一難去って
10月下旬。
残暑も段々と少なくなって、長袖厚着が普段着になってきた頃。
いつもの隠れ家の中。
「うごごごごごご……」
玄々は唸っていた。
机の前で、大量の資料に囲まれながら轟沈していた。
「うるさいよ玄々。ちょっと静かに」
「あ、土御門さん。銀の元素記号はAgです。また、電気伝導率と熱伝導率が最大なのも銀ですよ。ラテン語のアルゲントゥムのスペルからとってるんですね」
「なるほど……ってか元素記号覚えるの難しいよぉ……」
そして紗月は、青髪のメイドさん――ノウェムに勉強を教えてもらっていた。
ノウェムはもともとがパソコンの付喪神であるためか、やたら博識だった。しかも教え方が丁寧でわかりやすい。
「水兵、リーベ、僕の船。七曲り、シップス、クラークか」
「なんですか、それ?」
「水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ネオン。ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、ケイ素、リン、硫黄、塩素、アルゴン、カリウム、カルシウム……というふうに元素を語呂合わせで覚えるための歌だそうです。中々ユニークですよね」
ノウェムが急に謎の呪文を唱えたかと思ったら、ただの語呂合わせだった。とはいえ語呂合わせで勉強するというのはよくある話で、紗月自身もよく語呂合わせで歴史とか覚えたものだ。
いちごパンツの信長滅亡とか、いいくつ履こう登山協会とか……あれ?
「勉強教え終わったらよぅ……こっちも手伝ってくれよぅ、ノウェム……私、死にそう」
「だ、大丈夫? 玄々」
「資料の山が鬼のようだぁ……」
「鬼は玄々もだね……といかだいぶ参ってるね」
玄々が珍しく弱気になっているので紗月は少し声をかけてたが、なんだか若干混乱しているように見える。あまり大丈夫ではなさそうだ。玄々は資料とにらめっこするのが本当に苦手らしく、自慢の銀色の尻尾は元気なく垂れ下がり、額に冷却ジェルシートを張ってるし、栄養ドリンクも何本か机の上に並んでいる。……ところで栄養ドリンクって妖怪にも効くのだろうか?
「一応、御庭番のデータベースには随時アクセスして検索していますが、めぼしい情報は掴めていませんね」
ノウェムが申し訳なさそうに玄々に言った。どうやら御庭番にも紙資料の他にデータで保存された資料があるらしく、ノウェムはそれをインターネット経由で情報を閲覧しているらしい。というか勉強を教えながらそういった作業ができるのはさすがノウェムである。
「ちょっと気になってたんだけど、今回の事件ってそんなに難しいの?」
紗月は少し勉強の手をとめて気晴らしに玄々に質問してみた。
「んー、そうだねぇ……結構厳しいかねぃ。結論で言えば情報量が多すぎる」
「白銀さん、部外者には……」
「まあまあ、いいじゃないか。紗月のひらめきも中々ヒントになるってもんさ。それに紗月もあんまり部外者って感じでもなくなってきたし、万が一があれば私が守るさ」
玄々が説明し始めたことに対して、ノウェムが少し咎めた。
情報はときに貴重であり危険だ。部外者に情報を漏らさないのは、敵対する者に情報が行かないようせき止める意味もあるが、その部外者が情報を求めてきた敵に襲撃されないよう守る意味合いもある。たぶんノウェムは紗月に何かしら被害がでないか心配しているのだろう。
紗月は内心でノウェムに謝りを入れ、玄々の話を聞いた。好奇心に負けてしまうのは私の悪い癖なのかもしれない。
「ここ2~3ヶ月の間に人間が半妖化して暴れるって事件が多発してんだ。原因はもちろん例の違法霊薬の流出」
「あれ? でもそれって前に捕まえたって言ってなかったっけ?」
玄々の説明に紗月は今月始めの出来事を思い返してみた。確か、1人の妖怪がトラックの荷物を盗んだところから芋づる式に大量に捕まったって話だった気がする。
「ああ。ただあれは密売人や仲介役を捕まえたってだけで大元はまだ捕まえられてないんだ。製造元を叩かなきゃ、被害は一向に減らない」
「そっかぁ。それで、その製造元の情報が見当たらないと」
「そういうこと。しかも事件の量が膨大で、下手するとこの数ヶ月よりも先のデータまで洗い出さないといけなくなりそうなんだよなぁ」
「そんなに起きてるんだ」
玄々が説明を重ねるたびに、どんどんと肩を落としていく。聴いてる紗月が心配に思ってしまうほどに凹んでいた。
「一応、霊薬使用者の暴走事件は共通点があって、異界の使用をしないことが多いんです」
「異界を使用しない?」
ノウェムもなんだかんだ言って横から補足を入れてくれた。
紗月が聞き返すとさらに詳しく説明してくれた。
「通常、妖怪は自身の縄張りを示すように、または蜘蛛が巣を張って獲物を待ち構えるように異界を発生させます。これは異界を発生させたほうが自身の力量を十分に発揮できるからでもあり、他の妖怪に獲物を取られないようにするためでもあります。また巨大な異界を作り出すことで自らの力を誇示する目的もあります。これらは本能として妖怪に備わっています」
ノウェムは少苦々しい表情を浮かべ、解説を続けた。
「こうした理由から元々妖怪や半人半妖だった場合は問題ないのですが、霊薬の服用などの外的要因で妖怪化した場合、これらを本能的に理解できない場合が多いのです」
「もし異界を使用しなかったらどうなるんですか?」
「……その状態でもし狩りを行った場合、痕跡が現世に多く残ってしまい、最悪妖怪という存在が、明るみに出てしまう危険性があります」
ノウェムが静かに、解説を言い終えた。
最後の言葉の重大さは、紗月にもしっかり理解できた。もし、妖怪という存在が本当に実在してることが世間にバレれば、その被害ははかりしれない。
紗月のように受け入れることができるのならばそれに越したことはないが、それができる人間は極小数だということは紗月にも理解できる。大抵は大きな力をもった存在が自分の付近を闊歩しているというだけで恐怖してしまうだろう。
恐怖するだけならともかく、もし排除しようという動きまで出てきてしまえば……この先はあまり考えたくない。
「ともかく、現状はかなり危険な状態なので早めに解決したいのですが……。異界が使用されなかった事件で検索かけても膨大な事件数が出てきてしまい、時期を絞っても半妖が起こした大量の小さな事件が検索の邪魔をしてしまうのです」
ノウェムが小さくため息をつく。本当に手詰まりのようだ。
玄々も、椅子の背もたれに寄りかかりながらため息まじりに話を続ける。
「半妖じゃなくて、できれば妖怪が起こした異界の使用されなかった事件を調べたいんだが、中々資料の量が尋常じゃなくてねぇ」
「なんで妖怪の方なの?」
「今回押収した霊薬が妖怪化する作用が大分抑えられてるんだよ。んで、ほぼ妖怪化してるってことは長い間大量に使用しているか、その作用が抑えられてない試作タイプじゃないかって私は睨んでる」
「なるほどね。試作タイプを使ってるってことは製作者に近しい人物と取引してるかもしれないってことね」
「そういうこと」
玄々の説明で、紗月にも玄々の狙いがなんとなくわかってきた。
つまり、異界を使わずに暴れたほぼ妖怪になった人物に話を聞きたい。しかし、絞るための項目が微妙すぎてローラー作戦で調べるしかないのが現状と。
そこまで考えてふと紗月は思い出す。
そんな感じの項目に当てはまる妖怪に、昔あったような気がする。御庭番や怪異について説明してくれた印象深い出来事。
確かあれはゴールデンウィークの真っ只中の話で……。
「ねぇ、玄々」
「なんだぃ、紗月。資料探しを手伝ってくれるのかい?」
「そうじゃなくて、ゴールデンウィークの頃にそんな妖怪に合わなかった? ほら、玄々がアッパーカットで気絶させたやつ」
紗月の言葉に、ぴくっと反応する玄々。ゆっくりと紗月へと視線を向ける。
そして、段々と玄々の顔に生気が戻ってゆく。
「……そうか。あいつ確かに異界を使ってなかった。御庭番の事知ってたからあんまし疑問に思わなかったけど確かに不自然か。異界を知らないのになんで御庭番を知ってる……?」
玄々は俯き、少しの間何か考え込むとすぐさまノウェムに声をかけた。
「ノウェム、前に私が捕まえたやつって今どうしてる?」
「現在、監獄塔に幽閉されてます」
「おっけー、ありがとノウェム。……確証はないけど、なんか情報持ってる可能性は十分にあるか」
ノウェムもまた、すぐさま玄々に質問に答えた。
ノウェムからの答えを聞き、玄々はすぐさま立ち上がる。
「いっちょ久々に行ってみるか。監獄塔……地獄街へ」




