心霊ラジオ
仕事の都合で地方に引っ越して1か月ほどが経ったある土曜日、東京から訪ねてきた友人二人を駅に迎えに行った時には、既に日はとっぷり暮れていた。
この辺りの夜は早い。
一応地方都市と呼べる程度には栄えているのだが、それでも20時を回れば一部を除き真っ暗だ。
そのくらい道を友人二人を乗せて自宅アパートへ。こちらに越してきてまだ1か月、ほとんど寝に帰っているような状態ではあるが、それでももうここは自分の家だと言えるほどに馴染んでいる。物価の関係か広くて新しいわりに家賃が中々安いのも気に入っていた。
自室に二人を案内し、それからしばし酒を飲みつつ思い出話や近況報告に話が弾む。
そしてそれがひとしきり済んだところで、ふと一人が言い出した。
「そう言えばさ、この近くじゃね?『浦野の家』」
その名前は俺も聞いたことがあった。ネット上では有名な心霊スポットで、ここから歩いて10分ほどの場所にある古い一軒家。
――まあ、聞かされたのは目の前のこいつに、なのだが。
「ああ、そうだね」
適当に相槌を打っておいたが、どうやら向こうはそれでは収まらないらしい。
結局、酒の入ったテンションもあって俺たち三人での肝試し大会が始められることとなった。
「そう言えばさ、お前あれ持ってきたの?」
世界中に俺たちしかいないと錯覚するように静まり返った夜の道、疎らな街灯を道しるべに進む途中で発案者にもう一人の友人が訪ねると、彼はバッグから小さいラジオを一つ取り出して見せた。
最近では見かけなくなったラジオ。かくいう俺も子供の頃に祖母の家にあった古いやつしか知らないが、奴の取り出したのは、そのラジオをスマートフォンぐらいのサイズに縮小したような、登山なんかに使うポケットラジオだった。
「何それ?」
「これさ、心霊ラジオって言って霊の声が聞こえるらしいんだよ」
その懐かしい装備を見た俺に、尋ねた本人が答える。
「なんだよそれ」
「お前『スピリットボックス』って聞いたことない?」
今度は持ってきた張本人。
そう言えば前から幽霊だのオカルトだの好きな奴だった。
今回の肝試しも、或いは最初から計画していたのかもしれない。
まあ、さておき。奴が出した名前は聞いたことがあった。昔見たホラー映画か何かで。
「あの、幽霊と交信できるとかいう奴だろ?」
奴は手にした代物を得意げに街灯にかざして首を縦に。
「まあこれは100%って訳じゃないんだけど。それを再現できるって話なんだよ」
そう言いながら、街灯に照らされた周波数計を指さして説明する。
「こいつの電源を入れて、どこのチャンネルも拾わないように周波数を合わせて……っていうのかずらしてって言うのかは分からないけど、とにかくノイズだけの状況にしておくと、そこの地縛霊の声が聞こえるって」
それから始まるインチキ臭い心霊ラジオの作り方を説明に入ったが、もう一人がそのラジオを見ながら「幽霊ってFMなんだ」とか茶化したため、俺とそいつとで笑いあって有耶無耶になった。
そんなこんなで到着した浦野の家は、成程心霊スポットと呼ばれそうな程には荒廃していたが、まだ辛うじて人が住んでいた時代の姿を留めてもいる。無人の家と廃墟の境界線に足を乗せているような状態だった。
元はささやかな庭付き一戸建てだったのだろうが、今では至る所に背の高い雑草が伸び放題で、細い道路を挟んで俺たちの背後に広がる空き地の方がまだ手が行き届いていると思えるほどに荒れている。
その草原の入口に建てられた石の門柱には、出土品とさえ思えるような『浦野』の文字が刻まれていて、ここが目的地であると教えている。
「これがねぇ……」
心霊スポットなどというものに足を踏み入れたことがない俺でさえ、一目でそういう場所だと思えるほどに雰囲気のある朽ち果てた家。
なんでも空き家になって数年経つらしい。一家心中があったとか、殺人事件があったとか、借金やらカルト宗教にはまったやらで一家離散したやら、ネット上には様々な経緯を訳知り顔で語る者が多いとのことだ――肝試し発案者曰く。
そしてそれはつまり、要は誰も知らないという事を意味している――それを聞いた俺の感想。
まあ、楽しそうにしている奴に水を差すつもりもない。厳密に言えば何らかの法律に抵触するのだろうが、他にも誰か入り込んだのだろう、文字やら何かの模様やらをカラフルに大書した落書きがいくつも残されているのを見ながら敷地の中へ。
――これを書いている連中とばったり遭遇する方が怖いような気もするが。
「お邪魔します」
赤い電源ランプが暗闇に浮かぶ心霊ラジオを構えた発案者を先頭に玄関から建物の中へ。
流石にネットで話題になるだけあって、既に先客がいくらもあったのだろう。小さな玄関の奥には土足で上がり込んだ跡がいくつもスマートフォンのライトで浮かび上がっていた。
その足跡を追いかけるようにして俺たちも中へ。
「こちら南向き2LDKになっております」
「へ~、中々いいじゃないですか」
ずんずん進んでいく発案者を俺ともう一人とでふざけ合いながら追いかける。
そのおふざけは得も言われぬ不気味な雰囲気を紛らわすためのものだと、多分俺以外の二人も気付いているだろう。
上がり込んですぐ右手には二階に上がる階段。左手にはリビングとキッチン。
まずは左手に進むが、こちらも既に荒らされ放題で、ただの廃墟だ。怖いものと言えば幽霊よりも、その辺に散らばっているガラスやゴミで怪我することの方と思えるほどに滅茶苦茶にされていて、どうにも――この建物自体そうなのだが――あまり長居したいとは思えない。
そそくさとその部屋を出て廊下の突き当りにあった風呂場へ。だがこちらも駄目だ。
「なんか変な臭いしねえか?」
「なんだよこれ、臭え……」
蓋はされているが、浴槽の中を見る気にはなれなかった。
――と言っても不気味と言うのではない。強烈な水の腐った臭いを放っているその根源を見る気がしないというだけだ。近所の小学校のプールが夏以外緑色の池になっているのを思い出す。
こちらもまた臭いに追い出されて廊下へ。トイレは――扉が壊れていて開きそうにない。
残すは二階だけだ。ギシギシ音を立てる階段を上り、意外なほどしっかり残っているふすまを開けて二階唯一の部屋へ。
8畳ほどの和室には一切の家具もなく、ガラスのなくなった窓からは向かい側の空き地、その向こうに見える民家の明かりと、その向こうで地面と夜空の境界線のように東西に貫いている高速道路の明かりだけが見える。
「なんも無いじゃん……」
自分でも安心が漏れたと思える声で呟きながらその窓の方へ。
何もない田舎町だと思っていたが、こうして見てみると意外と綺麗だと思える。
都心のキラキラした夜景ではないが、なんとなく趣がある――柄にもない事を考えるのは、心霊スポットがまやかしであると分かった安心感からか。
「……は、な……。……お……」
「!?」
だから、唐突に背後から聞こえてきた声に、窓から落ちなかったのは奇跡と思えるほどに驚いて飛び上がったのは無理もない事だった。
ノイズの混じった人の声。すぐ後ろで聞こえてきた声。
間違いなくラジオの声だ。
あり得ない。
そんな筈はない。
だってここはただの荒れ果てた廃墟だ。幽霊なんていなかった。
だから、声が聞こえるなんてことはあり得ない。
「いつも……、リク……で……」
それまでより鮮明に聞こえてきたそれに反射的に振り返る。
「それでは聞いていただきましょう!びよんびよんさんから頂いたリクエスト曲、イージークイーンで『明日晴れたら』」
「アッハハハハハ!!超ビビってんじゃんお前!!」
二人が爆笑しながら、通常通り受信したラジオをこっちに向けていた。
「なんだよ……。もう帰ろうぜ」
安心と恥ずかしさとしょうもなさのない交ぜになったまま、まだ笑っている二人を通り越して下へ。
「だからやめろって」
恥ずかしさと妙な腹立たしさとでラジオの周波数のつまみを一番右に回すと、再びラジオはただのノイズ吐き出し機に戻る。
結局このドッキリがここで一番驚いたことだった――帰り道はずっとその事でいじられ続けた。
家に戻るや、この酔っ払い二人はいい気なもので、飲み直しもそこそこに横になっていびきをかき始めるまで1時間と要さなかった。
「まったく……」
部屋の電気を消して便所へ。
大方ここに来るまでに色々観光したりもしていたのだろう。遊び疲れてそのまま眠るとは子供みたいなものだ。
明日の朝はこいつらを叩き起こして、駅まで見送りがてらこの辺を案内して、ついでに行ってみたかったラーメン屋でも行ってみるか――そんな事を考えながらトイレを流して部屋に戻る。
「ん?」
室内から音が漏れているのに気が付いたのと、扉を開くのとはほぼ同時だった。
二人のいびき?いやそうではない。声だ。喘ぐような、呻くような、かすれた声だ。
「……ァ……ゥ……」
闇の中、ただ赤い電源ランプの光だけが浮かんでいる。
不意に、背中にひやりとしたものが張り付いた気がした。
今度の声は、耳のすぐ近くで聞こえた。