第164話 秘密の開示 -5-
今日も蒼月さんは現れないのだろうな、と思いながら食堂に向かったのだけれど、入り口でまさかの遭遇を果たし、そのあまりにも想定外の出来事に言葉に詰まってしまった。
それなのに、蒼月さんは何事もなかったかのように、
「おはよう。」
そう私に声をかけてきて、さらに、
「ああ、昨日上掛けをかけてくれたのはおまえか?ありがとう。」
そう言って、私に優しく微笑みかけた。言葉の端々に優しさが溢れている以前の蒼月さんだ。
「お、おはようございます!・・・あ!起こしちゃってましたか!?」
必要以上に焦りながらそう答えると、
「いや、なんとなくそう思っただけだ。」
目を細めて優しく笑う蒼月さんを見て、たったそれだけのことなのに涙が込み上げてきそうになった私は、それを誤魔化すようにエヘヘと作り笑いをすると、
「今日は朝の鍛錬頑張ったのでお腹ぺこぺこです!」
そう言って、顔を見られないように蒼月さんより前に立って食堂へと入って行った。
朝の鍛錬をいつも以上に頑張ったのは本当。重い気持ちを振り払うように、焔くんにいつもよりも難しくしてもらっていたのだ。
そのおかげか気持ちもかなりスッキリしていて、「ただの弟子でもいい。そばにいられるだけでいい。笑ってくれるようになったらさらに嬉しい。」という境地に立てていたのだけれど・・・
(避けられてたわけじゃ・・・ないのかな?)
蒼月さんの急な態度の変化に、さらに戸惑った。
情緒不安定なわけでもなさそうだし、本当にただ忙しくてピリピリしていただけだったのかもしれない。
そう思ったら、その一挙手一投足に振り回される自分の単純さにちょっと呆れてしまった。
(まあ、でも・・・誰かに恋してる時って、そんなもんだよね。)
今までの経験でもそんなことを繰り返してきたことを思い出し、改めて蒼月さんに恋をしているのだということを認識する。
そんなことを考えて、ふふふ・・・と笑いながらご飯をよそっていると、
「朝の鍛錬で壊れたのか?」
横で卵焼きをお皿に乗せていた蒼月さんが訝しげな顔で聞いてきた。そんなやりとりさえも懐かしくて、嬉しくて、
「違いますよ!いつも通りであることの素晴らしさを堪能してただけです。」
そう答えた私に、蒼月さんは表情を変えることなくこう言った。
「そうか。それは良かった。おまえは今日も笑顔がかわいいな。」
(・・・!?)
一瞬、聞き間違えたかと思った。でも、何度反芻しても、今、かわいいって・・・言ったように聞こえた。
特別な意味なんてきっとない。ただ、犬や猫に言うのと同じような感覚なのだろう。だけど、受け取る私にとっては一大事だ。
「え・・・えっと?」
あからさまに挙動不審になった私を見ても、蒼月さんにはその理由がわからないらしく、
「どうした?」
怪訝な顔をして、私の顔を覗き込みながら、「おまえも卵焼き、好きだろう?」と言って、私の分もお皿に取り分けてくれる。
(どうした、どうした、どうした!?)
塩対応 → さらに塩対応 → 普通 → 慣れてきたのか少し優しい → 優しい → 避けられてる? → 優しいを通り越して甘い!?
突然自分に向けられた過度にも思える優しさに、理解が追いつかない。
ごはんをよそうしゃもじを持つ手がかすかに震え、しまいには、その想像を超える破壊力に太刀打ちすることができず、
「あ・・・ありがとうございます・・・」
今言える精一杯の言葉を発した私は、ギクシャクとした動きでお茶碗とお皿を持って席に戻る。
顔の熱さがひどくて、自分が真っ赤になっているのがわかるし、恥ずかしくてたまらない。とにかく今は、この場から逃げ出さなければ。
「ちょっと・・・手を・・・洗ってきます・・・」
本当は顔を洗いたいのだけれど、そうとも言えず、
「手ならここで洗えばよかろうに。」
と言う小鞠さんの声を背後に聞きながら、逃げるように食堂から足早に外に出た。
手水場で手を洗い、そのまま冷たい水で顔を洗う。鏡を見ると、案の定、真っ赤な顔をした自分が映っている。
「はぁ・・・」
何度か顔を洗うと、ようやく顔の火照りが取れたように感じる。
こんなにちょっとしたことで、私はすぐに嬉しくなってしまう。好きと言う気持ちが溢れてきてしまう。
避けられてるのかもと思っても、少しの会話でそんな不安は飛んでいく。
巫女さんのような存在にはなれないと落ち込んでも、少しの微笑みでそんなことどうでも良くなってしまう。
「ふふふ・・・」
少し情けなくて、でも、そんな単純な自分が好き。
些細なことで自分の正直な気持ちに気がついた。
(やっぱり、私・・・蒼月さんが好き。)
もう、強くなることに専念する、とか、憧れみたいな恋、とか、そんなのはやめよう。
そんなのはこれ以上好きにならないための予防線、言い訳だったことなんて、自分が一番わかっている。
大事なのは「蒼月さんが私をどう思っているか」ということじゃ、ない。
「私が、蒼月さんをどう思っているか」だ。
「なんかスッキリしたな〜・・・」
すっかりと赤みは取れて、触れるとまだひんやりとしている自分の頬にもう一度手を当てて鏡を覗き込むと、そこには妙にさっぱりとした表情の自分がいた。
正直、知り合ってまだ二ヶ月ほどの人にこんなに惹かれてもよいものだろうか。もっともっと内面を知ってからじゃなくてよいのだろうか。
知っているのは彼の少しの笑顔と、時折見せる厳しい表情。そして、めちゃめちゃ強いのに、実は甘いものが好きだということくらいだ。つまり、ほぼ、何も知らないに等しい。
弟子が師匠に恋心を持っているなんて知られたら、幻滅されて嫌われてしまうかもしれない・・・
そもそも、蒼月さんはあの雪女の氷華さんとお付き合いをしている、もしくはそれなりにいい関係である可能性が高い。それに、この前会った女の人との関係も不明だ。
さらに、さらに、もっと大きな問題もある。私は人間、蒼月さんはあやかしだ。これだけを理由にしても成就しない可能性の方が大きい。
・・・怖い。考え出したら不安なことばかりなのに、こんなに好きだと思ってしまうのが怖い。
でも、そんな不安もありはするものの、なぜだろう。心の中では「この人だ」という妙な確信がある。
(蒼月さん、大好きーーー!!)
大きな声は出せないので、心の中で思いっきりそう叫んだ。気持ちを新たにして、生まれ変わったような気持ちで一日を始めよう。
もしかしたら、また避けられたり塩対応されることもあるのかもしれない。
だけど、もうそんなことには振り回されない。
蒼月さんが好き。この気持ちはもうブレない。
そして、最低限、弟子として、蒼月さんの役に立てる自分にもなりたい。
欲張りかもしれないけど、大丈夫。恋する女の子は、強い。
この数分で嘘みたいに気持ちの晴れた私は、自分の気持ちに覚悟を決めて、食堂へと戻った。




