第219話 交わる想い -3-
琴音が飛び出して行ってから今日で七日だ。
俺の予想では一週間ほどで探査は終わると思っていたのだが、一週間経っても終わる気配がまったくない。
兄は約束通り一日一通琴音の様子を伝書で知らせてくれていたが、最初こそ、
『琴音ちゃんは昼餉の煮物が気に入った様子。甘味だと・・・』
などと、本当にありきたりのことばかりだったのが、最近では・・・
『今日は、探査の間に琴音ちゃんと甘味を食べに行った。琴音ちゃんは嬉しそうに美味しそうに食べるのがかわいいよね。』
『弱音ひとつ吐かない琴音ちゃんがいじらしすぎて、お兄さん、なんでも与えてあげたくなっちゃうよ。明日着物屋さんにでも連れて行こうかな。』
『探査で疲れてうたた寝している琴音ちゃんの寝顔がかわいすぎる。これ、どうしたらいい?』
などと、報告内容が私的なものになってきて、読んでいるだけで心がざわつく。そして、極め付けが今日のこれだ。
『琴音ちゃん、ずっとここにいてくれたらいいのに。よく気がつくし、本当にいい子だよね。ちなみに、琴音ちゃんからは、まだおまえのところに帰りたい等の言葉は聞いていない。』
・・・喧嘩を売られているのか、単純に面白がって煽っているのか。兄の性格を鑑みて考えてみても、苛立ちしか起きない。
「はぁ・・・」
毎晩俺がどんな気持ちで兄からの伝書を読んでいるのかなんて、琴音は知らないのだろうな・・・
まあ、兄が俺に琴音の様子を報告していること自体、琴音には言っていないのだろうが、そもそも琴音から一通も伝書が届いていないことが、さらに俺を落ち込ませる。
毎日満ちていく月を眺めながら、琴音のことを考えている。
琴音に会えたら何から話そうか、どう謝ろうか・・・琴音が飛び出していった日の夜に散々考えたことを、俺はいまだに考えている。
もちろん、あの日よりは考えがまとまるようにはなってきていたが・・・
(会えないことがこんなに辛いとは・・・)
美琴と暮らしていた時とは違う、琴音への想い。
それは、そばにいるだけで心が安らぐのに、どこか物足りなさが残る奇妙な感覚だった。事実、会える距離にいるのに会えないというもどかしさで、身が引きちぎられそうだ。
さすがに兄が琴音を取って食おうすることはあるまいと信じているが・・・
(いや・・・待てよ?)
俺と琴音の気持ちが通じ合ったことを、兄には特に話していない。
であれば、兄にとっては琴音はただ単に俺が想いを寄せている女だ。
(いや・・・名前を呼び間違えられて家を飛び出したんだ。それくらい、話してなくても気づくだろう?)
普通に考えたら、想い合っている男女の痴話喧嘩の類のようなものだと分かりそうなものだが、いや、どうなのだろう・・・
考え出したら急に不安になってきた。
兄はとにかく奔放で、女に手が早い。
身を固める気は一切なく、その時が楽しければいいという考えの男だ。
そんな兄が今まで刃傷沙汰に出くわすことなく無事に暮らしていけているのは、他人の女には手を出さない、同じ時期に複数の女を口説かない、後々面倒なことになりそうな女には近づかない、そして、その類稀なる口のうまさと人たらしの才能のおかげに他ならない。
『琴音殿からしたら、煌月の方がよっぽど魅力的に映るかもしれんな。』
この前小鞠殿に言われた言葉を急に思い出し、身震いする。
(琴音が兄に絆されて気持ちを移すことなど・・・)
あり得ないと言えるのだろうか。そうなってもおかしくないことをした自覚はある。
と同時に、兄と琴音のあってはならない想像が頭の中に鮮明に浮かんできて、思わず声を上げた。
「やめろ!」
ブンブンと頭を左右に振ってその妄想を取り払うと、俺は急いで兄に伝書を送る。
『まさかと思うが、琴音に手など出していないだろうな?』
火の玉でもぶん投げる様相で伝書を送ると、程なくして返事が返ってきた。
『ちょっとー。火傷するかと思ったじゃん。やめてよね。そういう嫉妬じみたこと。大人気ないよ。』
嫉妬という言葉でさらに俺を煽る兄に、もう一通送りつけてやろうかとも思ったけれど、
(頭を冷やした方がいいのは、俺の方だな・・・)
兄はともかく、琴音はそんな女じゃない。これまで幾度も彼女の誠実さを目にしてきた俺が、なぜこんな疑いを持つのだ。信じていないのは俺のほうではないか。
(いや、信じていないのではないな・・・)
自信がないのだ。確かに俺は兄に嫉妬をしている。
兄と、兄のような社交性もない俺とを比べて、勝手に自信をなくしているのだ。
このままでは自虐の海に沈みそうで、頭を冷やすために庭を少し散歩することにした。
庭は、あの日と同じく茉莉花の香りが漂い、わずかな風のゆらめきに乗って、微かに鈴虫の音色が聞こえる。
その庭の静けさが、俺の心を落ち着かせてくれるはずだったのに、逆に琴音の姿が脳裏に浮かび、胸の中のざわめきが強くなるばかりだった。
空を見上げると、歪な丸い月が夜の闇の中に浮かんでいて・・・
「会いたくてたまらないな・・・」
たった一週間なのに、琴音がそばにいないことがこれほどまでに俺をさみしくさせるなんて、誰が想像できただろうか。
月を見上げながら、琴音も同じ月を見上げているのだろうかなどと、柄にもないことを考えてしまうのは、きっと満月が近いからに違いない。
月は、いつもと変わらず夜空に浮かんでいる。
それが、どれほどの距離を隔てても琴音と繋がっているように感じさせる。
そして、それがまた、もどかしさを強める。




