第180話 境界線を超える予感 -3-
昼餉を終えると、蒼月さんは長老からの急な呼び出しで出かけて行った。
何時に戻れるか分からないため、夕方の鍛錬も中止となった。けれど・・・
(あれ、試してみたい!!!)
練習帳に書かれた妖術が使えるようになるなんて言われたら、試さないわけにはいかない。
だけど、そんな私の魂胆なんて見え見えだったのか、
「おまえはまだ初心者以下だ。危険だから、一人でやるなよ。」
蒼月さんはしっかりと私にそう釘を刺して出かけて行った。
(ちぇー・・・)
蒼月さんを見送った後、トボトボと自室に戻った私は、
(まあ、読むだけならいいよね?)
居間のフロアソファの評判が良いらしく、琴音殿の部屋にも・・・と、小鞠さんが作ってくれたフロアソファに身を沈めて、水の元素の練習帳を開いた。
「ふふ・・・」
目次を見ただけで、思わず笑みが漏れてしまう。なぜなら、面白そうな術ばかりだからだ。
水流の矢、水鏡、潤いの息吹、水牢、雫の印、霧化・・・
詳細はページをめくってみないとわからないものの、名前を見ているだけで興味が湧いてくる。
と、そこに、ピコンという音と共に、伝書が届いた。
送り主は翔夜くんで、
『今日は久々に子供たちが集まったから、妖術の練習会だったよ。琴音ちゃんは何してんの?』
という内容だった。その内容に食いついた私が、
『え!いいな!私も練習帳をもらったんだけど、一人でやるなって言われてお預け中だから、練習帳を読んでたところです。』
そう返信すると、翔夜くんからはこんな返事が届いた。
『じゃあ、俺が見てあげるよ!この後番所の留守番で離れられなくなるから、今から迎えに行く!』
こういう時の翔夜くんは、親切なんだけど、行動力がすごい。
多分私が返事を出す前に番所を飛び出してくるであろうことが予想できるので、私は練習帳とともに扇子とメモ帳を風呂敷に包み、小鞠さんに声をかけて玄関で翔夜くんを待つことにした。そして、
『ありがとう。玄関で待ってます。』
そう送ったかどうかというタイミングで、翔夜くんが玄関先に現れた。
蒼月さんのお屋敷は番所のすぐ裏なので、近いと言えば近い。けれど、いまだに一人での外出は禁止だし、今日は焔くんがいないので、迎えに来てくれるのはありがたい。
番所に着くと、子供たちはもういなかったけれど、月影さんが出かける支度をしていた。
「月影さん、見回りですか?」
「いや、ちょっと調べ物をしに炎ノ里まで。」
そういえば、この前も月影さんは炎ノ里に調査に行っていた記憶がある。
(炎ノ里は温泉が有名って蒼月さんが言ってたけど、他にも何かあるのかな・・・)
そんなことを考えている間に、月影さんは出かけて行ってしまった。翔夜くんはと言うと、月影さんを見送ると、お茶の用意を始めた。
「あ、気付いてた?」
卓の上に置かれたお皿に、持ってきた包みを開いて中身を載せる。出掛けに小鞠さんから持たされたおやつのシフォンケーキだ。
小鞠さんはシフォンケーキがいたく気に入ったようで、昨日から何台も焼いている。
お茶の用意ができると、翔夜くんは私から練習帳を受け取り、パラパラとめくる。
「へ〜、琴音ちゃんは水と氷の元素なのか〜・・・って、うま!これ、何!?」
読むか食べるかどちらかにすればいいのに、シフォンケーキを一口食べて驚いている翔夜くんは落ち着きがない子供みたいでちょっと微笑ましい。
シフォンケーキについて説明してあげると、「人間界のおやつは、本当うまいよね」と、椿丸くんみたいなことを言いながら練習帳をパラパラとめくる。
一通り見終わったのか、練習帳を置いた翔夜くんは、私を向き直ると、
「水と氷、どっちからやる?基本的な水からの方がいいかなー。」
そう言って立ち上がった翔夜くんがなんとなく放った次の言葉に、私は反応した。
「水といえばさあ・・・街から少し離れたところに幽月湖っていう湖があるんだけど、昨日、そこに久々に川坊主が出たらしくてさ〜。」
「あ、それ見た。湖の中にあんな大きな生き物がいるなんて、びっくりしたよ。」
すると、翔夜くんは土間に降りかけていた足を止め、くるりと私を振り返った。
「え?琴音ちゃん、なんでそんなところにいたの?」
そんな翔夜くんに、昨日の夜、蒼月さんと食事に出かけた話をすると、翔夜くんは少し驚いた顔をして、
「・・・もしかして、蒼月さんとうまく行った?」
と言った。私はその問いかけには首を振り、
「あ、違うの。ただ、とある事情ですぐに屋敷に帰りたくなかった蒼月さんが、時間潰しに誘ってくれただけ・・・だと思う。」
そう伝えた。
実は・・・前に夕飯を一緒に食べた時、翔夜くんから告白された。
面白いし、楽しいし、いい人だけれど、どうしても友達以上の気持ちを持つことができない。しかも、その時の私はすでに蒼月さんにかなり心惹かれていた。
なので、ダラダラ先延ばししても意味がないと思って、お断りをしていたのだ。
その時に、翔夜くんから「蒼月さんと恋仲なの?」と聞かれた。私の恋心は見ててわかると言われてかなり恥ずかしい気持ちになったけれど、もちろん事実をありのままに伝えて恋仲であることは否定した。
翔夜くんからは、すぐには諦められないし、蒼月さんとのことを応援したりもしないけれど、困らせるつもりはないから、とりあえずは友達のままでいてほしいと言われ、私も承諾した。
そんなこともあり、すっかり友達のつもりでいた私は、少し無神経だったのかもしれない。
「ちょっとだけ・・・ごめん。」
声が聞こえたのとほぼ同時に突然視界が暗くなり、それは、私が抱きしめられているからだと気づくまでに、そんなに時間はかからなかった。




