結びなおして
物陰から素早く飛び出した紫朔は、一度後ろに腕を反らし、勢いをつけて大量の糸を鵺に向かって放つ。
「ぐっ……」
右肩の激痛に一瞬顔を歪ませたが、そのまま攻撃を続行。その糸を鵺の手足に絡みつかせ、力任せに引っ張る。
鵺も抵抗するように、糸が絡みついた両腕を力任せに振るい引っ張った。
腕力の差は歴然であり、一瞬だけ紫朔は引っ張りこまれそうになるが、その瞬間に紫朔はあっさりと糸を手放す。
紫朔は小さくにやりと笑うと、そのまま垂直にジャンプして身をひるがえした。
直後、紫朔の後方から数多のガレキや部屋にあった備品類が鵺に向かって殺到した。
鵺の腕に絡みついた糸のいくつかは紫朔ではなく、紫朔の背後にあったガレキなどにくっついていたのだ。鵺の腕力で引っ張られたガレキ類は猛スピードで鵺に向かっていく。
鵺は避けることもできず、押し寄せたガレキによって吹き飛ばされてしまう。だが、それでも鵺は怯みはしなかった。怯むことはできなかった。
鵺は木の幹のような両足を肥大化させて、無理やり踏ん張り制動をかけた。
焦点の定まらない目をさらにぎょろりと動かし、まっすぐ向かってくる紫朔を視認した。
「ヒョォォォオオオオオ!」
鵺は甲高い叫び声を上げた。両腕に鋭利な木の槍をハリネズミの背のようにいくつも作り出し、突撃してくる紫朔に向かって放つ。
ひとつ、ふたつ、みっつ――。
幾度もなく飛来する槍に、紫朔は怯むことなく回避しつつ前進して距離を詰めていった。
至近まで間合いを詰めた紫朔は素早くジャンプし、指先から糸を何本も生成した。
――ビチャッ。
紫朔が空中で構えた瞬間、突然液体が紫朔に向かって放たれた。
紫朔はとっさに避けることもせず、液体は胴体に直撃。あっけなくぼとりと床に落ち、紫朔だったものはジュウジュウと音を立てて溶け始める。
それは鵺の胸辺りに寄生した植物が放った溶解液だった。鵺の攻撃に合わせて吐き出したのだ。
寄生植物はさらに追い討ちとして二度三度と溶解液を容赦なく吐きかける。
紫朔は為すすべもなく、どんどん溶かされていく。
その光景に、寄生植物は自らの勝利を確信しにやけた口元さらに歪めケタケタと笑いだした。自らの勝利を確信して。
だが、ふと目の前の物体に違和感を感じ、笑い声が止まった。
植物は鵺の視覚を通して、溶けかけの物体を注視する。そして、すぐに違和感の正体に気づいた。
中身が、無い。
溶解液により紫朔だった物体の至るところが炭化して大穴を開けているが、そこから覗く中身がハリボテのように空洞になっていた。
糸を細かく編んで作られた精巧な人形。つまり偽物だった。
その事実に気づいた瞬間、紫朔だった物体は一気に形を失い、崩れてただの糸の塊になっていく。
糸人形が囮だと瞬時に判断し、とっさに鵺の目をぐるぐると動かして素早く周囲を見回す。
直後、その視界が真っ白に覆われた。
既に鵺の背後に回り込んでいた紫朔が大量の糸を放ち、どんどん鵺の身体に巻きつけていく。
途中でちぎられぬように。逃げられぬように。ありったけの魂魄を使って大量の糸を作り出し、次から次へと巻きつける。
「喝ァァァァァァ!」
紫朔は叫んだ。激痛と疲労で気絶しそうな自分を奮い立たせるために。
鵺がまゆ玉になってもさらに巻きつけた。今、反撃を僅かにでも許せば自分は終わる。その一心で幾度も幾度も糸を巻きつける。
まゆ玉は雪山を転がる落ちる雪玉のようにどんどん大きくなっていく。戦闘でもろくなっていた床は、まゆ玉の重さに耐え切れずに大きな音を立てて崩れてしまった。
一階へと落下するまゆ玉に、それでもなお糸を巻きつけていく。その大きさはついに二階の天井にまで達するほど巨大となった。
傷ついた紫朔の身体は限界を超え、消費し続けた魂魄は底を尽きかけていた。
視界がぐらつき、息も絶え絶えだった。
それでもまだ、警戒を解くことはできなかった。
気配が、未だ残ってる。
これほどまでに巨大なまゆ玉であっても、ミシミシと軋む音が聞こえてくる。無理矢理にでもこの巨大なまゆ玉の檻から突破しようとしているのだろう。
鵺の本体は、とうに力尽きているはずだった。恐らく寄生した植物が無理やり動かしているのだろう。
つまり、この異常な程の筋力は本体の限界をはるかに超過して行使している為だった。
(あの植物ごと、倒さねば)
攻撃の手を緩めるな。
反撃の隙を与えるな。
我が身体よ、耐えてくれ。
紫朔は最後の力を振り絞り、まるで祈るように両手を合わせる。
そしてありったけの魂魄を使い、術を発動させた。
「【比和・相生・木生火】!」
紫朔が唱えると、まゆ玉の中心部の糸が閃光を伴うほど白熱し、巨大な炎となって荒れ狂った。
外側の糸が檻となって炎の逃げ場を失くし、中に存在する全ての物質を焼き尽くしていく。
僅かな逃げ場を見つけた炎が、まゆ玉の隙間から溢れ出していた。
近くにいるだけでも火傷しそうな高温を内包するまゆ玉。
だが、溢れ出た炎が、紫朔の思いとは裏腹に次第に収まっていく。炎の勢いがだんだんと弱まって来てしまっていた。
どれだけ超常的な力を行使できるとはいえ、そこには必ず自然界の法則が存在する。
すなわち、炎が高温をもって燃え続けるにも限界はあるのだ。
――燃焼の三要素。
炎が燃え続けるには、熱、可燃物、酸素が必要であり、このいづれかの要素が一つでも欠ければ火は消えてしまう。
術によって炎を発現させることができるのは、これらの要素の一部を魂魄で無理やり補っているに過ぎない。
そして、今まさにその要素のうちの一つが欠け始めていた。
それは酸素だった。
反撃されないようにまゆ玉に閉じ込めたが為に、中の酸素が足りなくなってしまい炎の勢いが弱まってしまったのだ。
そして、寄生植物は、未だにしぶとく生き残っていた。
***
先ほどの炎上で空洞になり、無炎燃焼|(※タバコなどのように、炎を伴わず煙のみで燃える状態)を起こすまゆ玉の中、寄生植物は鵺の身体を犠牲にして炎から身を守っていた。
既にほぼ炭化した身体からずるりと這い出る。
どうせ既に絶命し使い物にならなくなっていたのだ。未練など欠片もなかった。
通常生物なら中毒で気絶しているであろう、一酸化炭素と二酸化炭素が充満したまゆ玉のなかで寄生植物は自らの根をまゆ玉の外殻に突き刺した。
寄生植物は常に浮かべていた笑顔の口角をさらに上げた。
敵が弱っているのはわかっている。植物自身も宿主を失ったが、まだ活動は可能だ。
もし敵が息絶えているならば、そのまま身体を奪ってもいいだろう。
ここさえ脱出してしまえば、勝機はある。
そして、突き刺していた根に力をこめ、一気にまゆ玉の外殻を引き裂いて穴を開けた。
穴を開けてしまった。
空気のほとんど入らない密室では、酸素が足りずにうまく燃えることができず、火が燻り不完全燃焼が起こる。
火が不完全燃焼を起こした場合、発生した炭素がうまく酸素と結びつかずに、二酸化炭素ではなく可燃性のある一酸化炭素が生じてしまう。
その一酸化炭素が充満した密室に、なんらかの方法で穴が開いて空気が入ってしまった場合、急激に一酸化炭素と酸素が結びついて二酸化炭素と熱が生じる。
つまり、まるで炎が息を吹き返すように、"爆発"を伴って燃焼するのである。
――これを、『バックドラフト現象』という。
そして偶然にも、巨大なまゆ玉の中でこの現象が起きる条件がそろっていた。
寄生植物は、穴をこじ開けたとき一気に空気が中に流れ込んでくるのを感じた。
そして次の瞬間、強烈な閃光と暴れ狂う爆風、そして異常なほどの熱を刹那に感じた寄生植物は、常に絶やさなかった笑顔をついに失った。
爆風が止み、半壊したまゆ玉がさながら焚き火のように燃え、真っ暗闇となってしまった周囲を照らす。
そこに動くものは何ひとつとして居らず、ただ火がパチパチとはぜる音だけが静かに響き渡っていた。




