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悪魔どもが愛の果て  作者: 汎野 曜
1-1. 終わりゆく積層都市
2/8

1. 怒れる射手

「殿下のご命令とあれど、承服しょうふく致しかねます」

 凛とした声が放たれると、左右に居並ぶ幕臣ばくしんたちはざわめいた。

 積層都市十一層。王宮とはいえ、狭い最上層の面積においては玉座の間もまた決して広くない。風も吹かない淀んだ空間、透き通った声音はよく通った。


 声の主がすっと背筋を伸ばして立ち上がると、丈の長いコート型の黒い軍服に身を包んだ、しなやかな長身が目線を集めた。

 褐色の肌に、くくった長い白髪、整った目鼻立ち、瞳は深い青をたたえて真っ直ぐ前を見据えている。


 銀の袖章そでしょうから指揮官であると分かるが、飾緒かざりお略綬りゃくじゅも一切身に帯びていない。そのまま戦場におもむくかのような飾り気のない姿を見れば分かる。彼女は虚飾きょしょくを好まない。

 そこに立つ軍人は、武芸の種族として名高いダークエルフの美女だった。


 彫像のように整った顔立ちは飽くまで無表情を貫いているが、態度と気配からは氷のような冷たい怒りがにじんでいる。

 大理石で作られた白い玉座に、身体が沈み込むほど大量の毛皮を敷いてふんぞり返る人物を、彼女メイは眼光も鋭く睨みつけていた。


 視線の先、背の低い太った男の顔は、光の差さない玉座を包む陰に隠れている。

 それを良い事に、男はいやらしい目つきで眼前に立つメイの肢体したいを舐めるように見つめている。魔導銃まどうじゅうの射手であるメイの目には、鼻の下を伸ばした男の下卑げびた顔がよく見えた。


 メイは己の仕えるあるじである男の、そんな顔が嫌いだった。

 自分を性的な対象としてしか見ていない、愚かな人間ヒューミ…。

 …湧き上がるどす黒い怒りを必死で呑み込む。どれだけ怒った所で、事態の解決には繋がらない。


 ダークエルフであるメイがより劣等種であるはずの人間ヒューミに何故従っているかと言えば、それは流浪の武芸者であったメイの実力を認めた先王が彼女を武官として取り立てたからだった。

 メイは魔獣戦争の戦渦によってレーヴィニアでは難民へと転落したエルフ族であり、そして女の身である。しかし魔獣との戦いで自ら陣頭に立つ武人であった先王は、飽くまでそんなメイを武人として遇した。


 まだ今より数十歳も若く、戦禍で混乱する大陸レーヴィニアで生計を立てるのに必死だったメイにとって、組織の中に居場所を与えてくれた先王の存在は何より大きかった。

 一人の武芸者として恩に報いようと最前線に立ち続けた彼女は、いつしか都市の警護を任される衛士隊えいしたいの長に任命されるに至っていた。誇りと共に衛士隊の黒い指揮官章を受け取ったメイは、激しさを増す魔獣どもの攻撃から積層都市全域を守る為に力を尽くす…はずだった。


「できぬかな、我が父の選んだ武人たるお前が」

 脂肪のかたまりのような巨体を揺すりながら、いやらしい笑みに表情を崩した男がわらっている。気味の悪い、熱のこもった目線が全身をでる度、メイは寒気を感じた。あまり長くここに居たくない。


「恐れながら、殿下は防人テルンガどもの恐ろしさを分かっていらっしゃらないのでは」

「余はお前に、愚鈍な魔物どもから街を取り戻せと命じたに過ぎぬ」

 メイの発言を遮って冷淡な声が響く。居並ぶ群臣たちはその声に苛立ちが混じっていることに気がついたが、メイは敢えて声を張った。

「現下の衛士隊の兵力では防人テルンガと戦ったとて勝ち目はありません。せめて軍の招集を」

「勝ち目が無いかは分からぬ。試してみればよいではないか、それが臣たるもののつとめである」

 誰にでも分かった。玉座に座る醜い男は、死ねと命じているのだ。


 …虚しさを感じ、玉座の間に差す僅かな光のほうへ目を向ける。まるでそこに存在を主張するかのように、小さな天窓てんまどの外に白い曇り空が覗いている。メイは目を細め、答えを求めてしばし光を見つめた。


 厳しくも開明的な先王が病に倒れ、崩壊が始まったのがおよそ三年前。王位継承の儀も済ませぬまま奸臣かんしんどもを味方につけ玉座を簒奪さんだつした第一王子は、即座に「帝国時代との決別」を宣言。外界で続く魔獣戦争を意に介さずエルフ族の市民権を剥奪はくだつ、そして逆らう者の粛清しゅくせいを開始した。

 積層都市全体で数十万人が暮らしていたエルフ族は高々数年の内にほぼ姿を消し、大半が難民として都市を脱出した。


 ダークエルフであるメイの率いた衛士隊もまた酷く冷遇され、百人以上を数えた精兵の大半が王宮警護を担当する近衛隊への配置換えとなった。

 衛士隊に残ったのは、人間ヒューミでありながらメイへの忠誠を誓って配置換えを拒否し降格された者たちだけだった。


 メイは視線を男に戻すと、きっとした目つきで口を開いた。

「無理なご命令です」

 己の下へ残った兵士の数は三十に満たない。一人一人の顔と名前をくっきりと憶えている。彼女にはその命を守る責任があった。


「そうか」

 男は少々驚いた風だった。命令に従順な存在しか見た事が無ければ、命令に従わないエルフの存在は何とも奇異に映るに違いない。後に続く言葉が、メイへの無理解を物語っていた。

「逃げ帰ってきても良いのだぞ。我が後宮こうきゅうに飼ってやっても良い」

 にんまりと粘着質な笑みを浮かべる男の表情に、メイは心の底から嫌悪を感じた。自分が後宮のしとねで目の前の男の相手をしている姿を一瞬でも思い浮かべてしまい、全身に鳥肌が立つ。


 暗い怒りと燃えるような羞恥しゅうちとが首をもたげる。自分の顔が殺意に歪むのを感じ取ったが、メイはもう止められそうになかった。

「…殿下がそのようだから、この都市は防人テルンガの侵攻を許したのです」

 怒りに声が震える。そんな様子を見て、男はべったりと貼り付けたような笑みを崩さなかった。


 くすくすと笑う群臣たちの中央、怒りと恥辱ちじょくに打ち震えるダークエルフの姿。既に男の目線はメイの顔を見ていない。男の口から吐き出されるのは、想像以上に下劣な台詞せりふだった。

「後宮にて我が子を為すが良い、ダークエルフの女。その方がお前には似合っておる」


 その言葉で、何かが決定的に終わってしまった気がした。

 獣の唸るような声が自分の喉から漏れている事に、メイは気付いた。


 もう怒りを止めることはない。

「黙れ」

 腰にいた軍用長剣の柄に手を触れる。

 場の空気が凍り付いた。

「お前のような愚か者が、人の上に立つ王を名乗るか」

 男の両脇に立つ近衛兵が同時に槍を構えた。


 最初に視界に入った時から気付いている。どちらも近衛への配置替えに際してメイが手ずから槍の扱い方を教えた者たちだった。

 かつての部下、共に兵舎で酒杯を交わした事もあった。それが今や、自分にまで矛先を向けるようになった。


 酷薄こくはくな笑みを浮かべて、メイは静かに呟く。

「そう気まずい顔をするな」

 躊躇ためらいながらも矛先を向けてくる二人を前にして、メイはそれでもこの二人の行く末を案じていた。愚昧ぐまいな王子の下に従っていれば、いつかは駒として使い捨てられるだけだろう。


 怒りを通り越して底冷えしてゆく心を感じる。

 やがてメイの微笑みは徐々に凄惨せいさんさを帯び、全身からぞっとするような気配が漂い始める。敢えてメイは二人の教え子に声を掛けた。最期の言葉のつもりだった。

「安心しろ。殺されてやる」

 二人の兵士はその言葉にますます身を硬くして、その場に立ちすくんだ。


「愚かなる王子よ、このまま手をこまねいていれば、間もなく防人テルンガの侵攻はこの十一層にも及ぶ。この場に居る全員が皆殺しだ」

 メイはいつでも剣を抜ける姿勢を維持したまま、冷徹な声で語る。

「お前が手塩にかけて育てた近衛たちがれば問題ない。その為にお前に兵を育てさせたのだ」

 男には何も分かってなどいなかった。力の強い魔獣は精鋭である衛士たちが数人がかりでやっと倒している事も、その魔獣たちが数万の軍勢を成して迫ってくるのが防人テルンガである事も、男のちっぽけな脳には見当もつかぬことなのだろう。


 戦場に出た事もなければ、自ら剣を握った事もない男の半生にそれを求めるのは無理が有ったかもしれない。しかし、だからこそメイはこの期に及んで配下の進言を聴こうともしない男の姿に苛立った。

「お前は何も分かっていない。愚かな男よ」

 メイは剣の柄を握る拳に力を込めた。

リザの名に懸けて、お前はその座にあるべきではない」


「我ら人間ヒューミの神はルーゼル神だ。リザなどという名にはおよそ聞き覚えが無いが」

 目の前のエルフが酷く怒っている事が男には分かっていないのかもしれなかった。或いは名誉を重んじるダークエルフに、種族の主神たるリザ神を冒涜する言葉を投げる事が何を意味しているのか、それすら分からないのかもしれない。


 わらう男を前にして、メイは冷たい緊張感の中で間合いを測る。王子を殺し、二人の近衛によって殺されればいい。それで全て終わる。

 魔獣と戦うために兵士になったはずの二人にとっては過酷な経験かもしれないが、誰かを殺す事の手触りぐらいは学んでおいてもいい。


 微動だにせず、最適なタイミングが訪れるのを待つ。その瞬間ときが来れば、このながき苦痛の道も終わる。

 最期に悪者の一人も退治できれば、エルフの永い生の終わりとしても十分だろう。そんなことがメイの脳裏によぎった瞬間だった。


「やめなさい、メイ」

 低く落ち着いた男の声がメイの背を叩く。玉座とは反対側の入場扉、背後から聞こえたその声にびくりと身をすくませると、メイはゆっくりと剣の柄から手を離した。


 振り返ると、メイと同じ軍服に身を包んだ体格の良い男が、表情を強張らせながら歩いてくる。

「すぐ激昂げきこうするのは貴女の悪い癖です」

 言いながら男はメイのかたわらまで来ると、その長い耳に顔を寄せて小声で耳打ちした。

「緊急事態です。墜落寸前の魔導飛空船が魔物を引き連れたまま都市に近付いています」

「…何だと」


 男がいかつい表情でうなずくのを見ると、メイは王子に再び向き直った。

「このようなたわむれに費やす時間が惜しくなった故、この場は退かせて頂く」

 左右の近衛は既に槍を引いている。明らかに安堵の表情を浮かべているのが気になった。


 玉座の傍らにも侍女の一人が慌てた様子で駆け寄り、何事かを王子に囁いている。きっと自分が聞いたのと同じことだろう。

「なるほど、早くも余の言った通りになるようだな」

「何?」

「試してみよ、お前たち衛士隊が為す術もなく全滅するのかどうか」


 メイは今度こそはっきりと憎悪と殺意で顔を歪めた。

「貴様…憶えておけ」

 嘲笑するような笑みを崩さない王子に背を向ける。


 軍服の長い裾をひるがえして歩くメイの隣に、同じ軍服の男が肩を並べた。長身のエルフ族より更に頭一つ分大きい男がメイの眼前に歩み出て扉を開き、出てゆくメイに背後からついてゆく。

 無駄に巨大な王宮から一歩出て白い曇天の光を浴びた所で、メイはやっと息を吐いた。身体中にまとわりついた視線が、光の中でやっと離れて行くような感覚を覚える。


「あのような愚か者に、あなたの命を使わないでください」

 男の声に珍しく焦りが混じっているのを聴いて、メイは少し反省した。

「人々を護り、誰かを助ける為にその命を遣うべきです。メイ」

「…すまなかったよ」

 お前があの場に居てくれれば。そう言おうとしたメイはすんでの所で言葉を呑み込んだ。今はそんな悠長ゆうちょうな事を言ってられる場合ではない。男の厳しい表情がそれを物語っていた。


 衛士隊の数少ない備品である蒸気車がエンジンをかけたまま王宮前の道路に停められている。

魔導銃テスティアをケースごと持ってきています。今すぐ現場へ向かえますか?」

「勿論だ。ありがとう、アグロ」

「…行きますよ」

 真正面から礼を言って微笑むメイから眼を逸らすと、アグロと呼ばれた男はそそくさと蒸気車の運転席に乗り込んだ。

「ふう…」

 一つ息をつくと、蒸気車の助手席へ駆け込んだ。部下を、仲間たちを、護るために戦う。そんな重要な事すら怒りのあまり忘れていたとは、メイは己の不覚を恥じるばかりだった。

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