の願いが叶いますように。』


母と一緒に心躍らせながら、この記録帳に願いを掛けた満月草を挟んだ時のことを思い出した。


そんな昔話を思い出したからだろうか。柄にもなく、満月草のことが気になった。

昔、兄と姉が毎月争うように探していた満月草。今まであまり気にしたことがなかったが、この屋敷の庭にまだ根を張っているはずだ。


庭に出て、満月草を探してみる。


(まあ、そんなに都合よくは見つからないか・・・)


少しの間庭を歩いてみたものの、結局、満月草は見つからなかった。


ふと立ち止まって、もう一度夜空を見上げる。


「日に日に会いたい想いが募るな・・・」


そうして、月を見上げたまま感傷的になっていると、いつもの定時連絡であろう伝書が届いた。


「はぁ・・・感傷に浸る時間すら与えないつもりか・・・?」


連日の楽しそうな兄の伝書を思い出し、今日は一体どんな嫌がらせが書いてあるのかと憂鬱な気持ちで目を通すと、そこには・・・


『琴音ちゃんが、蒼月に会えなくてさみしいって言ってるよ。迎えにきたら?』


俺の予想だにしていなかった言葉が並べてあり、気を取り直してもう一度読み直してみても、やはり書いてある内容は最初に読んだものと同じ内容だった。


すぐに一番近くの縁側から屋敷にあがり、そのまま自分の部屋まで一気に駆けた。

そして、慌ただしく外出用の着物に着替えると、食堂の卓の上に出かける旨の書き置きを残し、そのまま屋敷を飛び出した。



人の姿で駆けるのがもどかしい。



そう思った次の瞬間、狐の姿に変化へんげした俺は、壁を駆け上がり、屋根の上を跳ぶように渡り、自分でも驚く速さで稲荷評議会の建物の裏門の一つ・・・つまり、別邸への入り口へと辿り着いた。


「ふぅ・・・」


人の姿に戻って一息ついたところで、声をかけられた。


「速すぎない?」


声のした方向に視線を向けると、兄が裏門の柱に寄りかかってこちらを見て笑っている。


「この時を待ち焦がれていたもんでな。」


ありのままの気持ちを吐露して裏門をくぐろうとすると、


「これ、持ってってあげて。庭でずっと満月草眺めてて、湯冷めしそうだからさ。」


そう言って、俺に絹の掛け布を手渡す。礼とともにそれを受け取った俺は、はやる気持ちを抑えながら、庭へと急いだ。






満月の光に照らされる庭の一角でしゃがみ込んでいる後ろ姿に目が釘付けになる。


その後ろ姿は目の前の満月草に夢中なようで、俺のことにはまったく気づいていない様子だが。


たかだか一週間程度だと言うのに、こんなに小さな背中だっただろうか、髪の色はこんなだっただろうか、と懐かしさと愛おしさに襲われる。


手を伸ばせば届くところにいるのに、ここにきて、簡単に手を伸ばしていいものかと一瞬迷う。すると、


「・・・くしゅん」


その小さな背中がくしゃみで震えた。

そういえば、兄がこのままだと湯冷めするとかなんとか言っていたことを思い出す。


「そんな格好で外にいたら、風邪を引くぞ。」


思わず声をかけてしまって、意を決してその小さな背中に近づいて行く。

背後からの月の光が作り上げた俺の影が、俺の歩みに呼応するように伸びていき、ついには琴音の影と重なった。


絹の掛け布をそっとその背中にかけると、その瞬間、薄い絹が肩先でふわりと波打つ。・・・と同時に、琴音がこちらを振り返った。


「ずっと迎えに来れなくて、すまなかった・・・」


久々に会った琴音は、何か言葉を発しようとしたのだろう。口を少し開いた状態で俺を凝視している。

それからほんの少しの間のあと、琴音の瞳が揺れた。


「蒼月・・・さん・・・」


月の光を反射するその瞳が、まるで涙を含んだ琥珀のように輝いて見える。声を出そうとして震える唇が、俺の名前を紡いだ瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。

琴音に名前を呼ばれるたび、自分の存在意義を感じる。あまりこだわりのなかった自分の名前が、大切なものに思えてくる。


「琴音・・・」


同じように、ずっと一人で口にしていた名前をようやく本人に向けて口にした俺は、そのまま琴音を引き寄せて、ぎゅっと力強く抱きしめた。

すると、その華奢な体が小さく震えているのが伝わってきた。


「傷付けて悪かった・・・待たせたな。」


震える琴音の耳元でそうつぶやくと、琴音の細い腕が背中にまわり、俺をしっかりと抱きしめた。


それから・・・


「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」


小さな声でそう繰り返す琴音をなだめるように背中をさする。その肩越しに、月光に照らされる満月草が揺れるのが見えた。

この一週間、こんなにも近くにいたのに、ずっと遠く感じていた。ようやくその距離が縮まったことが、言葉にできないほどの安堵を胸に広げていく。


それから少しの間、二人の間に言葉はなかったが、ただ一緒にいるという事実だけで、すべてが満たされる気がした。

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