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悪魔どもが愛の果て  作者: 汎野 曜
1-1. 終わりゆく積層都市
5/8

4. 空の死闘

 絶え間ない強風が叩き付ける。曇天の切れ間から白い光が差している。そこは高度千六百メルの上空である。

 足を滑らせれば命はない。煙を吹き上げる魔導船の上部甲板(デッキ)、アミルは仲間と共に立っていた。


「そんなに踏み締めなくとも落ちませんよ、アミル」

 張り詰めた場に似つかわしくない、間延びした声が風の中に響く。言われて初めて気がつく両足の強張こわばり。しゃくさわる仲間だった。


「うるせえ!怖いもんは怖いんだよ!」

 雲で覆われた空が、手を伸ばせば届きそうなほどに近い。こんな高度で戦った経験は流石に無い。


「足元を見てください…」

「っ…!」

 言われた通りアミルが足元を見ると、己の両足にびっしりと絡み付いた魔導紋が甲板上に根を張るように大きく広がっている。

「足を滑らせても、軌道術式で拾ってあげます」


 あまり嬉しくは無いが、転落して死体も遺らない死に方をするよりマシか。

「…ヤバいときは頼む」

「ええ、お任せください」

 余裕たっぷりの声が返ってくる。


 その両眼を黒ずんだ紅い帯で覆い隠した、異相の童女。襤褸ぼろを身に纏った背丈の低い姿は、それだけで不気味な印象を与える。傍らに立つそれこそが、今の仲間だった。


「ライカ!」

 アミルの鋭い呼び声に呼応し、童女はさっと手を上げる。急降下して突っ込んできた魔獣は、空中で何かにぶつかったように急角度で軌道を逸らされ吹き飛ばされた。

「もっと引き付けられるか!」

 双刀を構える両腕に力を込める。落ちる心配をしなくていいというのなら、やりようはあった。


 大蛇だいじゃの胴体に、鎧をまとう獅子ししの頭。見つめる先で魔獣は幾度か羽ばたいて宙で姿勢を立て直した。鎧の奥で赤く光る眼が、甲板上に立つアミルをじっと見据えている。


「アミル、あれは()()んですね」

「ああ、違う」

 あんな醜い魔獣がリーゼの姿である筈がなかった。記憶に残るリーゼの最後の姿はもっと気高けだかく、そして美しい。

「では、もっと引き付けます。無理は禁物ですよ、あなたは私の用心棒なんですから」

「分かってる。さっさと殺るぞ」


 ()()()()()()()()()()

 それが分かると、頭がクリアになって行くのが分かった。


 抜身の二刀を構え、羽ばたいて滞空する魔獣へに鋭い眼光を向ける。

 少し伸びてきた黒髪が強風の中ではためくのを感じた。戦場の空気に、感覚が研ぎ澄まされてゆく。


 空気を引き裂くような耳障りな鳴き声で魔獣はいななくと、炎を吐きながら再度加速を始める。

「来いよ」

 沖天ちゅうてんで一つ旋回して加速すると、魔獣は火を噴きながらアミルめがけて突っ込んできた。


 短く息を吐く。弾丸のように少女は魔獣に真正面から向かって行く。

「っしゃあ!」

 先ほどまでの恐れはどこかへ消えてゆく。アミルは持ち前の脚力で高く跳ぶと、空中で身体を一回転。魔獣の牙をすれすれでかわす。


 その顔を覆う鎧の縁から覗くぬらりとした蛇の皮膚へ、逆手に握った左の刃を突き立てた。

――ギャアアアアア!

 おぞましい叫び声を上げる魔獣の首元から、真っ黒の血が噴き出す。アミルは手を放す事無く突き立てた刃にぶら下がり、器用に身体に勢いをつけて魔獣の首元へしがみついた。


 振りほどこうとこうべを振り回す魔獣。真っ黒い血液が傷口から宙空へ、派手に噴き上がる。魔法毒物である返り血を頭から浴びても、アミルには恐れの一つもない。魔獣の頭が大きく右に振れたタイミング、勢いを利用して右手に握る短刀も蛇の肌に突き立てた。


 視界を真っ黒に染める程の血飛沫が跳ぶ。

 鋭敏な空間認知能力が、魔獣の巨体が上昇している事を伝えてくる。魔獣の身体から噴き出す血の量はすさまじいが、それでもなお戦意をうしなっていない。

「元気な…奴だな!」


 アミルは左手の刃を引き抜くと、魔獣の胴体に馬乗りにまたがった。右手は未だ突き刺さったままの短刀を掴み、左手の刃を再度振り下ろす。黒い翼の間、短い刃を力任せに斬り下ろして蛇の背中を切り開いてゆく。

「チッ…」

 またも凄まじい返り血、視界が真っ黒に染まる。


「アミル!危ない!」

 叫び声が聴こえると同時に、アミルは瞬時に両腕の双刀を蛇の背から引き抜く。胴体に跨っていた両足も放した。身体が落下を始めるのが分かる。


 一瞬の浮遊感。

 意識が飛びそうになる。


 視界が戻った時、はるか遠くに緑色の大地が見えた。両腕を拡げて風をいっぱいに受ける。


――このまま飛んで行ければよかったのにな。

 翼をまとった、リーゼのように?

 アミルはそんな自分の考えにふと笑みを浮かべた。


 身体が緩やかに空中の一点で静止し、それから再び上昇を始める。長く宙空へ伸びた魔導紋が、アミルの両足を引っ張っていた。

「本当に拾い上げることになるとは」

 あきれ果てた声が聞こえてくる。束の間アミルの身体は空を舞い、その姿を見た魔獣が空中でぐるっと旋回してこちらに向かってくるのが見えた。

「まだ、遊べるな」

 魔獣の血に頭から濡れて、少女はなお不敵に微笑んだ。


「そのままあたしを魔獣ヤツの方へ投げてくれ」

 アミルの言葉は、魔導船の甲板に未だ一人立つ仲間へ確かに伝わったはずだった。だが、アミルの身体は空中で魔獣の飛ぶ空域からは逆の方向へ引っ張られてゆく。

「おい、聴いてないのか?」

「聴いていますよ」

 アミルの背後、追いかけて飛来する魔獣。童女は甲板上でゆっくりと右手を上げると、その人差し指で正確に魔獣を指さした。


「ばん」

 無邪気な声と同時に、アミルの背後で何かが大爆発を起こした。


 ごうっと襲い来る衝撃波。

 遅れてくる爆音、轟音。大気に凄まじい火花の華が散り、アミルの両足を掴む魔法陣が一瞬揺らめいた。


 吊り上げられた両足を軸に宙で器用に一回転したアミルは、背後の魔物の姿に驚いた。


 獅子の頭を覆う鎧に大きなひびが入っている。

 見ている傍からもう一度、高速で飛来した何かが鎧に衝突し、大量の火花を散らす。

 アミルの斬撃にも怯まなかった魔獣が、はっきりと空中でよろめいた。鎧の一部が砕かれ、大きな穴が開いていた。


 更に続けざまに三発。連続する衝撃音、炸裂音。

 大輪の火花を咲かせて外骨格に何かが撃ち込まれ、爆発する。


 呆気に取られるアミルが甲板上に再度降り立つと、傍らの童女はぽつりと呟く。

「魔法砲撃です」


 ***


命中ヒット

 静かに呟く。


 すらりと伸びたしなやかな体躯で伏せ撃ちの姿勢になり、スコープを覗く。

 身長とほぼ同じ長さの銃身をその場に構え、引き金に指を掛ける女が一人。


 流麗で無駄のないフォルム、幾重にも加速魔法の施された長大なバレルから発射される大口径の銃火は、どんな砲撃にも劣らない火力と冷たい精密性を併せ持っていた。

 スコープの中に映る空間。誰かが魔獣と戦っているのが見えた。随分と無茶な戦い方をする…銃と一体になって冷え切った脳裏でそう思う。

 メイの長い腕は機械仕掛けのように無駄なく動き、魔導ボルトを引いて再装填、一秒にも満たぬ間に照準、躊躇ためらいなく引き金を引く。瞬時の爆音。


 メイには弾頭が滑空してゆく音が聞こえた。

 足元で歓声を上げる衛士たちの声など全く耳に入らない。ただ冷たい空気の中を飛ぶ弾丸が全てを切り裂き、魔獣の外骨格に衝突して立てる凄まじい衝撃音だけが聞こえている。


命中ヒット

 無感情、無感動に言い捨てる。

 銃を構えている時間が好きだった。弾丸の飛ぶ音だけが響く。全てが生と死の冷たい世界に帰ってくる。

 その瞬間だけ、全てを捨てた殺し屋となる事ができた。ダークエルフのメイは、天性の狙撃手スナイパーだった。


 魔獣は外骨格を砕かれ、飛ぶのがやっとという様子だった。それでも魔導船に追いすがろうとする魔獣の姿に、ため息をつく。

「哀れだな」

 言うと同時に引き金を引く。魔獣は頭部を撃ち抜かれ、凄まじい量の血をまき散らしながらどこへともなく墜落してゆく。

 衛士たちから再び歓声が上がった。


――?

 違和感。メイはまだスコープから眼を離さなかった。

 墜ちてゆく魔獣を見つめる。黒の血の眷属は、死と同時にその身体が崩壊してゆくのが普通だった。魔獣の巨体は落下し続けているが、崩れて行かない。

――まだ、死んでない。

 焦りが心の中に生まれた事に気が付いたが、それを誤魔化すようにしてメイは魔導ボルトに再度手を掛けた。


***


「おいライカ、あれは何だ」

「どうやら遅かった、みたいですね」

 魔獣を撃退し、どうにか船が目の前の積層都市へ着陸するまでの時間を稼げれば良かった。墜落してゆく巨躯を見て、自分の仕事は終わったものだとアミルは思っていたが、どうやらそうではないらしい。


「人を喰い続けた魔獣は、凶魔テルスとなるのです」

 アミルの眼前、墜落したかと思われた魔獣は再度息を吹き返し、それまでとは比べ物にならない速度で空を旋回し始めた。

 ぐるぐると同じ場所を回りながら、魔獣の身体は徐々に変形してゆく。蛇の胴体から手足が生えたかと思うと、間もなくその全身が獅子の身体に変貌した。


 巨大な翼で天を掛ける、黒い体毛を身に纏った獅子の姿。

 羽ばたきながら空中で静止すると、それは金色の瞳で真っ直ぐアミルを見据えた。

「…小娘…俺に刃を向けるのはお前か」

 全身の気が逆立つような凄まじいプレッシャー、ここは上空だというのに、地の底から聞こえてきたとしか思えないような声が響き渡る。


「まだ遊び足りねえのか」

「やれやれ」

 ため息をつきながら、童女ライカは再び双刀を構えるアミルを見つめる。その両足に再度魔導紋が絡みついた。


 瞬時に魔導紋はアミルの全身を覆いつくす。

 アミルはライカの方を振り向いた。


「残念ですがもう時間です」

 それだけ聴こえた直後、アミルは己の視界が引っくり返るのを感じた。

 凄まじい衝撃と、宙に放り出される自分の身体、目の前に自分と同じように吹き飛ばされるライカの小さな身体が見えた。


 アミルはライカの身体を空中で抱き止める。

 自分たちの護っていた魔導船が目的地へ不時着したのだと、やっと理解が追い付いてくる。空中へ放り出された自分の位置を正確に認識する。

 このままどこまでも飛んでゆければいいのにと思った。

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