百鬼万来
不思議な田舎町、神凪町。
この街には多くの不思議が渦巻いている。
この街においては、それらはなにも不思議ではない。
不思議が起こることが、不思議ではないのだ。
矛盾ともいえるが、それがこの町の道理なのである。
夕暮れ。黄昏時。日が傾き地平線に差し掛かる頃。
いわゆる逢魔時と言われる時間帯。
特にこの時間帯は、不思議が起こる。
昼間の騒動のあと、土御門紗月は暗くなる前に帰ろうと思い、白銀 玄々と別れた。
どうせまだゴールデンウィークだ。祝日なので学校は休み。
また後日に仲間を紹介してもらう約束を玄々として、紗月は家に帰ることにしたのだった。
なぜ後日なのか聞くと、玄々は急用が入ったからとしか答えなかった。
一応、御庭番の仕事らしかったので、紗月もそれ以上は聞かなかった。
答えられる質問の場合は、玄々はちゃんと教えてくれるし、約束は必ず守ってくれる。
出会ってまだ付き合いは短いが、そのことについては紗月は玄々を信頼していた。
所々説明が雑だったり、テキトーだったりするが……。
「そこのお嬢さん、少しお尋ねしたいのですが……」
紗月が帰りに、何か間食でもしようかと思考を巡らせつつ街を歩いていると、突然後ろから声をかけられた。
相手はハット帽を深く被り、茶色のロングコートを羽織った男性だった。
紗月はいぶかしげに思いながら、返事をする。
「えっと……なんでしょうか?」
「私は今、人を探していましてね」
どこまでも怪しげな様子でロングコートの男は紗月にゆっくり近寄る。
どう考えても不審者だった。
不審者過ぎだった。紗月は、経験上なんとなく予想がついていた。
予想はついていたが、一応話を聞いてみた。まあ、一方的に決め付けるのも良くないし。
「それで、探してる人ってなんですか?」
紗月は、できる限り平静に訪ねた。
その言葉に、ハット帽の奥で男がにやりと笑ったような気がした。
まるで、その言葉を待ってました、と言わんばかりにもったいぶって話す。
「それはですね……」
そっと男はハット帽をとる。
その顔が、顕になった。
「こーんなかおなんですよぉ!」
その男には、顔がなかった。
目や鼻、口すらもない。凹凸が全く無く、つるりと平らだったのだ。
彼は、のっぺらぼうだった。
そんな彼の様子に、紗月は――
「あー、うん。のっぺらぼう……ですよね」
大方、予想通りといったように紗月は生返事をした。
「……」
「……」
暫く無言が続く。
二人の間に気不味い空気が流れた。
「えーっと。お嬢さんはこういうの得意なんですか……? ホラーとか」
「がっかりさせてごめんなさい。なんというか、こういうの最近多いから慣れちゃいまして」
「ふむ、なるほど。確かに良質な魂魄を持っていらっしゃいますからね。経験がお有りなのも不思議ではないのでしょうね」
紗月が申し訳なさそうに謝ると、のっぺらぼうは意外と紳士的に対応する。
しかし、紗月は経験上まだ不安が残っていた。
「あの、私このまま食べられたりするのでしょうか?」
「いえいえ。わたくし共は恐怖による吸収を主とするため、そんなことは致しません」
その話は以前に、紗月は玄々から聞いたことがあった。
妖怪は人を捕食する。
人が他の動物を食べるのと同じように。
それは昔から続く自然の理であり、あたりまえのことだった。
生き物はそれぞれ、魂魄という魂の力を内包している。
妖怪だと妖力だとか、人間だと霊力だとか気の力だとか、呼び方は変わるが性質にそれほど違いはないらしい。
それを妖怪は日常的に扱う。いわば妖術とか神通力といったものだ。
人間でも、先天的に扱うことができる者もいるらしい。
いわば超能力者だとかが、それに当たる。
修行によって才能を開花させるものもいるが、現代ではそんな修行を行う人間はごく希だという。
だが、力を使わなくても、魂魄は代謝で消費されるものらしい。人間は消費が微々たるものなのだが、妖怪は消費が大きい。それゆえに、魂魄を多く内包する人間を襲い、吸収する。
とはいえ、一口に捕食といっても妖怪によって方法は様々。
本当にむしゃむしゃと食べてしまう輩もいれば、こうやって驚かせて吸収する妖怪もいる。中には異性と交わることで吸収するタイプも存在するのだとか。聞いたときは紗月はちょっと恥ずかしかった。
ただし、これらはあくまで一昔前の話なのだそうだ。
玄々の話によれば、現代のように食べ物が豊富で裕福な場合は人間と同じように食べ物を食べるだけで事足りるのだという。
自身の力量以上の大きな力を用いるなど、力を蓄える必要のある場合以外は。
「まあ、怖がられないのならば次の獲物を探しますよ」
「なんか、ごめんなさい」
「お気になさらずに。こちらこそ、急に襲ってしまいすみません」
そう、のっぺらぼうは丁寧に応えた。表情はのっぺらぼうなので分からないが。
紗月はなぜかちょっと申し訳なく思ってしまった。
こういった妖怪の場合は、昔ながらの方法で魂魄を補給する者が多いのかも知れない。
(まあ、口がないからなのかな……)
そんな風に、紗月はなんとなく思った。
ではお元気で、と再びハット帽を深めに被り、背を向け去っていくのっぺらぼうを見送りながら、紗月はそっとため息をついた。
こういったことは、紗月にとっては、随分と慣れたことだった。
幼少期からよく妖怪に出会ったり、不思議な出来事に巻き込まれることはあったのだ。
しかし、ここ最近はかなり多くなってきたような気がする。
そんな風に紗月は内心感じていた。
(それもこれも、"あいつ"に会ってからよね……)
偶然だとは思うが、ここまで多いと他人のせいにしたくもなった。
人に仇なす妖怪たち――すなわち『怪異』に初めて遭遇したあの日。
あの日を境に、妖怪たちに会うことが多くなった気がする。
ただ、それらが全て悪かったとは思っていなかった。
馴染みの郵便屋は天狗だったし、家の近所のコンビニでは雪女が店員だった。
隣のクラスにも学生の妖怪がいたし、人気のとあるアイドルも猫又だってことも知った。
紗月の身近に意外と多くの妖怪が生活していたが、むしろ好ましいことだと紗月は感じていた。
オカルト自体が嫌いではなかったし、物心がつき始めた頃に裏山に遊びに行った時、崖から落ちたときに助けてくれたのも確か蛇のような妖怪だった。
もちろん、襲われて怖い思いをしたこともあるが、その頃は命自体が脅かされることはなかったし、初めて妖怪に出会ったのが助けてくれた思い出だったためか、そこまで嫌悪することもなく過ごしてきたのだった。
第一印象はとても大事である。
「なんか疲れたなぁ、ドーナツでも買って帰ろう」
友人のところに遊びに行っただけなのに、なんだか波乱の一日を送った気がする。
昼間は妖怪同士の戦闘を――隠れていたとはいえ間近で見て、夕方はのっぺらぼうに襲われた。のっぺらぼうは紳士的で助かったが。
紗月は、なにか声を出せば少しは気分が紛れるような気がしたが、なんだか余計疲れた気がする。
はやく甘いものでも食べよう。
美味しいものを食べれば、気分も回復するはずだ。
そんな風に考えて、少し足早に歩き出す。
その時だった。
「あら、ごきげんよう人間」
背後から声をかけられた。紗月はデジャブを感じ、さらに嫌な予感も感じた。
どうしてこう、後ろから声を掛ける人が多いのだろうか。
げんなりとしながら紗月は振り返り、声をかけた人物をみる。
そこには、腰下まで伸ばした長い綺麗な金髪と碧眼を持つ小さな少女がいた。黒を基調とした、フリルがたくさん付いたゴシックロリータファッションに身を包んだその姿には見覚えがあった。
自分よりも小柄な少女の名前を、紗月は嫌々呼ぶ。
「カリィ・カチュア……」
「私の名前を覚えてくれたのね。光栄だわ」
紗月の予感は的中した。
的中してしまった。
的中して欲しくなかった。
今、一番会いたくない相手だった。
「あの……今日はもうお腹いっぱいです。」
「あら、人間の都合なんて私の知ったことではないわよ」
「もう勘弁してください」
若干涙声の紗月に、カリィと呼ばれた少女は楽しそうにニンマリと笑った。
今日は絶対厄日だ。
紗月は、心の中でそっと涙を流した。