第160話 秘密の開示 -1-
あの裏庭での稽古から数日が過ぎた。
あの日を境に、夕方の鍛錬は焔くんに稽古をつけてもらっている。
と言うのも、蒼月さんがまた何やら調査を始めたらしく、忙しくなってしまったからだ。
蒼月さんに稽古をつけてもらえないのは少しさみしいけれど、焔くんと交代したことで分かったこともある。それは・・・
「ちょっと〜!すばしっこすぎる!」
焔くんは蒼月さんより背が低く、動きもすばしっこい。
なので、今までと同じ感覚では通用しないのだ。そうなると、今まではただ慣れで動けていたつもりになっていただけなのだという事が身にしみる。
「いつも蒼月様みたいな背格好の相手とは限らないだろ!ほらっ!」
焔くんはそう言いながら、木刀を軽やかに動かして懐に切り込んでくる。
蒼月さんの稽古はどちらかというと型を磨く練習が多かったが、焔くんはスピード勝負の中で動きの感覚を掴ませようとしているようだ。
(蒼月さんの稽古とはまた違う筋肉を使う気がする・・・!)
焔くんとの鍛錬は、身体の使い方に新しい視点を与えてくれる。けれどその分、身体中に疲労感が広がるのも事実だ。
そんなこともあり、鍛錬が終わる頃にはへとへとで、湯船に浸かる時間が何よりの楽しみになっている。
「はぁぁぁ・・・」
湯船に浸かり、今日も疲れた身体がじんわりとほぐれていく感覚を味わう。
身体中の筋肉が緩み、心地よい幸福感に包まれるこの時間は、何よりも贅沢なひとときだ。
そうして一通り身体が温まると、いろいろなことを振り返る。
しかし、一番多く頭に浮かんでくるのは、やっぱり蒼月さんのことだった。
(そういえば、最近の蒼月さんの態度・・・以前とは違う気がする・・・)
数日前、番所に出かけるのを見送ったときのことだ。
朝餉を終えた蒼月さんが出かける準備をしているところに、挨拶をしようと玄関まで見送りに行った。
いつものように「いってらっしゃい」と声をかけたつもりだったけれど、
「行ってくる。」
そう言った蒼月さんの返事が、少しだけ柔らかく聞こえた。
いつもよりもわずかに優しい声色だった気がする。いや、私の思い過ごしや願望なのかもしれないけれど。
それだけじゃない。
最近の蒼月さんは、言葉の端々や視線の動きに以前と違う何かを感じさせる。
表情は変わらないのに、どこか柔らかさを感じる瞬間が増えたのだ。
それに・・・心なしか、目が合う機会が増えたような気もする。
(どうしてだろう・・・?)
私が特に変わったことをした覚えはない。それなのに、蒼月さんの態度が少しずつ変わっているように感じる。
その一つとして、最近の蒼月さんは、以前なら淡々と言いそうなところを、ふと気遣う言葉を添えてくれるようになった気がするのだ。
一言で表現するのであれば、「優しくなった」気がするのだ。
まあ、最初があの塩対応なので、劇的に変化してる気になるのだけれど、そうじゃなくて「一緒に見回りしている時の打ち解けた感じ」の中で感じていた「優しい感じ」から、「さらに優しい」と感じる事が多くなったということだ。
さらに言うと、蒼月さんが誰に対しても優しいだけならそれはそれでいい。でも、私だけに向けられたものだと思ってしまいたくなるのは、傲慢だろうか。
もしかして、あの日の鍛錬の影響なのだろうか。
あの日、思いがけず蒼月さんと倒れ込み、その温もりを感じた瞬間が頭をよぎる。
(いや、でもそんなに最近というよりは、もう少しだけ前からかも・・・)
確かに少しの違和感を感じ始めたのは、ここ一週間の話ではない。
もう少し前・・・いつだろう・・・時ノ廻を訪問した時くらいからだろうか・・・
(それとも・・・私が蒼月さんを特別に感じることをやめられてないから・・・?)
ただの師匠と弟子という関係のままでいよう。
これ以上思いを膨らませてはダメだ。そう心に誓って、意識的に実践もしてきたつもりでいたけれど、人の気持ちは簡単に制御することなんてできないから、気づかないうちにどんどん惹かれ続けていってるのかもしれない、とさえ思える。
そんなことを考えながら湯船に沈み、ぼんやりと蒼月さんのことを思い出す。
けれど、どんなに考えても答えが出るはずもない。
(そういえば、最近の蒼月さんは調査のことで忙しそうだ。いったい何を調べているんだろう・・・?)
この前番所に蒼月さんを迎えにきた人が言っていた「九重の娘」についても何も聞いていない。
食事の時も、ふとした瞬間に難しい顔をしている事が増えたし、なんだか、いつも以上に秘密を抱えているように見える。
でも、私には何もする事ができない・・・
「ふぅ・・・とりあえずは、明日も焔くんとの稽古、頑張ろう。」
湯船から上がりながらそう心に決めたものの、頭の片隅にはやっぱり蒼月さんのことが浮かんでしまう。
そして、何もできないとは分かっていつつも、
(蒼月さんが何を抱えているのか知りたい・・・)
という気持ちが、じわりと胸を占めるのを感じた。




