橄欖童子
「昏睡状態って……どういうことだぃ?」
思いがけない事態になっていることを聞かされ、玄々は思わず橄欖童子に聞き返した。
「彼だけじゃないんだ。4月中旬から7月上旬にかけて捕まった元人間の妖怪たちが、ここ1ヶ月くらいまえから拘留中に突然意識を失って昏睡状態になってる」
「そんな……」
「一応、治療施設に移送して快復のためにいろいろと処置はしているけれども、芳しくはないね。むしろ少しづつ衰弱していっている」
巻物に目を落とし、指で幾つかの項目をなぞりながら橄欖童子は険しい表情で言葉を続けた。
玄々もまた、言葉を失って黙ってしまった。
確かに彼らは罪を犯したかもしれない。傍若無人に振る舞い、様々な人に危害を加えたのだろう。だが、だからといってその命が失われてもいいわけではない。救えるならばできる限り救いたい。
「前回押収した霊薬をもとに治療薬も色々作ってはいるけど……、成分が色々と違うみたいで作成は難航しているよ」
「つまり、できる限り早めに霊薬の製作所を突き止めて流通を止めると同時に、強力なほうの霊薬を押収して治療薬をつくらないといけなくなったってことかぃ……」
「さらに付け足すなら、重要参考人が昏睡状態。僕も早めに色々聞いておけばよかったんだけど……不覚だったよ。申し訳ない」
橄欖童子の謝罪の言葉に、玄々は仕方なかったと首を横に振った。
まさか意識不明になるほどに副作用があるとはこちらも分からなかったわけだし、ここまでの大きな事態に発展するとも思わなかった。危機管理不足だったのは御庭番もおなじだったわけだ。
八方塞がりな状態に、玄々は臍を噛む。
制限時間つきにも関わらず、手探りで情報を集めないといけなくなってしまった。
「ただ、証言記録に気になる文章が書かれていてね。いい情報になるかどうかはわからないけれど」
悩み俯くする玄々に、巻物に目を通していた橄欖童子が声をかける。
その言葉に、玄々は顔を上げ頷いた。
「今は少しでも情報が欲しい。何かあるのかぃ?」
玄々の言葉を聞き、同じく頷くと橄欖童子は巻物に書かれた一文を読み上げた。
「どうやら、玄々が捕まえた彼はとある山に上っていたときに例の霊薬をもらったそうだ」
「知らない奴から貰ったものをよく飲めるなぁ」
「彼はいわゆるいじめられっ子で、どうにでもなれと思って受け取ったらしい」
人生に悩みすぎて若干自暴自棄になっていたということか。人間の社会も中々複雑である。
ただ、そんな彼に第二の人生を歩ませてあげるためにも今はそんなことを気にしている暇はない。
「それで、そのとある山ってのはどこか言ってた?」
「それが、本人もわからないらしい。京都府からも遠くには言っていないとは言っていたよ」
「まじかぃ……」
あまりの情報の少なさに橄欖童子も玄々も思わず落胆してしまった。
日本に山なんて、それこそ掃いて捨てるほどある。京都周辺にも大江山、愛宕山、鞍馬山、比叡山、稲荷山など、山と聞くだけでたくさんの山があるのだ。
たしかに霊薬をつくるなら神秘の力が宿っていたり、霊脈――つまり風水だと龍脈とも呼ばれる不思議な力が流れる場所が通っていたり、パワースポットが残っている霊山あたりがいいとは思うが、適切というだけでほかの山でも作れないわけではない。
さらに言えば、もし霊薬の特殊な生成方法を確立してしまっているならば霊山でなくても強力な霊薬が作れてしまう恐れもある。そんなことは考えたくもないが。
「他にめぼしい証言は、彼は山頂に行くと足音が響くような音がする山って聞いて登ったらしいんだけど……どこかわかるかな?」
「足音が響く山……? なんだそれ」
橄欖童子の質問に、玄々は首をひねる。
玄々自身も京都には詳しいつもりだが、足音が響く山というのは聞いたことがない。
「玄々も聞いたことがないのか」
「うーん、思い当たらないねぇ。私自身もさほど山には詳しくないから、知らないだけかもしれない。隠れ家にもどったら紗月かノウェムに聞いてみるか」
なんにせよ、もともと情報が少な過ぎるのだ。これらも貴重な情報になりうる。今は藁にもすがりたい思いだった。
「今日は助かったぜ。このお礼はまた改めて埋め合わせするさ」
「いや、気にすることはないよ。僕も息抜きがてらだからね。また情報が欲しい時は電話してちょうだい。情報は集めておく」
「おう、頼りにしてるぜぃ」
玄々がお礼を言うと、何でもないと橄欖童子は笑顔で返してくれた。本当に優しい妖怪である。
大雑把とはいえ、どこかの山であり、山頂では足音が響くというキーワードは手に入った。何も手に入らないよりは幾分かマシだ。
あとは、山を徹底的に調べるだけである。最悪、時間はかかるがしらみつぶしで山を調べるのも視野に入れておこう。幸い、こちらには機動力の高い紫朔や義経、天翼もいる。
「……ねぇ、玄々」
玄々が挨拶もほどほどに部屋を出ていこうとすると、橄欖童子が小さく呼び止めた。
扉の取っ手に手を掛けようとしていた玄々は、ゆっくりと橄欖童子の方へと振り返る。
「どうしたんだぃ? 改まって」
橄欖童子の翠色の目が、じっと玄々を見据える。
「昔馴染みのよしみで言うけど、無茶だけはしないでね」
「おいおい、閻魔様が1体の妖怪を贔屓かぃ?」
「茶化さないでくれよ。心配なんだ」
そう言う橄欖童子の顔は、あまりにも悲しそうだった。
彼自身も、御庭番時代に何人もの仲間が倒れていくのを見てきたのだ。本当に優しすぎる。
これで、罪人を裁く時は冷酷無慈悲であったりするのだから怖いものである。
「私は天下の御庭番だ、安心しておくれよ」
そう言って玄々はニカッと笑うと、そのまま部屋を後にした。
そんな玄々の後ろ姿を、橄欖童子はずっと心配そうな目で見送った。
***
玄々を見送って静かになった執務室。
橄欖童子は広げていた巻物を丸めるとそっと机の隅に置いた。
椅子の背もたれに体を預け、そっと息を吐く。
「久々だなぁ……こんなにはっきり見えたのは」
橄欖童子は小さく呟いた。ゆっくりと手で片目を覆う。
閻魔の職についたからには誰かに肩入れするというのはあまりしていいものでもないし、談笑くらいはするにしても干渉はあまりするべきではないと思っている。
しかし、自身が一瞬だけ垣間視た光景があまりにも衝撃的過ぎた。
――千里眼。
いわゆる遠くまで見通すことができる、一種の神通力。
強力なものならば、少し先の未来を幻視できると云われている。
橄欖童子もまた千里眼を持っており、これは広い地獄街を時々見渡すのに重宝していた。そしてごく稀に、断片的ではあるが未来視できることがあった。
そんな彼が先ほど視えた、漠然とした光景。
それは、玄々が血だまりの中で倒れ伏している光景だった。




