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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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黄金姫の来し方

作者: 矢野葉
掲載日:2022/03/21

お前は幸せ者だよ、と母さんは言った。


片田舎の小さな村に産まれたのは、お陽さまのように光り輝く金髪と、夏の森のような濃い翠の瞳をもった女の子。


「お前を売ればあたしたちも助かるし、あんたは街で綺麗な服を着て勉強までさせてもらえる。貧乏な村に産まれたあたしたちにしてみればこんなに幸せなことはないよ」


年頃の男の子たちが変な気をおこさないように、万が一にも身体に傷をつけないように、ミルクのような白い肌を太陽に焼かれないためにも、女の子は畑に出されることもなく1日のほとんどを部屋で過ごした。


兵隊にも行ったことのある身体の大きな父親と、隣の村から嫁にきた母親。年の離れた兄と姉は畑で働き、森で採集をする。女の子は2つ下の弟と一緒に狭い土間にうずくまって豆の鞘や野菜の皮をむいた。


女の子が売られたのは、ある秋の日のこと。

村に数年に1度やってくる商人たちのキャラバンには、街で娼館を経営する者もいて村で育てられない子どもを引き取っていく。女の子は村の広場にたちならぶ色とりどりの天幕に目を輝かせ、見たこともない布地や陶器、そしてたくさんの人出をキョロキョロと眺めていた。


母親はその天幕のうちの1つにさっと入ると、綺麗な布ばりの椅子に腰かける老人に女の子を押し出した。


「8歳になります」


固い声の母親がいくつか老人と言葉を交わす間、女の子は天幕のなかをゆっくり眺めることができた。


普段は土を固めただけの広場なのに、天幕のなかはふわふわとした毛足のながい織物が敷かれ、花や鳥を象った彫刻で飾られたテーブルが置かれている。その上には、触っただけで割れてしまいそうな繊細な硝子のコップ、宝石がついた指輪や、キラキラとした貝を嵌め込んだ小さな木箱が並んでいる。目の前の老人の後ろには金の留め金がついた皮袋を持つ女性と、剣を腰につけた若い男性が立っていた。


「パメラ」

ふいに名前を呼ばれて女の子が母親を見上げると、母親はその場で一度ぎゅっと女の子を抱き締め、「幸せにおなり」と囁くと天幕を出ていった。


娼婦は安いのから高いのまでピンきりで、雑用の手だっていくらあっても足りない。高級な娼婦ともなれば、客は貴族で、なかには妾として引き取られることもあるのだという。教会の孤児院よりはよほど良い生活が出来る。


こうしてパメラは老人に連れられて村を離れ、生まれてはじめて馬車に乗って様々な町を巡った。

町から町へ移るうちに馬車では幾人か子どもが一緒になることもあれば、パメラ一人のこともあった。そしてパメラの買い手も老人から母と同じくらいの年の女や、頬に傷のある男に変わり、そして秋が過ぎて冬も終わる頃、今までで一番大きな街へ入ったところで刺繍のたっぷりはいった豪華な上着をきたマードゥという男に変わった。


「王都へようこそ、パメラ。道中困ったことはなかったかね?」

親戚のように気安く話す男にホッとしてパメラは微笑んだ。

「はい、みんな良くしてくれました」

「なるほど、確かに美しい。キングズリーが金の卵を手にいれたと噂になっていたけれど、声もいいね。読み書きは出来るかねパメラ?」

「普段使う単語と、数字を習いました。もう少ししたらつなげて書くのをやるって…」


「よし、わかった。エッダ、パメラは花娘にしよう。湯屋のあとに案内してやっておくれ」

真っ白な髪をまとめ、黒いワンピースにエプロンをつけた女性がスッと前にでてマードゥに頭を下げる。

「かしこまりました。パメラ、ついておいでなさい」


エッダはまず湯屋にパメラを連れて、あたたかいお湯のはいった浴槽で旅の埃を落としてくれる。その後、パメラをふかふかのベッドと鏡台が5つ並んだ部屋に案内すると、今日からここがあなたの家よと微笑んで去っていった。



◇◇◇



ありふれた話ね、とパメラはため息をつく。

貧しい小さな村でたまたま産まれた美しい女の子が親に売られて娼婦になった。ただそれだけのこと。


彼女を買った商人はより大きな商会に彼女を売り、その商会はさらに大きな店に声をかけ、妖精をさらっただの、金の卵を盗んだだのと、大層な噂が流されるようになったころ、王都で屈指の娼館主マードゥが彼女を買った。


読み書きやドレスの着こなし、閨での作法を叩き込まれて数年。

客がとれるようになった娼館の娘たちは、その年の花娘として祭りで御披露目される。

彼女たちが表舞台に立つのはこれが最初で最後。真っ白なワンピースに色とりどりの花を飾り、焚き火が照らす夕暮れの会場で優雅に踊る花娘たちは王都の風物詩と言っても良い。その夜から初めての客をとり、彼女たちは娼婦として生きていく。


そうしてまた数年が経って仕事にもなれた頃、パメラはすでに王都でもその名を知られる娼婦の一人になっていた。

そしてある日、幾人かの人気のある娼婦が店主に呼び出された。聞けば、貴族家の子息たちが閨教育の相手を探しているのだと言う。これもよくある話。そのはずだった。



◇◇◇



若き公爵家の跡取りが十年超しの恋を実らせ、ついに美姫を勝ち取った。


その噂は野火のように王都を駆け巡り、引き離された幼い恋人の悲恋から一転して結ばれた二人の恋物語に民衆は熱狂していた。長きにわたって権を競い、時には血を流して争っていたメディック家とグレハム家を結ぶこの婚姻に王も手放しで喜び、祝いの使者が王都を発ったと言う。


その喜びのさなか、王都にあるグレハム家のタウンハウスの一つはいつも通り静寂に包まれていた。昨晩急に訪れたのは、領地をおさめるお館様と違い、頻繁に王都に滞在する公爵家の跡取り。渦中の人であった。しかしその若き主もすでに屋敷を出ている。


残されたのはタウンハウス付きの侍女頭に、家令、幾人かの使用人、そして離れに住む主の妾。かつて黄金姫と呼ばれた王都の娼婦パメラであった。


そしてそのパメラは、離れの居間にあるソファーに座り、ゆっくりと紅茶を飲んでいた。


7年前、高貴な家の子息たちのお相手にとパメラをはじめ名だたる娼婦が招かれた夜。

その日、パメラは初めての恋をした。

娼婦が貴族の子息のお相手をつとめることはままあり、娼婦が客に淡い恋心を抱くことも珍しいことではない。何も変わったことはないはずだったのだ。


パメラが恋をしたグレハム家が、万が一にもその血を受けた子どもを見逃すことがないよう代々主家の者が手をつけた女性は全て囲い込むことになっているなど、誰が知っていただろう。あれよあれよと言う間にパメラは恋い焦がれた人の家に買い取られ、そしてそれからずっとこの離れに住んでいた。


ここにきた時からずっと私についてくれている侍女頭のアルマは今日もいつも通りの無表情で壁際に立っている。公爵家の大事な跡取りの妾に懐妊の兆しがないか常に気にかけ、決して小さくはないタウンハウスを取り仕切りながら本家と連絡を取り合い、そして何か問題を起こせば恐らくは私を手にかける人。7年もの間、優秀な彼女を繋ぎ止めてしまったのは私のせい。だからせめて、彼女の名を傷付けない方法をとらなければならない、とパメラは思っている。


「アルマさん」


「はい、パメラ様…!?」


いつの間にか、ぽろり、ぽろり、と涙が陶器のように白くなめらかな頬を零れ落ちていた。


「おかしいわね、涙が止まらないの」


慌てて駆け寄ってくるアルマから顔を背け、人形めいた微笑みを浮かべてパメラは窓の外を眺めた。いつだって幸せは窓の外にあった。パメラには手の届かないところに。


「私を、見逃してくださる?」


出ていきたいのと言って振りむけば、アルマは信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。


「パメラ様は、旦那様を愛していらしたのですか?」


微かに震える声に、じんわりと胸が温かくなる。


「愚かだと笑ってくださって構わないのよ」


はじめから、味方など誰ひとりいなかった。

この恋がかなうことも、それを望んでくれる人も、いなかったのだ。私はただ、旦那様だけを客にとる娼婦でしかないのだから。それでも、これから先もきっと旦那様の側近くにいる彼女が私のたった一つの恋を知っている。それだけのことに、なぜこんなにも救われた気持ちになるのだろう。


「せめて、お別れのご挨拶をなさっても良いのではありませんか?」


「昨晩、旦那様は初めて私の腕の中で眠ってくださったわ。それだけで私には十分なの」


瞼を伏せるたび、新たな涙がこぼれて、頬を流れていく。


「それにもう、私のことを思い出すこともないんじゃないかしら」


「そんなことは…」


「旦那様の幸福のなかに、私はいないもの」


自分で放った言葉が刃のように胸をえぐって、思わずぐっと手で抑えた。


「…行く宛はおありですか?」


「王都を出て、南にのびる街道に小さな教会があるの。私たちのような女を受け入れてくださっている数少ない教会でね。それを支えに生きるのよって姉さんたちが教えてくれたわ。7年も前に消えた黄金姫を覚えている人もいないでしょう。そこへ行ってみるつもり」


膝においたままの片手に、そっとアルマの手が重なった。

思い出したかのようにやってくる公爵令息のためだけに囲われたパメラを、好いた相手に引き取られた娼婦を、これほどの幸福はないと思う思う者もいるかもしれない。けれど、身請けされてしまえばそれ以上の逃げ場はないのも事実なのだ。飢えることはないけれど、慕う相手に見向きもされず、けれど急な訪れに備え続けるしかない日々。それを一途な愛情だけで耐えたのかとアルマは信じられない気持ちでいっぱいになった。

自分には交代の人員もいて、仕事だと割り切ってきたけれど、それでもやはりこのタウンハウスと彼女を見守るだけで過ぎてしまった7年間がある。ぽたり、ぽたり、と冷たい滴が一人の男に人生を振り回された二人の女の手を濡らした。


「お館様に暇乞いの手紙をお書きください。お届けいたします」


「ありがとう、アルマさん…っ」


7年もの間、パメラには子が宿らなかった。

昨夜の急な訪れの後にも、パメラ付きの侍女から特別な変化はないと報告を受けている。


そのため、いまこの時になって、パメラの身に新しい命が宿っているとは誰も考えていなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 良かったです。 続きを書くお積りだったのでは? 是非読みたいです!
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