出会い
――プルルルルル
携帯電話の着信音だ。
何も不思議なところはない。
しかし、それは前提が普段の着信ならばの話である。
――プルルルルル
未だ鳴り止まず、部屋に響き渡る着信音。
まるで何かが、目に見えない何かが手招きをしているかのようだった。
――プルルルルル
着信画面をみると、知らない番号。
何故だか嫌な予感がする。
それでも、見えない何かに誘われるように、電話に出る。
――モシモシ……?
***
時期は少し遡ること4月始め。
桜も満開であり、天気は快晴。絶好の始業式日和である。
晴れて高校生となった土御門紗月は、卸したばかりのセーラー服を着て下校中だった。
学校は午前のみ。校長の地獄のような長話を耐え抜き、家へと凱旋する途中なのだ。
紗月が通う事になる神凪高校は、ここ神凪町唯一の高校である。学校から自宅まで徒歩で20分ほどと少し遠いが、田舎町ゆえに仕方のないことなのだろうと紗月は納得している。
学校は街の中央辺りにあり、歩いて10分ほどの距離に神凪駅もある。いずれできる学校の友達と、学校帰りに隣町まで電車で出かけるのも悪くないだろう。
そんな風に、今後の計画を練りながら浮かれた様子で帰宅する。
神凪町は、田舎町とはいえそこまで活気がないわけではない。
昨年にできた大型ショッピングモールのおかげで商店街のないこの街でも買い物に困らなくなったし、近くの街から電車でやってくるお客も増えてさらに活気は増している。
街の中心から離れてくるとさすがに人もまばらになってきたが、同じく始業式を終えたのであろう小さな子供達が元気に走り回っている。
子供たちの遊ぶ元気な声を聞きながら歩いていると、ようやく自宅に着いた。
木造建築で少し古めかしいが、作りはしっかりしている。二階建てであり、部屋数も1、2階合わせて多くはないが温かみのあるこの家が紗月は好きだった。
カバンから鍵を取り出し、鍵を開ける。
「ただいまー」
昔ながらの癖で、声をかけながら引き戸を開けて中に入る。
いつもなら母親のおかえりという返事が帰ってくるが、あいにく家の電気が消えていた。
たぶん買い物にでも行っているのだろう。
父は、今は家に居ない。単身赴任でずっと前から海外に居るのだ。おかげで紗月は顔をまともに見たことがなかった。とはいえたまに電話で話すため、そこまで気にしたこともない。
(いつもの返事がないと、ちょっと寂しいな)
人の気配のない静寂に包まれた我が家は、どこかいつもと違った雰囲気があった。
そんなことを思いながら、自室のある2階へ、荷物を下ろしに行く。
自室もそこまで荷物のない、質素なものだった。
扉を開けて入った部屋は、畳の床に薄い水色のカーペットを敷き、勉強机と畳まれた布団、カラーボックスを本棚代わりにしてお気に入りの漫画本を詰め込んである。二人くらいなら座れるほどの少し大きめのソファーと小さなテーブルがあり、テーブルの上にはノートパソコンが置いてあった。
狭いながらも上手く生活スペースを確保できてる。そんな感じの部屋だった。
いつもの見慣れた光景。
でも、今日は何故だかひどく違和感を感じる。
紗月は、通学用カバンを床に置きながらそんな風に感じていた。
何かが、いつもと違う。
なぜ、こんなにも寂しさがあるのだろうか?
――何かが、おかしい。
どこが?
静かすぎるから寂しいと感じているだけじゃないのか?
そこまで思って、紗月は気づいた。
そう、静かすぎるのだ。
先ほどまで、近所で子供の笑い声が響いていた。
近くで遊んでいた子供たちも、家に入る前に見かけた。
雀だって鳴いていた。
それらが、今は全く聞こえないのだ。
この部屋にだって窓はひとつある。家の奥側にあるわけじゃない。
子供たちが遊びに飽きてどこかへ行った可能性もあるが、それにしたって静かすぎるのだ。
謎の悪寒が全身を駆け巡る。
冷や汗が額を伝い、背筋を冷やす。
頭の奥で警鐘が鳴り響く。
――プルルルル
突然、静寂を破って鳴り響いたのは自分のスマフォだった。
いきなりの着信音だったために、紗月は若干小さな悲鳴とともに飛び上がった。
「な、なんだ……ケータイかぁ……」
紗月は安堵とともに息を吐き出す。
未だに心臓がバクバクと鳴っているが、落ち着いてスマフォを取り出し、画面を確認する。
「――え?」
そこには知らない番号からの着信だった。
そもそも本当に番号なのかもわからない。
画面には『0000』と表示されていた。
――プルルルルル。
静まりかけていた心臓がまた早鐘のように鳴る。
鼓動が爆音のように頭に鳴り響く。
出てはいけないような気がする。
頭のどこかですべてがおかしいと感じている。
しかし、何故かでなければいけないような気もしていた。
抗うことはできない。
通話ボタンをフリックし、通話を開始する。
「も、もしもし……?」
緊張で喉が渇き、掠れた声が出る。
ちゃんと言えたかも自分でわからないほど小さな声だった。
しかし、そんな小さな声でも通話の相手は応えた。
応えてしまった。
――モシモシ。ワタシ、メリーサン。
紗月は反射的にスマフォを放り投げる。
もはや頭の中が混乱して悲鳴すら上げることはできなかった。
床に転がったスマフォの通話は、既に切れていた。
紗月は知っていた。
どこかで聞いたことある都市伝説。
誰もが知るであろうお話だ。
――メリーさん。
電話をかけてくるたび、どんどん自分との距離が近くなる。
逃げても逃げても追いついてくる恐怖のお話。
創作の世界だけのお話。そのはずだった。
――プルルルル
再び着信音が鳴り響く。
もはや恐怖でスマフォを手に取ることもできない。
……このまま通話に出なければ大丈夫なのではないか。
そんな考えがふと頭をよぎる。
全てが夢だ。悪い夢なのだ。
この着信音は、きっと目覚ましの音なのだ。
すぐに目が覚める。
だが、そんな考えを嘲笑うかのように、勝手に通話が開始される。
――モシモシ。ワタシ、メリーサン。イマ、ゲンカンニイルノ。
言い終わると勝手に通話は切れた。
玄関と、相手は言った。
聞き間違いじゃない。はっきりと聞こえた。
このままじゃ殺される……。
逃れられない恐怖に、体が震えが止まらない。
心臓の鼓動が、頭の中で大音量で響く。緊張で吐き気すら覚える。
どうにかしなければ。
恐怖と混乱で錆び付いた頭をむりやり総動員し、なんとかひとつ閃くことができた。
紗月はとっさにスマフォの電源を落とす。
電源さえ落としてしまえば、着信することもないのではないか。
――プルルルル。
手元の電源の入っていないスマフォは三度鳴り響く。
まるで、最期の宣告のように。
どんな抵抗も無駄だというように。
脳が思考を放棄し始めていた。
全てが、どこか遠いところで起こっているような気さえし始めていた。
「もしもし、ワタシ、メリーさん――」
手元のスマホから流れる声と同じ声が、ステレオのように部屋に木霊する。
振り向いてはいけない。
紗月は、頭の片隅でそう思ったが、体が言うことを聞かない。
まるで見えない力で体を動かされているように、勝手に背後を振り返る。
もうすぐ、私、死――
「いま、あなたの後ろにい――」
――ドゴンッ!
振り返った紗月が見たものは、
真横から壁を突き破って来た人影が、太ももにまで届きそうな長い金髪の少女を反対側の壁まで蹴り飛ばす光景だった。
「あ……」
その瞬間、紗月は声を発することができた。
「あたしの部屋ーーーー!?」
だが、混乱し続けて麻痺した脳から発せられた言葉は、そんな場違いの感想だった。