第170話 秘密の開示 -11-
蒼月さんと同じ顔、同じ声で甘い言葉を囁かれて、脳が混乱した。
変なあやかしに騙されて、私が私の願望を見せられているのかと思った。
それが、実のお兄さんだとわかってとても驚いたけれど、仲が悪いと言うよりは、なんだか噛み合わない二人の対応に挟まれてどうしたらいいか分からなくなってしまった。
「すまなかった・・・」
引っ張られるように店を出て、大通りを歩いている中、蒼月さんに声をかけられて意識を戻したものの、実はそれどころではないのだ。
(手・・・繋いだままなんだけど・・・)
店を出る時に繋がれた手は、解かれず今もしっかりと繋がれている。
大通りには異形の姿をしたあやかしたちが行き交い、あちこちから食欲をそそるいい匂いが漂ってきて、黄昏色の街のあちこちに灯りが灯り始めている。
(これ・・・蒼月さん、気づいてないんだろうな・・・)
おそらく蒼月さんも何か考え事をしているのだろう。そのまま繋がれた手を自ら解いてしまうのはもったいなく感じて、私はできるだけ気づかれないように、握られたままにしている。
少しひんやりとしていた手が私の体温と混ざり合って、温度差がなくなるのを感じて嬉しくなる。
「・・・え?」
そんなわけで、蒼月さんがなんと言ったかを聞き取れず、再度問いかけるように顔を上げると、
「せっかく妖具を見に行ったのに出てきてしまって・・・」
(ああ、そんなことか。)
「あ、いえ、全然です。今度また連れて行ってくれるんですよね?」
そう言った私に、蒼月さんもふんわりと微笑んで、
「ああ、また今度な。」
と言う。
「ふふ、楽しみにしてます。」
また蒼月さんとお出かけできることが嬉しくて、すぐにそう答えると、蒼月さんは、
「さて・・・これからどうするか・・・」
と、独り言のようにつぶやいた。私はてっきりお屋敷に帰ると思っていたのだけれど、
「屋敷にはまだ母がいる可能性が高い・・・番所も避けたい・・・そうなると・・・」
番所も避けたい、の部分はよく分からなかったけれど、確かにまだお屋敷にはお母さんがいる可能性があって、きっと蒼月さんは顔を合わせたくないのだろうと思ったら、子供みたいでかわいいなと思ってしまう。
「どこか行きたいところはあるか?」
突然そう聞かれて、迷ってしまう。甘味を食べに行くのもいいなと思いつつ、出がけにシフォンケーキを食べたこともあり、言い出せずにいる。それ以外だと、どこに行ったらいいか分からない。
私としては、こうして蒼月さんと手を繋いでのんびり散歩するだけでも十分すぎるほど嬉しいのだけれど、繋いだ手はいつ解かれてしまうか分からない。
「私は全然分からないので・・・蒼月さんのおすすめはどこですか?」
正直にそう言うと、蒼月さんは少しの間宙を見つめて考えた後で、
「たまには外で夕餉にするか?少し遠いのだが、おまえの好きそうな場所がある。」
と言った。その瞬間、繋いでいた手は自然に解かれてしまったものの、私の好きそうな場所を考えて連れて行ってくれようとしていること、初めての二人きりでの夕食など、ときめき要素が満載で、ついにやけそうになるのを必死で堪える。
「はい、ぜひ!楽しみです!」
そんな気持ちを隠すように、無駄に元気にそう答えた私は、こんなにいいことばかりで罰でも当たるのではないかと不吉なことを考えながらも、蒼月さんとの(勝手に)デートが楽しみすぎて、結局ニヤニヤしてしまう自分を止めることができなかった。
どんな場所なんだろう?少し遠い、と言うことは郊外なのかもしれない。
そんなことを考えていた私の予想は、あっけなく覆された。私の返事を聞いた蒼月さんは、
「そうか。では、行くぞ。」
と言うや否や、私をお姫様抱っこで抱え上げ、
「しっかり捕まっていろ。」
と告げると同時に、高く跳び上がった。それからは、あの滝上の草原からの帰り道の逆バージョンだ。裏通りに入ると、屋根の上を伝って跳びながら、街の外へと向かっていく。
そうして市ノ街の喧騒から少し離れると、街灯の明かりが次第に減り、辺りは静けさを取り戻していく。
さっきまで耳を満たしていた人々の笑い声や活気ある屋台の呼び込みはすっかり遠のき、代わりに風が葉を揺らす音や、夏の夜の虫たちのささやきが心地よく耳に響く。
すると、今度は次第に緩やかで微かな音が混ざっているのがわかった。
――ぽうん、ぽぉうん。
まるで風そのものが音を紡ぎ出しているかのような、不思議な音色だった。
パイプオルガンの音に似ていなくもないが、なんだろう、少し違うのだ。
「この音・・・なんだろう?」
蒼月さんにもたれかかりながら、目を閉じてその音に耳を澄ます。すると、蒼月さんは跳び続けながら、
「これは、笙の音だな。」
悠然と、誇り高く奏でられるその音色は、その高貴な雰囲気の中に、懐かしさも感じさせる。
そうして徐々にその音源が近くなると、ますます私はその音色に魅入られていった。それから少しして、
「着いたぞ。」
蒼月さんの声で我に返り顔を上げると、
「わぁ・・・」
私の目の前には信じられないような光景が広がっていた。
蒼月さんは、驚きで湖に釘付けになっている私に「降ろすぞ」と声をかけると、そのままゆっくりと私を地面に降ろした。
湖面は静かで、黄昏時の沈みかけの太陽が映り込んでいる。風が波を揺らすたび、光の道が水の中でゆらゆらときらめいている。
また、足元には小さな砂利道が続き、所々に灯籠のような明かりが並んでいる。
それは灯りそのものが呼吸をしているかのように微かに揺れていて、湖畔全体をほのかに包んでいた。
「なんと言うか・・・幻想的ですね・・・素敵・・・」
ここ最近は都内から出て旅行などをしていなかったこともあり、こんな景色を目にするのは久しぶりだ。
その景色に釘付けになったまま、ぼんやりとそうつぶやいた私の隣に立つ蒼月さんが、
「ここは、幽月湖と言う。そして・・・」
蒼月さんが指をさす方向に目を向けると、目の前の桟橋からすぐ先の湖上に建物が見える。さしずめ和風バンガローのようだ。
格子窓の向こうには狐火のような灯りが揺れ、湖上には何本かの柱が立っていて、川床のようなテラスが見え、そこにも灯りが浮かんでいてとても美しい。
「あれが、幽幻亭。今夜はあそこで食事をしよう。」
この幻想的な景色の中に微かに聞こえる笙の音。私の隣には想い人がいて、湖上の素敵なレストラン(食事処というべきか)で食事をしようと誘ってくれている。
まるでデートのような最高のシチュエーションに、夢でも見てるのではないかと疑いたくなる。
こんなに幸せなことがあってもいいのだろうか?
反動でまた良くないことが起こるのではないか・・・?
そんな不吉な考えが一瞬頭をよぎる中、
「行くぞ。足元が暗くなってきたから気をつけろ。」
その瞬間、微かな風が湖面を撫でるように吹いてきて、それとともに笙の音が一瞬だけ強く響いた気がした。
蒼月さんは、私を振り返って「ほら」と微笑みながら、その手を私に差し出した。
その表情は、前に団子屋さんで草履を直してもらった時と変わらぬ微笑みだ。
あの時は差し出された手に自分の手を重ねるまでに葛藤があったけれど、今回は、迷わずその手に自分の手をそっと重ねた。




