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ほつれかけた心(いと)

 (ぬえ)は突進の勢いをのせ、その丸太そのままのような腕で殴りかかった。

 横薙ぎに振られた豪腕を、紫朔は素早く屈んで回避する。

 鵺は、間髪入れずにもう一方の腕を突き出した。

 それを今度は、大きく後方に跳躍して回避。

 続け様に、天井をガリガリと削ってしまうほど肥大化させた腕で叩きつけてくる。

 紫朔は、空中で周囲に散乱する複数のガレキに糸を絡ませる。着地と同時に糸を引っ張り、ガレキを積み上げて即席の盾を作り出し防御した。


 紫朔の額から汗がぽたり一雫流れ落ちる。それを拭うこともせず、紫朔はさらに戦闘に集中する。


 一撃一撃が高威力。あの男が鬼の力を混ぜたとか言っていたが、それも納得できる腕力だ。

 とはいえ、暴走したせいで知能が低下しているのか攻撃方法そのものは単調だった。(さば)ききるだけなら容易だろう。


(ここは、足止めや回避に徹して玄々や辰砂の到着を待つべきか……)


 これだけの戦闘音だ。どちらかがこちらに向かっていても不思議ではない。


(あと少し時間を稼ぎ、博士が遠くいっただろう頃合に自分も撤退するか)


 一瞬そんな考えが頭を過ぎり、慌ててその考えを振り払う。

 天下の御庭番の一員でもあろう自分が、そんな弱気で一体どうするのか。

 いつまで自分は彼女の後ろに居続ける気だろうか。

 本当は肩を並べて戦いたかったのではないのか。

 全てを憎んでいたあの頃、手を差し伸べて救ってくれた彼女に恩返しするために。


「我が後ろに道は無しじゃ!」


 紫朔は、あえて言葉を口にして自らを奮い立たせた。

 その言葉に反応するかのように、鵺もまた甲高い悲鳴のような雄叫びをあげた。


 鵺は腕を槍状に変え、騎馬兵のように突進する。

 その動きに合わせて、紫朔は距離を離すように後方へと跳躍(ちょうやく)しつつ両腕を大きく広げ、交差させる。

 鵺は構わず紫朔に向かって槍状の腕を突き出しながら突進するが、見えない何かに遮られるように途中で停止した。

 

 よく見れば、沢山のピアノ線のように細い糸が鵺の進行を阻むように通路に張られており、それらが鵺の拳だけでなくその身体にも絡みついて動きを止めていた。

 それは、紫朔が張った剛糸だった。


 紫朔は、そのまま小刻みに跳躍して距離をはなす。

 鬼相当の力をもつ相手に長時間の拘束は無理だ。現に、鵺を拘束していた糸が既にぶちぶちとちぎれ始めている。持ってあと数秒といったところだろう。

 でも、目的は拘束(そっち)ではない。


 紫朔は、素早く柏手(かしわで)を一拍打った。


「【相生(そうせい)木生火(もくしょうか)】!」


 紫朔が叫ぶと、鵺に絡みついていた糸が一気に白熱し炎上。そのまま奴の全身を飲み込むほどの巨大な炎となった。

 これは五行思想(ごぎょうしそう)(※万物は5つの元素からなるという自然哲学のこと)における性質変化を利用した術であり、紫朔の奥の手とも言えるものだった。

 木行(もくぎょう)の性質である自身の糸を媒体(ばいたい)とし、火を生み出して相手を炎上させる。

 ただし、自身の妖力や技量ではこのあたりの性質変化までが限界であり、火行(かぎょう)の性質である火をさらに変化させることはできない。天翼(つばさ)あたりならば、さらに火から土へと性質変化させて追撃したりとかできるのだろうけど。


 どうやらこの攻撃はかなり効果があったようで、鵺は不気味な叫び声をあげながら業火の中をもがいていた。

 このまま焼き殺すために、さらに魂魄を送ろうと力を込める。


 だが、それよりも先に紫朔目掛けて飛来する何かがあった。

 慌てて紫朔は体を捻って回避を試みるが、ひと呼吸分回避が遅れてしまい、飛来した何かが右肩に触れた。


 初めに紫朔が感じたのは熱さだった。

 まるで煮えたぎった油をかけられたような熱さ。そしてそれは次第に激痛へと変わっていく。


「うぐああああ!?」


 声にならない悲鳴。

 本能が痛みから必死に逃げようとするかのように、口から痛みを吐き出そうとするかのように、言葉にならない悲鳴を上げた。

 思考が一気にかき乱される。激痛で視界が揺らぐ。

 肩のあたりから聞こえるジュウジュウと何かが溶けるような音を脳の片隅でなんとか認識する。

 これは酸だ。しかもかなり強力なものだった。

 鵺は今もなお炎のなかでもがき苦しんでいる。酸液など出す暇などないはずだ。どうやって攻撃をしたのか。

 

 考える暇もなく、もう一度酸液が飛んできた。

 紫朔は痛みを堪え回避するとともに、なにが液を飛ばしてきたのか観察する。


 その正体は、植物だった。

 

 正確にいえば鵺の胸に寄生している植物の実だった。

 それがぎらついた歯をむき出しにしてケタケタと笑っている。この実が酸液を吐き出していたのだ。

 つまり、これは強力な溶解液というわけか。


「ぐぅっ……おのれ……」


 紫朔は苦悶の声をもらし、すぐさま反撃に移ろうと指先から糸を作り出すが、鵺の猛攻はいまだ止まらなかった。

 全身が燃えているにもかかわらず、今度は腕を触手のように伸ばして紫朔の足首を捕まえてきたのだ。


(しまった……!)


 胸の植物は、自立して攻撃できるだけでなくそのまま宿主の体まで強制的に操れるのか。

 今更気づいたところで紫朔にはどうすることもできず、そのまま横の壁に叩きつけられる。

 一撃の衝撃が重い。視界がぐらつく。

 だが鵺からの攻撃はそれだけでは留まらなかった。

 次は天井へ、床へ、ガレキの山へ、再び壁に。

 乱暴に何度も何度も叩きつけられた。

 骨が軋み、皮膚は裂け、血が飛び散る。

 耐久力のない紫朔は、叩きつけられる度に意識が途切れそうになる。

 もはや、悲鳴すら上げられない。


(わしは……ここで(たお)れるのか……)


 体中が痛い。

 魂魄を全身に回し、自然治癒力を最大まで高めているが効果がまったくもって感じられない。

 それほどまでに打ちのめされていた。


 鵺は、今度はぐったりと弱りきった紫朔をゆっくりと大きく持ち上げた。トドメに思い切り床に叩きつける気なのだろう。


 自分は選択を間違えたのか。

 自分ではやはり勝てないのか。

 流れ出る血とともに心が蝕まれる。


 ほとんど霞んだ紫朔の瞳に、鵺に寄生した植物が映った。にたりと笑う不気味な口から、ぎらついた歯を覗かせている。

 その姿が、かつて戦った禍津神(まがつがみ)と重なって見えた。



 また、

 またわしは、負けるのか――



 傷ついた体が心すらも蝕み始めたとき、脳裏に一匹の銀髪銀尾の鬼の背中が浮かんだ。

 そして、いつも自分に向かって笑いかけてくれる、あのやさしい笑顔が浮かんだ。


 強くて、自信に満ちていて、暖かい笑顔。


 どれだけ手を伸ばしても届かない、強さを秘めた眼差しを。

 

 こんなところで死ぬなど、

 恩を返さず果てるなど、


 ――そんなのは、(いや)だ。



「まだ……死ねぬわぁ!」


 鵺が叩きつけようと力を入れた瞬間、紫朔は大きく叫び素早く斬糸を操って触手状の腕を切り落とす。

 さらに、空中で素早く糸を網のように編み込むと、鵺の顔面と鵺の胸についている実に向かって放った。


 細切れになった触手状の腕とともに床にぼとりと転がり落ちた紫朔は、崩れた壁の向こう側まで伸縮性のある糸を飛ばした。

 そのまま糸に引っ張られるようにして素早く移動し、物陰に隠れて鵺の様子を伺う。


 僅かな時間だけだがうまく目くらましができたようで、鵺はこちらの姿を探しだそうとキョロキョロとあたりを見回していた。

 既に鵺の体にまとわりついていた炎はあらかた弱まってしまっており、所々わずかに小さく燃えているだけだった。切り刻んだはずの鵺の腕も、動画の逆再生のような速度で再生している。四肢に攻撃したところであまり効果はないようだ。

 それでも、よく見ればかなりダメージを与えることができたのか黒く炭化している部分もある。もっと火力のある炎を出せれば燃やしきることができたかもしれない。


 紫朔は、今一度自分の体の状態も確認した。

 体中が打ち身や切り傷だらけだ。全身が痛すぎてもうどこがどう痛いのかわからない。

 和服も血だらけでボロボロだった。口の中でずっと血の味がしている。

 それでも退きたくはなかった。


 ――負けない。


 きっと仲間にはひどく怒られるだろう。ここまでいくと無茶というより無謀だ。

 仲間の力を借りるのは恥ではない。ここまで足止めできたのならば、本来は退くべきだろう。

 まるで童子(わらし)のような意地だ。紫朔は思わず苦笑してしまった。


 ――負けられない。


 溶解液でとかされ、辛うじて服につながっている右袖を、邪魔にならないようにビリッと無理やり引きちぎった。

 焼けただれた右肩にも、糸を包帯替わりにして素早く巻きつける。


 ――負けたくない。


 紫朔は、ゆっくりと長く息を吐き出すと、意を決して一気に物陰から飛び出した。

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