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悪魔どもが愛の果て  作者: 汎野 曜
1-1. 終わりゆく積層都市
6/8

5. 火焔

「起きろ」

 乱暴に腕を引っ張られ、意識を失っていた事に気が付く。視界が開くと、アミルの眼前には背の高いエルフ族の姿があった。

「何だ…」

 まだ死ねないのか、と文句の一つも言いたくなった。ため息をついて立ち上がる。不時着時に失くしたか、左手に握っていたはずの短刀が消えている事に気が付く。


「戦えるな、悪魔ヴァルグの娘」

 褐色の肌に銀白色の髪、アミルの側頭部から生える小さな二本角を、その青い瞳でいぶかしげに見つめている。典型的なダークエルフだった。


 音を立てて舌打ちする。

「口のきき方に気を付けろよ、耳長族のババア」

「戦意は十分だな」

 ダークエルフの女は大して気にした素振そぶりも見せず、背後を振り返る。その目線の先、瓦礫ガレキの合間にできた窪地で、幾人かの兵士が巨大な翼を纏った黒獅子へ武器を構えているのが見えた。


 明らかな劣勢。兵士たちの動きには隠しきれぬ恐怖が見て取れた。中央で長剣を構える体格の良い男を除いて、どの兵士も動きにキレがない。

 エルフ女がおもむろに長尺ちょうしゃくの武器を構えると、即座に空気を切り裂くような破裂音が響く。光の尾を引いて飛ぶ弾丸が魔獣の巨体へ着弾するのが視えた。

 上空で魔獣に与えられた一撃を思い出す。目の前の女が射手だった。


 しかしその銃弾にも、魔獣は怯んだ様子を見せない。兵士の一人が一瞬の隙を突かれ、握りしめていた槍ごと両腕を喰い千切られるのが見えた。

「…何してる!早く行け!」

「くそったれ…!」

 右手に持った短刀一本、握りしめると同時にアミルは走り出す。不時着の衝撃で横転した船の上に跳び乗り、矢のような速度で瓦礫の上を風のように走り抜ける。


 その間にもまた、名も知らぬ兵士の一人が吹き飛ばされる。小声で祈りの文句を呟いたアミルの視界の端で、勢いのまま壁に叩きつけられた兵士は港の境壁に真っ赤な花を咲かせた。


 身体能力に優れるわけでもない人間族ヒューミとエルフごとき、幾ら束になっても凶魔テルスに勝てるわけがない。アミルがやるしかなかった。

「こっちだ毛むくじゃら!」

 叫び声を上げながら高く跳ぶ。黒獅子の目線が空中のアミルへ向かった隙を突いて、兵士たちは手に手に武器を構え直した。


――そうだ、それでいい。こっちを見ろ。


 アミルは空中で身体を回転させて舞うと、次の瞬間には魔獣の翼を覆う毛皮を左手で鷲掴わしづかみにし、即座に右手の短刀を翼へ突き刺した。

「…小娘が!」

 唸り声を上げながら獅子は大きく両翼を揺らし、アミルを振りほどこうと暴れ始める。

 振り回される反動に耐えきれず、握り締めていたはずの左手がくうを掴む。

 咄嗟とっさに右手に握ったままの突き刺した短刀の柄を両手で握り、両腕の腕力だけで体を魔獣の背に繋ぎ止める。


「ライカ…おい、見てんだろ!」

「分かっています」

 声が聞こえると同時に、魔獣の動きが鈍くなった。

 すかさず轟音が鳴り響き、光の弾丸がアミルの傍らに次々着弾する。


 弾けとんだ魔獣の肉片と血飛沫とがアミルへ飛ぶ。いつアミルに当たるとも知れない至近距離に幾度となく光の弾丸が飛んできた。

 悪魔族ヴァルグはどの戦場でも使い捨ての傭兵としか思われていない。ここでも同じだった。

「クソが…!」

 悪態を付きながら、アミルは両手で握りしめる短刀に膂力りょりょくを込め、固い皮膚を切り裂く。


 真っ黒な血と共に白煙が吹き上げ、切った傍から肉が盛り上がって行く。

 魔獣は再生能力を持っていた。

――再生!…速い!

 この類の魔獣は、体内の魔晶核を破壊できなければ殺せない。

 アミルの戦士としての長い経験の中でも、再生力を持つ魔獣ほど厄介な敵はいない。


 ヤバいと思ったが、手を止めるわけにはいかない。

 必死に魔獣の巨体にしがみつき、死に物狂いで刃を振るう。次から次へとそばに着弾する弾丸は確実に魔獣の身体を削っていたが、いつアミルに当たるとも知れない。


「聞こえてるか、あたしがこのデカブツの体に穴を開ける!」

 相棒に聞こえているのかは定かでなかったが、とにかくアミルは叫ぶしかなかった。

「エルフ女にそこを狙うよう伝えろ!ライカ!」

 返事はない。だが、アミルが切り裂いた傷に次々と光の弾が着弾するようになったのを見ると、相棒にも多少は働く気があるようだった。


「グオアアア!!」

 次の瞬間、魔獣は急に全身を仰け反らせ、アミルは再びその背から振り落とされそうになる。

「やって…くれたな…人の子が!」

 必死に視線を巡らせると、黒獅子の顔に細長い棒が突き刺さっているのが見えた。鎧の隙間、黒獅子の左眼を正確に貫いたそれは、兵士の一人が投げた槍らしかった。


──やるじゃねぇか!

 アミルは短刀を握る両腕に力を込め体を持ち上げると、その背に突き刺さったままの柄を足場にかけ上がって、頭に飛び付いた。黒獅子の左眼を貫く槍を両手で掴むと、より深くに突き刺すように力を込める。

「キサマァァァア!!」

 叫び声を上げる黒獅子の左眼から白煙が吹き出す。再生が始まったのだ。


 魔獣の再生力とアミルの腕力との戦いだった。アミルは黒獅子の頭に両足をかけて身体を固定し、必死に黒獅子の頭を貫かんと槍を押し込む。

 そこへ精密な軌道で光の弾丸が飛来し、どす黒い血が流れ出す魔獣の左眼へ飛び込んで行く。顔面を覆う鎧の奥で、何度も凄まじい爆発音が弾けた。

「そろそろ死んだ方が楽だぞケダモノ!」

 アミルは全身の筋肉に力を込めながら不敵に笑う。それが隙となった。


 怨嗟えんさの叫びを上げる魔獣は頭を大きく振り回す。反動に耐えきれずアミルは再び宙に放り出され、掴んでいた槍は折れた。

──あと少し!

 吹っ飛ばされたアミルは空中で姿勢を立て直して受け身をとるが、それでも殺しきれない凄まじい衝撃が全身を襲う。首を振ってまた意識が飛びそうになるのをこらえ、黒獅子の方を向いた。


 黒獅子は眼窩がんかから噴き出す煙を意に介さず、エルフ女の方へ走り出した。

 マズい、ひ弱なエルフが至近距離で凶魔テルスと戦える訳がない。そう思ってアミルは再度走り出した。


***


 スコープの向こうから、黒獅子が猛烈な速度で迫ってくる。

 逃れる術は無いと、メイは冷徹な意識で判断した。死ぬのは怖くなかったが、自分の死後多くの人々が犠牲になる事が気掛かりだった。

「ふ…」

 冷たい笑みが溢れる。最期さいごの瞬間まで他人の心配とは、損な性格をしている。


 それでもメイは魔導銃を構え、撃ち続けた。一発でも多く当てれば、生き残った者たちが仕止めてくれるかもしれない。その希望に賭けずには居られなかった。

「消えろ…消えろ…」

 気がつくと自分の口から呪詛じゅそが漏れていた。


 何のためでもない、ただ己の生へ終焉をもたらそうとする魔獣の姿が憎かった。メイはまだエルフとしては若かった。ぼんやりとした生が、一つも明確にならぬままに終わって行くことに苛立いらだちがあった。

 何よりもただ、鮮やかなる生を渇望していた。その事に自分自身気が付くと、メイは自嘲に口を歪めた。


──他人を心配する振りだけして、結局は我が身可愛さか。


 誇り高きリザ神の眷属(ダークエルフ)がこのザマでは、冥府めいふに赴いてからもリザの微笑みは受けられぬだろう。それで良いと思った。誇り高き種族に在っても、誇り高き生には生まれなかったというだけのこと。


 …やがて黒獅子の頭は眼前に迫り、鋭い牙の向こうに真っ暗な死が見えても、メイはまだ銃を構え続けた。

「消えろ…!」

 叫び、引き金を引いた瞬間だった。


「…っ!?」

 気が付くと、メイは銃を構えたまま横っ飛びに突き飛ばされていた。地面を無様に転がり再び顔を上げたとき、メイは我が眼を疑った。

「アグロ…!」

 見知った背中が、その場で黒獅子の牙に刺し貫かれていた。真っ赤な鮮血が滴るその手に握られた長剣は黒獅子の上あごを内側から突き刺し、それ以上口を閉じる事ができなくなっていた。


「ガアアアア!」

 黒獅子の声にならない叫び声がその場に響く。

「逃げ…ろ!」

 それだけ聴こえると、次の瞬間、牙の奥に光が見えた。


「そんな…アグロ!アグロ!」

 落ち着きを失ったメイはアグロの下へ駆け寄ろうと立ち上がったが、その身体を悪魔ヴァルグの小娘が無慈悲にも羽交い絞めにする。

「このクソエルフ!あの男がどんな思いで助けたか分からねぇのか!」

「放せ小娘!…アグロ…アグロは私の相棒なんだっ!アグロ!」

 男はその場で長剣から手を放し、黒獅子の口を覆うようにして両腕をひろげる。噴き出した火焔が、その牙にい留められた男の身体を正面から焼き尽くした。


「生き…ろ…メイ…」

 それだけが最後に聴こえると、真っ黒に炭化した男の身体は黒獅子のあぎとに噛み砕かれた。

「アグロ…そんな…アグロ!アグロォ!」

 悲痛な叫び声を上げ、メイはそれでも手を伸ばそうとする。アミルは一つ舌打ちすると、長身をその場に引き倒し、上から覆いかぶさった。


 アミルの背後を黒獅子の吐いた火焔が通り過ぎ、その背を焼く。痛みにうめき声を上げそうになるが、歯を食いしばって耐える。

「…泣きわめくのは奴をった後にしろ…クソアマ!」

 息が切れかけている事にアミルは気が付いた。傷を負いすぎたのだ。ここから先はこのエルフ女の働き次第で生きるも死ぬも決まるだろう。

 しゃくさわる展開だった。


 泣きじゃくりながらもエルフ女が口を開く。

「…十秒稼げ。悪魔ヴァルグめ…」

 泣き顔で言われても迫力の欠片も無い。お高く留まったエルフがこのザマか。

 あまりの無様ぶざまさにアミルは内心で笑うと、その場で両手で地を突く。腕をバネにして身体を浮かせると、宙で背後に回転する。今度はその左手に握りしめる短剣、メイから奪った装備品を黒獅子の首筋に振り下ろした。


***


過負荷試験レイルオーバー開始アクト

 その声は怒りと悲しみで震えていたが、魔導銃は確かに主の声を聞き届けた。


 急激に輝きを増す。血潮が滴るように、深紅の光が銃身を流れ始めた。

 それらは全てメイの身体からほとばしる、憤怒ふんどの感情そのものだった。

 あかい光は徐々にその強さを増してゆく。


 生暖かいしずくが銃身を濡らす。

 涙に視界が歪んでいようと、銃身の向く先に敵の姿があるのが分かる。

 敵の心臓がどこにあるのかが聴こえる。

 禍々(まがまが)しく、気味の悪い心音を滅せよと心が叫ぶ。


 揺れる視界の中で危険なほど加速してゆく意識。

 真っ赤に充血する視界の中央、暴れる黒獅子。

――()()

 長い両足に力がみなぎり、その上体と銃身とを一つの砲として固定する。

 膝撃ちの姿勢、今度こそ本当に己が銃と一体化したように感じた。


 吹き付ける熱風も、船の残骸が炎上する音も、そして何もかもが、もう聴こえない。


 そこに有るのは、純粋な怒り。

 引き金に指が落ちる。


***


「…っ!」

 野性的な直感。アミルは黒獅子の背を蹴りつけると、再び宙に身を躍らせた。

 真っ赤な閃光が足下の黒獅子へ飛んだかと思うと、空気が急に熱くなる。


 本能的に息を止めたアミルの眼前で、魔獣の身体が首を中心に真っ赤に赤熱して膨張し、そして全てが爆ぜた。遅れてくる轟音と衝撃波の中、アミルは必死に姿勢を保とうと空中で手足をばたつかせる。

――今度こそ…死ねるか…。

 その小さな身体は衝撃波に耐えきれず、宙を飛びながら再び意識を喪失した。

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