第181話 境界線を超える予感 -4-
背後で微かに砂が擦れる音が聞こえた気がしたけれど、私の意識は私を包むこの人に奪われていた。
「・・・翔夜、くん?」
少しの沈黙の後、閉ざされた視界の中、小さな声で問いかけると、一瞬ぎゅっと腕に力が入った後、「ごめん」という声とともに、その腕はゆっくりと解かれた。
「ごめん・・・ちょっと立ちくらんだ。」
えへへ、と恥ずかしそうな顔でそう言った翔夜くんの意図がわからず、深追いはせずにその話に乗ることにする。
「え?大丈夫?」
「朝餉も昼餉も食ってないからかな・・・」
「え?ちょっと!これ、もっと食べたら?」
シフォンケーキで栄養なんて補給できないけれど、目の前にはそれしかない。
・・・いや、そんなこと言っている場合ではない。だけど、翔夜くんは留守番をしている身なので、昼を食べに行くことはできない。
私は私で一人での外出を禁止されているので買い出しにも行けず、どうしようと考えていたら、
「出前でも取るか〜。」
そう言われて拍子抜けした。
結局すぐに出前が届き、翔夜くんはそれを食べ終わると、ようやく落ち着いた様子で、
「今度こそ練習しますか!」
と、元気よく立ち上がり、私も翔夜くんと一緒に土間に降りると、広いところの方がいいということで、鍛錬に使っている前庭へと移動した。
翔夜くんは、まずは自分がやってみせると言って、説明を始める。
準備として、まずは深呼吸をして妖力を整え、心を落ち着け、守護結界や防御術を展開して自分を守る。
次に、観察をして状況を把握し、どの術が最適かを判断する。
そして、術式の構築。これは、使用する術の手順を頭の中で確認しながら動作を開始するまでの一連の流れとなり、もっとも重要なことである。
そこまでできたら、適切な妖力を注ぎ込み、術を発動する。発動後は、標的と周囲への影響を観察し、術を施し終えたら、自分の妖力の消耗を確認する。
慣れてしまえばこのような手順を踏まなくてもできるようになるけれど、慣れるまでは着実にこの方法を実践して練習すること、と言われた。
ちなみに、道具として用意してもらったメモ帳は、自分の妖力の残量を確認することができる便利な道具らしく、「残妖力」と書いてメモ帳に触れていると、残りの妖力が数字で浮かび上がってくるらしい。
そうして、いざ、試してみよう!ということになり、「水流の矢」を手順通りになぞっていく。
すると・・・
ザッ、ザッ、ザッ。
めちゃくちゃ足元近くではあったものの、扇子から小さな水の矢が放たれて、地面に当たって弾けた。
想像とかけ離れたしょぼさに、思わず笑いが込み上げてきてしまい、
「あはははは・・・」
そんな、中途半端な笑い声を上げた私に、翔夜くんは拍手をしながら、
「みんなこんなところから始めるからね。上出来、上出来。」
と褒めてくれた。あとはどれだけ集中して強く意図できるかだというので、ひたすら練習のみというところらしい。
そんなわけで、前庭で繰り返し「水流の矢」を練習していると、矢がだいぶまっすぐ飛ぶようになってきた。
そこに突然、背後で聞き覚えのある声が聞こえた。
「あら、琴音さん。妖術の練習してらっしゃいますの?」
その声に思わず術をかけながら振り返ってしまった。
(あ、しまった!)
その人に向かって飛んでいく水の矢を視界に入れながら、どうしよう!と気持ちが焦る。
「逃げて・・・!」
そう叫んだのと同時に、その人はその場で一歩踏み出し、手をひらりと軽く振った。その動きはあまりに滑らかで、まるで舞を見ているかのようだった。
そして、次の瞬間、その華麗な仕草で薙ぎ払われた水の矢は、空中でくるくると回転した後、そのまま弾けるように消えていった。
そんな普段「雅」を地でいく彼女の別の一面を目の当たりにして驚いた。
「千鶴さん!すみません!!大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄り心配する私に、千鶴さんはまったく意に介さない様子で、
「うふふ。大丈夫ですよ。」
そう言うと、
「実は、こう見えて、妖術は得意なんです。」
と、にっこり笑った。




