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悪魔どもが愛の果て  作者: 汎野 曜
1-1. 終わりゆく積層都市
7/8

6. 眠れる女たち

 都市に吹き込む西風に乗って流れる煤煙ばいえんで、朝の光は白く濁っていた。

 戦闘から一夜の明けた朝。少女は火の点いていない煙草を咥え、臭い空気を胸一杯に吸い込む。


 そこは燃え盛る第七ベイを後にしたアミルたちが見つけた隠れ家、もぬけの殻となった高層住宅の一室だった。

 鎧を脱いだ肌着姿でベランダの手すりに身体をもたせ、冷たい気温を感じる。独り立って深く息を吐く。


 しなやかな筋肉と複数の傷痕きずあととに覆われた身体、惜しげもなく外気に晒す日に焼けた肌。

 意思の強そうな目鼻立ちのくっきりとした顔だけを見れば、或いは美少女と言っても良かった。しかしその頭から突き出てかんむりのように頭を囲む、湾曲した二本の角を見れば、誰もが恐れおののいて逃げ出した。


 そうして差別されてきたのが悪魔族ヴァルグだった。足蹴あしげにされながら生きていた幼い日々の事を、アミルはぼんやりと思い出していた。

 手すりに身をもたせ、眼下にうごめく難民の群れを眺める。濛々(もうもう)と立ち込める煙の下、幾重にも立体交差した道路は、難民の影に隙間なく埋め尽くされている。


「よく見ておきなさい」

 傍らからライカの声。

「私たちの…帝国アルタージュの時代の終わりです」

「そんなもん、とっくに終わってるさ」

 言いながらアミルは眼下の群衆に目を戻す。


 見つめる向こうで、子供の一人がよろめいた拍子に大事そうに抱えていたパンを取り落とし、それを別の大人が奪って歩き去って行く。

 やがて子供はその場に両ひざをついて泣き始めた。

「これが帝国アルタージュの誇る積層都市ね…」

 鼻で笑う気にもなれない。見慣れた醜い人間ヒューミどもの姿だった。


 目を逸らして、遥か遠くを見る。

 空気を覆い尽くさんばかりに広がった煤煙は、徐々にその濃度を増していた。魔獣の残骸から生じた炎は消火されることも無いまま燃え広がり、今や積層都市第十層の西半分を飲み込まんとする大火となっていた。


 帝国の築いた積層都市、人工の大地が積み重なるそれが、今や人々から逃げ道を奪う巨大な監獄でしかない。

 何が帝国の時代か。統治者たるエルフ族は故郷の大陸へ逃げ帰り、取り残された人間たちはこのまま魔獣ども(テルンガ)に殺されるか、良くて奴隷として使い捨てられる。


 アミルは己の中に、ふつふつと沸き続けるどうしようもない怒りがある事に気付いた。帝国なんてものが無ければ、リーゼもあんな目に遭うことはなかったかもしれないのだ。

 そう思うと、やりきれなかった。


──良くないな。

 両手で頬を打つ。乾燥した肌が痛みで熱を帯び、冷たい空気で再度冷えるに従って冷静さを取り戻す。老人の頭の中にしかないような過去を気にしたって、未来を変えられるわけじゃない。


 己が助けてきたエルフの事を考える事にした。故郷ディルニアに帰るという選択肢も有ったはずなのに、魔獣だらけの大陸(レーヴィニア)で銃一本だけを頼りに生き延びた黒い肌の女。


 彼女の武器は中々の威力だった。再生能力を持っていた魔獣を内側から破壊したあの一撃を使えれば、ここからの脱出も可能性が見えてくる。

 アミルはそこで深くため息をついた。

──…エルフ族がそんなに簡単になびくか?

 命を助けたとはいえ、エルフ族は基本的に傲慢ごうまんである。しかも悪魔族とは長きに渡ってお互いに関り合いを避けてきた相手であり、簡単には溝は埋められないと思った。


 後は戦力として役に立つのかどうかも不明なライカしか居ない。何としてもあのダークエルフを味方につけなければ、ここからの脱出も叶わぬまま哀れな人間族ヒューミたちとともに殺されるだけだった。

 いつになく頭を悩ませる。こんな時にリーゼが居ればと思った。戦略を考えて行動していたのは、アミルというよりはリーゼの方だった。


「…どこにいるんだ」

 思わず漏れた声が、煙たい空気に溶けて消える。魔物と化したリーゼの事は、家を出てからそろそろ半年が経過する今になってもまだ忘れられそうになかった。


***


 はるか昔に大陸を出る時、奴隷船で聞いた音。寄せては返す、波音。静かに巡るその音を聞きながら、メイの意識はゆっくりと目覚めて行った。

 死後の世界というにはあまりに温かい。メイはしばらくの間、漂う意識の中でその長い耳だけを動かしていた。


 時が経つにつれて徐々に意識が戻る。狙撃手としての天性の感覚に、周囲の気配が飛び込んでくる。

 建物の外、生気なく歩き続ける難民たちの足音…波音だと思っていたのはこれだった。ベランダに悪魔族ヴァルグ…共に戦った二刀の小娘、少し苛立っている。こじんまりとした部屋の隅…敵意は感じないが、微動だにしない、()()()()()()()()()


 煙たい風の中にそびえ立つ高層建築、ベッドに横たわる己の姿。己の心臓が血潮ちしおを今も全身へ送り出している所までを感じ取って、メイは我に返った。

──生き残ってしまったのか、私は。

 温かなしずくが一筋、目元からこぼれるのを感じた。仲間たちを死地に立たせた張本人である自分が、独り生き残った事が悔しかった。


 ゆっくりと目を見開く。灰色の天井が視界に映った。

 身体を起こそうと力を込めるが、全身が重い。

「…っ!」

 上体を起こしきれず、再度倒れた。硬いベッドに身体が跳ねる。

 初めてではなかったが、過負荷射撃レイルオーバーの後しばらくは身体を動かすのにも苦労した。魔導銃はそれだけの体力をメイから奪う。


 溜め息が漏れそうになり、そこでふと気づく。内蔵されている魔晶ましょうの気配は感じるものの、銃は無事だろうか。身体を起こす事すらままならない状態では、確認することもできない。

 もどかしさに苛立いらだちが募った。


 更に意識が明瞭に目覚めて行くにつれて、今度は疑念が湧いてくる。自分は今さら一体何のために生き延びているのか。仲間たちを死なせ、部下を死なせ…そして最愛の相棒まで失った。


──そうか…アグロはもう、居ないのか。

 己の両眼からとめどなく涙が溢れるのを感じた。アグロの死にざまを思い出した。真っ黒に焼かれ、そして魔獣のあぎとに砕かれ消えた男の背中を。

 あんな死に方をさせるつもりはなかった。アグロはヒューミとして生き、ヒューミとして終わって行くはずの男だった。それが自分のせいで、屍も遺らない死に方をした。


 …メイは自責の念を止める事ができそうになかった。


 こんな状態では愛銃に触れる事はできない。自覚した彼女は、再度両眼を閉じる。自身の感情を整理するための時間か、或いはもう一度眠り込んでしまうか。どちらかが必要なのは明らかだった。

 まぶたの裏に、戦場の悲惨な様子がよぎる。あれだけの爆発の衝撃に耐えられるのは、悪魔族ヴァルグぐらいのものだったろう。あの小娘に助けられたのだ。情けなさで圧し潰される思いに襲われる。


 忌まわしき悪魔族ヴァルグに助けられて生き延びた敗軍の将が今さら王宮に戻ったところで、最早味方の一人もいない。忠誠を誓ってくれた衛士たちも、殆ど残ってはいないだろう。せめて彼らが生きて戦場から逃げ延びてくれていることを祈った。


 メイの境遇はもはや、牢獄に放り込まれ処刑されるのが早いか、それとも魔獣どもの軍勢に全てを破壊され殺されるのが早いかの違いでしかない。

 だからって、都市から脱出する道もない。主要な脱出路であれば、魔獣たちが手ぐすね引いて待ち構えている。逃げようとする人間族ヒューミを、そうやって捕食するのだと聞いていた。


 あの戦場から生きて帰ったところで、状況を打開する方法が見つけられなかった。戦場での死が、真綿まわたで首を絞められるような緩慢な死に変わったに過ぎなかった。


──この現場が済んだら、一緒にこの都市を出ましょう。

 アグロの言葉が思い出された。

「すまないな、アグロ」

 私一人では、お前の魂を都市の外に連れ出す事もできそうにない。

 いつまでも、涙が頬をしたたり続けた。


***


 アミルが部屋のドアを開いたのは、よりによって枕が涙でしっとりと濡れた頃だった。

「…まだ泣いてんのかよ」

「…」

 横たわるダークエルフは顔を反対側へ向けるが、時折小さく鼻をすする音を漏らす。いじらしい女だと思った。幾星霜いくせいそうもの時を重ねてきたエルフ族がこれでは、威厳の欠片も無い。


 アミルはエルフ女の横たわるベッドに腰を下ろす。寝そべった女と背中合わせになって、部屋の隅を見つめた。

悪魔ヴァルグが…」

 蚊の鳴くような声で、背後の女がそう呟くのが聞き取れた。

 感じる気配からは生気の欠片かけらも感じられない。あの一撃で体力の殆んどを消耗したのだろう。


 そんな哀れな相手には、アミルも怒りを向けようとは思えなかった。リーゼを失った直後の自分も似たような状態だった。

 しばらくは様子を見ながらも沈黙を決め込むことにした。下手に刺激するよりも、冷静さを取り戻すまで待つ方が良いと思った。


 果たして数分もせぬ内にエルフ女の嗚咽おえつは止まり、徐々に呼吸が規則的なリズムに戻るのが聴こえた。

「落ち着いたか?」

「…」

 振り返ると、女と目があった。エルフはアミルの黒い瞳を凝視し、アミルも彼女の澄んだ青色の瞳を見つめた。


 射手は心を落ち着ける能力に長けている、そんなことを聞いたことがある。

 澄んだ瞳には、既に何も映り込んでいない。

 今にも死んでしまいそうな眼だと思った。


「お前、この後どうするんだ」

「どうもしない」

 アミルなりに目の前の女を気遣っての言葉だったが、配慮は不要かもしれなかった。女は訥々(とつとつ)と言葉を紡ぐ。

「…都市の外に、出る」


「んなら、あたしたちと一緒に来るか?」

「誰が悪魔族ヴァルグ…なんかと組むか」

「その悪魔族ヴァルグ()()()に助けられたエルフが、一人で魔獣の軍勢(テルンガ)を突破できるのか?」

 売り言葉に買い言葉。まだ涙で濡れたままの顔に不愉快そうな表情が浮かぶ。


 気まずい沈黙。互いに名も知らぬ、異質なる存在。

 エルフ女の見開かれた眼が、アミルを瞳の中央に捉えた。アミルも負けじとエルフ女に目を合わせる。

 澄んだ眼をしていると思った。青く吸い込まれそうな瞳の色に、アミルは束の間見入った。


「…都市ここを、出るまでの間だ」

「…」

「そこまでは、お前に力を貸してやってもいい」

「…上等だ」

 ぶっきらぼう。お互いに無理やり言葉を繋いでどうにか妥協点を探ろうとする。

 それでもアミルは微笑ほほえんだ。戦士としての獰猛どうもうな笑みではない、年相応の少女らしい微笑み。


「あたしはアミル。お前は?」

 エルフ女は逡巡しゅんじゅんするかのように目線を逸らし、再び天井を見つめた。

「…メイ」

 躊躇ためらいがちに、しかしはっきりと告げられた名。


 アミルも少し躊躇ためらいながらも、言葉を返す。

「よろしくな」


 ベッドから腰を下ろすと、アミルはドアの前まで戻った。

「ああ…、メイ。こっから先は寝てる暇なんて無いからな」

 乱暴な性格で知られる悪魔族ヴァルグとは思えない、戸惑いの見え隠れする声色。

「…今のうちに、しっかり寝とけよ」

 アミルは照れ隠しのように、ドアを乱暴に閉めて出ていった。


***


 メイはその彫像のような整った顔立ちに表情の一つも浮かべることなく、ただその長い耳だけを敏感に動かしていた。

 アミルを信用して良いとは思えなかった。悪魔族ヴァルグはエルフ族と長きに渡り関係を断絶している種族で、殺生せっしょうを好む残忍ざんにんな種族だと聞いていた。


 だから、部屋を出たアミルが何処へ向かうのか、その鋭敏な感覚でアミルの足取りを追跡し続けた。

 しかし、それも余計な心配かもしれなかった。


──何だ、こいつは。

 アミルの気配は壁一つ隔てた隣の部屋で止まると、そのまま小さな寝息を立て始めたのが聞こえた。


──本当に寝る奴があるか…。

 自分にはない図太ずぶとさ、或いは図々(ずうずう)しさ、幼さ故の未熟さ。

 戦場で見せた修羅のごとき戦いぶりからは想像もつかない、無防備な気配をアミルはさらしていた。


──あなたはこんな所に居るべき人じゃない。

 再び、今は亡き相棒の声を思い出した。

 アミルと名乗った生意気な小娘。その戦闘能力が本物である事は、眼前でその戦いぶりを目にしたメイが一番よく分かっていた。或いはアミルと行動を共にすれば、群がる魔獣たちを突破して都市を脱出するのも不可能ではないかもしれない。


 メイはゆっくりと目を閉じた。もはやアミルは油断しきってぐっすりと眠っている。自分だけこんなに警戒しているのがバカらしくなった。

 本当に魔獣どもの軍勢を突破して外に出るなら、今は確かに、アミルの言った通りに休まねばならない。メイの意識は再びゆっくりと眠りの中へ沈んでいった。


***


 そうしてライカは、()()()()()()()()()()()

 すっかり眠り込んだメイの気配に、姿を隠した小さな魔法使いは静かに、そして穏やかな微笑みを浮かべた。


 ライカは()()()()()()()()()

 アミルにとって必ずや良い相棒になる。おぼろげながらも遥かな未来、影の守人(ヴィスカル)となったメイの姿が見えていた。


 ()()()()()()()()()()()()

 ライカの煌めく両眼だけが、眠れる女たちの向こうに広がる光景を捉えていた。

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