第166話 秘密の開示 -7-
久々に蒼月さんとお出かけできることになって、少し浮かれている。
楽しみな予定があるからだろうか、鍛錬にも気合が入り、お昼まであっという間だった。
(午後って何時だろう・・・妖具屋さんって、どんなところだろう・・・)
蒼月さんは外で昼を食べてから用事を済ませて帰ってくると言っていたものの、それが何時かまではその時点ではわからないという事だった。
今日はちょうど鬼ごっこの講師である火威くんもお休みということもあり、焔くんとの午後の鍛錬はお休み。
その代わりというのもなんだけど、蒼月さんが戻ってくるのを待ちながら、小鞠さんとシフォンケーキを焼くことになった。
「わあ!すごい!」
泡立て器なんてものはこの世界にはないものの、小鞠さんの妖術であっという間に生地が攪拌されていく。一体どういう原理なんだろうと毎回不思議でたまらない。
「出来上がりが楽しみなのじゃ。」
最近小鞠さんは人間界のスイーツにはまっているようで、先日ついには、台所の勝手口の外にかまどまで作ってしまった。
そこで、今日はシフォンケーキを焼いてみようということになったのだ。
味はプレーンと影葉茶。紅茶のシフォンや抹茶のシフォンも美味しいので、影葉茶のシフォンもきっと美味しいはず。そう思って、2種類作ってみることにした。
ということで、無事二台をかまどに入れて、焼き上がるまでの四半刻(30分)程度、お茶をしながら待つだけだ。
しばらくすると、あのケーキが焼けてきた時の独特の甘い香り、そして影葉茶の香りが漂ってくる。
「これは待ちきれん・・・」
小鞠さんがうっとりとした顔で漂う香りに耽っている。その香りに釣られたのか、焔くんまで食堂にやってきた。
「これ、なんだ!?すげーいい匂いがする!」
外のかまどの前をうろうろしながら喜びの舞を踊る焔くんを眺めながら、小鞠さんにはこの後の手順を説明する。
「ふむ・・・焼き上がってすぐには食べられんのか・・・まあ、仕方ない。冷めるまで逆さまにしておく、じゃな。わかった。」
そうしてみんなでソワソワしていると、玄関の戸が開く音がした。
小鞠さんは「おや・・・?」と呟き、その横顔には、少しだけ思案するような表情が浮かんでいた。しかし、その仕草の意味を深く考えず、私は勢いよく立ち上がった。
「蒼月さん、帰ってきましたね!!」
そう言って食堂を出て行こうとした私に、小鞠さんが背後から「あ・・・!」と声をかけた気はしつつも、少し浮かれて気がはやっていた私は、立ち止まることなく玄関へと向かった。
「お帰りなさい〜!」
玄関に見える人影にそう声をかけながら近づいていくと、
(・・・あれ?)
近づくにつれて、人影は蒼月さんではないことに気が付いた。
(誰だろう・・・?)
そう思いながらも玄関に到着すると、玄関に立つ女性は、まるで月光をまとったような上品な佇まいだった。
淡い紫の着物に銀糸で縫われた花模様が揺れ、その姿はまるでこの場に現れたこと自体が御伽話であるかのようだった。
「あ、申し訳ありません・・・人違いをしてしまって・・・お客様だとは思わなくて・・・」
とりあえず間違えを謝罪して、頭を下げる。すると、その女の人は何も言わず、静かに私を見つめた。
その瞳の中に、ただならぬ威厳が漂っているのを感じる。
(視線が外せない・・・)
蛇に睨まれた蛙とは、今の私のような状態を指すのだろう。
睨まれているわけでもないのに、視線は女の人に張り付いたまま、身体が硬直して動かない。
「そなたは・・・?」
その静かな声が、まるで呪文のように私の意識を引き戻した。
私はその声に操られるように、じっと目を見返したまま答える。
「あ・・・私は琴音と申します・・・訳あってこちらでお世話になっています。」
その答えに、女の人は少しだけ表情を変えた。驚きの表情から微笑みに変わり、そしてこう続けた。
「ああ、そなたが。」
彼女の発した言葉の意味を考えていると、背後からパタパタという足音がして、小鞠さんが現れた。そして、彼女を見るなりこう言った。
「これはこれは・・・麗華殿。お久しゅうございますな。」
小鞠さんはこの人を知っているらしいことが言葉から読み取れる。この綺麗で威厳のある人は、いったい誰なのだろう。
「お久しゅうございます。小鞠殿もお変わりなくて何よりですわ。」
そんな会話をしながら、小鞠さんは私の背中に軽く触れる。その瞬間、私の身体の硬直が解けて、私は思わず声を漏らした。
「わ・・・」
そんな私を見て、小鞠さんはニヤリと微笑んだ後、こう言った。
「琴音殿、自己紹介は済んだかえ?こちらは麗華殿。蒼月の母君じゃ。」
(ああ、そうなんだ。蒼月さんの母君か・・・)
・・・
・・・・・
・・・・・・・・
「・・・・・え!?」
その沈黙が長かったのか短かったのか、自分ではまったくわからない。
けれど・・・自分が発した声が相当に裏返っていたことだけは、痛いほどわかっている。
「蒼月さんの・・・!?」
お母さん!?という言葉は表には出なかったようだ。
気づくと床にペタンと正座をして、深々と頭を下げていた。
「た、大変失礼いたしました!」
そんな私を見て、小鞠さんはくくくと笑いながら「慌て過ぎじゃろう」と言う。さらに、蒼月さんのお母さんは私に追い打ちをかけるようにこんなことを言った。
「まあまあ、お顔をあげてくださいまし。琴音殿には息子が大変お世話になっているようで・・・ほんに、ありがとうございます。」
ど、ど、どう言う意味だろう・・・お世話になっているのは私の方で・・・・
「と、とんでもございません!!蒼月さんは私の師匠です!お世話になっているのは私の方で・・・」
自分が何を言っているのか分からない。ただ頭を下げ続けるしかない私の耳に、突然聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「母上!?」
その声にハッとして顔を上げると、そこには蒼月さんが立っていた。それから一瞬、私とお母さんの間に視線を投げかけると、僅かに眉が動いた。
「ここで何を!?」
驚きと警戒心、そして微かな困惑が入り混じった声が、静かな玄関に響く。
しかし、そんな蒼月さんを気にする様子もなく、お母さんは一瞬で柔らかい表情になると、
「愛する息子に会いに来ただけですよ。」
女の私でも思わず見惚れてしまうような微笑みを浮かべて、蒼月さんの頬に手を当てた。




