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第159話 芽生える変化 -17-

裏庭は夕暮れの光に照らされ、柔らかな橙色に包まれていた。


琴音と剣術の鍛錬を始めてからしばらく経つが、彼女の成長ぶりは目覚ましい。姿勢の安定感、剣筋の鋭さ、動きの流れ。全てが日に日に洗練されている。


「いいぞ、その調子だ。」


木刀の打ち合いの音が響く中、俺は心の中で密かに感心していた。

弟子としての琴音には何の文句もない。それどころか、その熱心さと真っ直ぐな向上心に頭が下がるほどだった。


「ありがとうございます!でも、まだまだ蒼月さんには遠く及びません・・・」


汗を浮かべながらも琴音は笑顔を見せる。その純粋さに微笑みを返しつつ、俺は再び木刀を構えた。


「油断するな。続けるぞ。」


そうして激しい稽古が続く中、琴音が足を滑らせた。


俺はすぐさま救助に入ったが、琴音はバランスを崩し、身体ごと俺に飛び込んできて、俺たちはそのまま地面へと倒れ込んだ。それと同時に木刀が彼女の手を離れ、地面に転がる乾いた音が響く。


「す、すみません!」


慌てた琴音が掴んだ俺の腕。その小さな手のひらの温もりと、倒れた拍子に押し付けられた身体の温もりが、肌を通してじわりと広がった。


その体勢を脱するべく、琴音を抱えたまま身体を起こすと、その瞬間、思わぬ感覚が胸を締め付けた。


「怪我はないか?」


普段通り冷静に声をかけたつもりだったが、わずかに声が掠れたのを自覚する。

琴音は俺の肩を借りて体勢を整えると、顔を真っ赤にして俯いた。


「大丈夫です・・・本当にすみません・・・」


その表情に思わず視線を奪われる。

俺は、そんな琴音から少し距離を取るために立ち上がると、落ちた木刀を拾い上げながら深く息を吐いた。


(なぜだ・・・?今までにもこんなことは度々あったが、気にしたことなどなかったのに・・・)


琴音との接触がこれほどまでに自分を動揺させるとは予想外だった。

これまでにも幾度となく突然身体が触れることはあったはずだ。それなのに、どうして今日に限ってこんなにも動揺するのか。


「蒼月さん、本当にごめんなさい!集中していたつもりだったんですけど・・・」


琴音が申し訳なさそうに何度も謝るので、俺はそれに手を振りながら応じた。


「気にするな。怪我がなかったなら、それでよい。」


そう答えながらも、自分の胸の内は混乱していた。琴音の小さな手の感触、かすかな汗の匂いに混ざった甘い香り。それが頭から離れない。

気持ちを切り替えようと再び構えを取るが、どうにも集中できない。視界の端で琴音が着物の膝の砂を払う手を見ただけで、さっきの感覚が蘇る。

すると、


「蒼月さんは・・・本当に大丈夫ですか?」


琴音が顔を赤くしたまま、じっとこちらを見つめてくる。その視線に、こちらの心が見透かされそうで思わず目を逸らす。


(これでは、まともに指導できない。)


俺は木刀を下ろし、深く息を吐き出した。


「・・・今日はここまでにしよう。」


唐突な言葉に、琴音が驚いた顔をする。


「えっ?でも、まだ時間もありますし、私なら大丈夫ですよ!・・・あ、もしかして、蒼月さん、今のでどこか怪我を・・・?」


「いや、俺も怪我はしていない。ただ・・・今日は少し疲れたゆえ、ここまでとさせてくれ。」


俺がそう告げると、


「あ、そうでしたか・・・分かりました!お疲れのところ、稽古をつけていただき、ありがとうございました!」


琴音は礼を言って頭を下げ、自分の木刀を片付け始めた。俺の勝手で中断すると言うのに、どこまでも寛容だ。

その姿を横目で見ながら、俺はもう一度深く息をついた。


(俺の心は、どうしてこんなにも乱れているのだろう・・・)


琴音が片付けを終え裏庭を去った後も、彼女のかすかな匂いや体温が空気に残っている気がして、俺はそれを振り払うように素振りを繰り返した。

しかし、そうすればするほど、普段は感じない妙な疲労感が全身を包む。


(俺は琴音を美琴の面影に重ねているのか・・・?)


この気持ちに説明がつかなくて、一番可能性が高そうな仮説を持ち出してみると、美琴の面影がふと頭をよぎる。


しかし、この感情は美琴へのそれとは別のものであることを俺自身理解していた。


あれは失った痛みやかつて燃やした想いへの懐古、だが琴音に対して湧き上がるこの感情は、もっと生々しく、目の前にいる彼女に向けられたものだ。


それに、美琴は今でも過去の記憶の中に生き続けている。それが痛みであれ熱であれ懐古であれ、もはや俺にとって手の届かない存在だ。


だが琴音は・・・今、ここにいる。手を伸ばせば触れられる場所にいるのだ。


(琴音は俺にとってただの弟子ではなくなっているのかもしれない・・・)


ふと自分の中に湧き上がったその考えに、俺自身が最も驚いていた。


弟子として接してきた彼女の存在が、今や俺の心にこれほど影響を及ぼしている。

俺は木刀を棚に戻すと、夕暮れの空を見上げた。


そんな俺の心の中には、未だ消えない迷いと、自分自身への驚きが浮かんでいる。


「・・・これではいかんな。」


誰にともなく静かにそう呟くと、俺は裏庭を後にした。

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