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悪魔どもが愛の果て  作者: 汎野 曜
1-1. 終わりゆく積層都市
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3. 終わり/始まり

 緩やかに振動し続ける魔導エンジンに背を預けて座り込み、アミルは皮製の鞘に収まった二本の短刀を腕の中に抱えたまま、浅い眠りの中にあった。

 その短い髪の間から突き出る二本の角さえなければ、あどけなさを残した彼女の様子は可愛らしい人間ヒューミの少女以外の何者でもなかっただろう。


 暗く暑いエンジンルームには眠り込むアミルの他にも幾人かの難民が居たが、悪魔族ヴァルグである彼女の眠りを邪魔しようとする者はいなかった。


 悪魔族ヴァルグにとっては心地よい温かさと低い音、そして規則的な振動の中で、アミルはこっくり、こっくりと頭を揺らしながら、過去の事を思い出していた。

 その傍らに妹の姿が在った時代、昨日のことのように覚えている日の事を。


***


 そこは何かの講堂のようだった。壁と壁の間は二十メル以上もあったし、天井は高くて見えない。末期の積層都市によく作られた、無駄に広くて暗い空間。住むものの居なくなった都市では、その維持管理の手間もあって複数の部屋を連結した大きな空間が大量に作られた。

 部屋の至る所に灯る真っ赤な蝋燭ろうそくが、打ち捨てられ砕けた人骨を照らす。僅かな赤い光を黒々とした闇が取り囲み、張り巡らされた白く太い糸の塊が不気味に光を反射している。


 蜘蛛の魔人ルグラ、それが今回の雇い主であるスラド大公の代理人から伝えられた敵である。都市に巣食う魔人を排除し、かつての帝国の遺構を再利用する目的だという。

 既にそこは魔人の陣中であった。戦士の姉妹は、二刀に長剣というそれぞれの武器を構えながら、じりじりと進む。


 部屋の中央。暗闇に覆われた頭上で何かが動く気配。二人は即座にそちらを向く。


「キャッハハハハハハ!」

 貫かんばかりに刺々しく鋭利なわらい声。姉妹はそれぞれ得物えものを握る手に力を込めた。


 愉快そうに、しかし相手を威圧するような声が響き渡る。

「たったの小娘二人であたしをどうにかできると思ってるの?」


 何かが落ちてくるのがアミルには分かった。

「避けろ!」

 アミルとリーゼは咄嗟とっさに左右に飛び退いた。轟音。足元に振動が伝わり、遅れて大量の埃が舞う。


 二人はその間に落ちてきた物を見て、身体を強張こわばらせる。

「どうせ暇だったし。あたしをりに来たのなら、ちょっとは遊んでやろうかしら」

 距離を取った二人の間に、巨大な蜘蛛が姿を現していた。巨大な蜘蛛の身体から、真っ赤なドレスを身にまとう女の上半身が生えている。人と蜘蛛とが融合したかのようなおぞましい姿、それは紛れもなく伝え聞いていた魔人そのもの。


 無造作に蜘蛛の魔人は二人へ両手の指先を向ける。

 危険を察知し、瞬時に二人は駆け始めた。一瞬前に立っていた場所には既に大量の蜘蛛の糸が撒かれている。

 魔人の指からは粘着質の糸が大量に吐き出され、宙を舞って二人を捕らえようと追いかける。姉妹は蜘蛛の周囲をぐるぐると駆け抜けて糸を回避しながら、機会をうかがった。

せわしないたちだねえ」


 ひらひらと手を振ると、魔人の両手からは更に大量の糸が吐き出された。宙を覆い尽くさんばかりに飛び散ったそれは、走り続けるアミルとリーゼへ伸びる。

 アミルは両手にげる二刀で、リーゼは右手の長剣を振るって追跡してくる糸を叩き落とす。


 器用な真似をする姉妹に、魔人は一瞬気を取られた。その瞬間を鋭敏に察知した二人は一瞬目を合わせ、同時に走り込んで蜘蛛へ向かう。


「勇ましいのねえ、虫酸が走る」

 相互あいたがいに武器を構え、二人は蜘蛛を挟み撃ちにしようと飛びかかった。


 蜘蛛はその図体に似合わぬ機敏さで跳躍、壁に取りつくと、凄まじい速度で壁面を走り始めた。

 アミルとリーゼは必死にその方向へ武器を構えるが、ただでさえ暗い室内、黒い蜘蛛の影を目で追い続けるのにも限界がある。


 やがて蜘蛛は、壁づたいに暗闇の満ちる天井へと消えていった。

「逃げたのか…?」

 二人はお互いの背を預け合い、目を凝らして四方の壁を見つめる。


 わずかな間、広い室内は再びの静寂。


 息をする音すらも大きく響き、やがてお互いの心臓の鼓動すらも聞こえてくる。


 部屋の奥に置いてあった赤い照明からじりじりと、微かな音。


 そんな音ですら二人には煩わしい。


 身動みじろぎもできない緊張感で二人はその場にい止められた。


「…!」

 直感。咄嗟に危険を感じたアミルは、傍らに立っていたリーゼを肩で突き飛ばす。

 糸を垂らして音もなく頭上に忍び寄っていた蜘蛛は、その場に残されたアミルの直上へ落ちてきた。


 重い落下音、足元の床が砕かれる鈍い音。

 振り向いたリーゼは、蜘蛛の巨大な脚でアミルが踏み倒されるのを見た。


 長く伸びた左脚の先端部が、うつぶせに倒れたアミルの肩に突き刺さって血がにじんでいる。不自然な方向に折れ曲がった腕は、明らかに肩関節から外れていた。

「姉さん!」

 アミルの表情は激痛に歪み、口元からは血が垂れている。

「まあ可愛いねえ。ここで食ってしまおうかしら」


「く…そ…」

 力なく悪態をついて倒れたアミルは、眼前で剣を構える妹の闘気が徐々に乱れて行くのを感じ取った。

 落ち着けリーゼ、…そう声を出そうとしても、固い床に叩き付けられた肺からは苦しげな息しか出てこない。己の非力さを呪った。


 必死に声を上げようとするアミルの姿が、皮肉にもリーゼの心に更に焦りを掻き立てる。

 姉と比して、リーゼにはまだ修羅場の経験が足りない。その焦りは彼女の心を容易に掻き乱した。


「姉さんを放せ…!」

 底冷えするような獰猛な声、もう既にリーゼは怒りに我を失っている。

「こいつを放してあたしに何の得が」

 魔人が言い切る前にリーゼはその長い脚に迫る。

 悪魔族ヴァルグよりも更に高速で動作を見分けられる魔人種ルグラの眼をもってしても、リーゼの動きは見切れなかった。


 姉を押さえ付ける脚の下に潜り込み、長剣を一閃。鋭い刃が狙いを違わず脚の甲殻の間へ突き立てられた。


 途端に青白い蜘蛛の血液が噴き出し、凄まじい返り血がリーゼを真っ青に染めてゆく。

「ぃぃぃいいいやああぁぁぁぁぁ!」

「汚いけだものが!…姉さんに、触れるな!」

 言いながら力任せに剣を振り抜く。悪魔族の膂力りょりょくを前に、魔人の脚はいとも容易く断ち切られた。


 両手で顔を覆って痛みに叫ぶ魔人。蜘蛛の身体が前に傾き崩れる直前、一瞬でリーゼは姉の身体を抱えて踏み込み、び去る。

 今や魔人ははっきりと己の立場を思い知った。相手は小娘の皮を被った化物だ。狩られる獲物は向こうではなかった。


***


「…っ!」

 歯を食いしばって痛みに耐える。だらんと垂れた左腕を掴むと、無理やり腕の関節をめ直した。どうにか立ち上がると、霞んだ視界の向こうにリーゼが蜘蛛の魔人を圧倒しているのが見えた。


「その程度か…汚らしい蜘蛛め」

 誰が見てもリーゼが一方的に魔人を圧倒しているように見える。怒り狂った時のリーゼの剣捌けんさばきは、アミルの技量を遥かに上回る。だがそれ故に、リーゼは己の力にたのみ過ぎる所があった。


 油断するな、まだ何か隠してる。

 そう声を上げようとするが、アミルの息は未だ声を発するまでに至らない。燃え上がるような痛み、肺が潰れていると感じた。

――肋骨が何本かいかれてやがる…。

 悪魔族にとって致命傷ではないが、それでも回復には時間を要する。もうこの状態では自分は動けない。

 そう自覚すればこそ、アミルは冷静だった。壁際へ追い詰められてゆく魔人をじっと観察する。


 リーゼの剣閃をギリギリの所でかわしながら、魔人はその左手に何か小さなものを手に取っているのが見えた。

――人形…?

 小さな木彫りの人形のように見えるそれを、魔人は大事そうに握りしめている。


 見ている内にリーゼの身体が宙を舞い、蜘蛛の右前脚を斬り払った。

 左前脚と同じく切り裂かれた関節部から青白い血液が噴き出す。左右両方の前脚を斬られた魔人は、泣き叫びながら前へ倒れ込む。人と同じ姿の上半身が、不様ぶざまに両手を地に付けた。

「それで終わりか」

 地面に両手を付き、項垂うなだれた魔人のこうべへ切っ先を向ける。


「…小娘が良い気になってぇえ!」

 自らの勝利を確信していたリーゼは、魔人が左手に持っていた人形を宙に放り投げた事に対して反応できなかった。


 空中でピタリと静止した人形を見て、アミルとリーゼのどちらも気圧されるような恐怖を感じた。

 魔法の心得の無い二人だったが、それでも分かる。

 ()()()()()()()()()()()


――カタカタカタ…

 宙で吊られたかのように止まった人形が、気味の悪い音を立てている。


 突如としてその場の全員が()()()。夕暮れの闇、吹き荒ぶ風、見てはいけない何かが、ゆっくりと揺れている気配と音。


 ()()()()()()()()()()と本能が告げる。


「…代償デミフィケ…」

「私の…このルブリセの全身をあなた様の標本に差し上げますわ!ユウヤミ!こいつらを呪いに沈めてくださいまし!」

 魔人のヒステリックな叫び声が響く。


「…ルブリセ…標本スペセム許可パーミル…」

 その音は確かに人形から発せられていた。小さな音が木彫りの人形の奥底から響く。

 それが()()()()()()の発動する合図だった。


「…ぐぇ!?」

 次の瞬間、魔人の全身に青緑色の石で作られた巨大な杭が突き刺さっていた。

 蜘蛛の下半身に二本、人間の上半身に一本。どこから現れたのかも分からない、正確に身体の中央を狙って穿うがたれたそれは、あたかも標本にされた蜘蛛のように魔人の身体を地面に固定した。


 真っ青な血液を全身から噴き上げながら、魔人はそれでも凄惨にわらう。

「そうよ…このルブリセの身体を好きに使いなさい…」

 捨て台詞を最後に魔人が動かなくなると、同時に、宙の人形がじりじりと動き出したのをリーゼは見た。


 次の瞬間、人形は一目散にアミルに向かって飛来する。


 アミルはまだ動ける状態ではない。

 これで己の生も終わるのかと思うと、少しだけ怖かった。


 動けなかった。

 アミルはその瞬間を、終生後悔する事となった──


「姉さんっ!」


──真っ青なリーゼがよろめくアミルを突き飛ばすと、弾丸のように飛んできた人形はそのままリーゼの首筋に噛みついた。


「リーゼ!」

 やっと声を上げられるようになったが、すでに手遅れだった。アミルの眼前でリーゼは自らの首筋に噛みついた人形を掴み取り、引き剥がそうとする。しかし悪魔族ヴァルグの腕力をもってしても、喰い込んだ牙は剥がす事ができない。


「く、あぁぁぁ!」

 叫び声を上げるリーゼの首筋から、何かが彼女の身体に流し込まれているのが分かった。皮膚が変色しはじめ、白い肌に真っ黒な血管が浮き上がる。

 必死で駆け寄ったアミルの目の前で、リーゼが気を失って倒れる。人形はいつの間にか忽然と姿を消していた。


「リーゼ、おい!リーゼ!」

 応答はない。その肌は人形に噛みつかれた首を中心としてどす黒く変色し、元の何倍も腫れて膨れ上がっている。黒い液体の流れる血管に沿って、青緑色の結晶が肌の上に浮き出ては剥がれ落ちた。


 リーゼの身体はその日から、長く苦しい()()()への道を転がり始めた。


 世界最強にして最悪の魔法使いたちである「廃王の死徒(オロトグ・アビス)」が一人。「六つ目の夕闇(ローシュエディク)」と称される魔法使いユウヤミの創り出した「生まれ変わりの呪い(リィンカーネタルシア)」。

 それがリーゼの身に与えられた呪いの名だった。


***


 大きな揺れと共にアミルは目を覚ました。

 何か悪い夢を見ていた気がしたが、覚えていなかった。


 船内に何かのサイレンが鳴っている。

 仕事の時間が来たようだ。アミルは二刀を腰に戻し、再び立ち上がった。

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