常在銭湯
――カポンッ
鹿威しの音が響き渡った。
何人もが入れそうなほどの露天風呂からは、綺麗な星がいくつも見える。
しかし、今は人影はほとんどなかった。
蛇口を捻り、シャワーが流れ出す。
熱いシャワーからでた水が、美しい茶髪を濡らした。
絹のような白肌に雫が滴り、引き締まったボディラインをさらに魅惑的に見せていた。
艶かしい生足が、湯煙の間から覗く。
シャワーの音が止まる。
水滴が滴る茶髪を、丁寧な仕草でかき上げ、背中に生えた漆黒の美しい翼が、水気を飛ばすため、バサリと広がった。
「女子だと思った? 残念、超絶美青年の葉隠天翼ちゃんでしたっ!」
天翼がバチコーンッ☆ とウインクし、
「お前は、誰と話しているんだ?」
静かに湯船に浸かる義経が、冷静にツッコミをいれた。
***
現在、紗月たちは酒呑童子の計らいで温泉宿に来ていた。
どうやらこの温泉宿は、霊湯が湧いているらしく、妖怪の疲労回復にかなり効果的らしい。そのため、一応人間用の宿屋ではあるが、よく妖怪もやってくる。
ちなみにここの従業員さんはほとんどが人間らしいが、妖怪のことをちゃんとご存じのようだ。
そして、今回の旅費や宿泊費はなんと全額経費である。前の禍津神討伐の報酬なんだとか。なぜかちゃっかり紗月も混ざってはいるが、酒呑童子曰く、「まー、1人2人増えたところでかわりませんしー?」らしい。なんとも適当である。それでいいのか御庭番。
「浴衣なんて初めて着た……」
「なんじゃ、イマドキの人間はこんなものも着れんのか。仕方ないのぅ。もそっとこちらへ来い」
「あ、ありがとう紫朔さん」
「ふん、見兼ねただけじゃ。礼などいらぬ」
今、紗月たちがいるのは、その温泉宿の更衣室。なのだが、その更衣室ですら大きい。浴衣の着付けに手間取っていた紗月を、紫朔が優しく手伝ってくれた。
人間嫌いとは聞いていたけど、なんだかんだで優しい。
「そんな難しくないだろう? 不器用だなぁ」
「温泉なんて初めての経験なんだから、いいでしょ?」
ムッと膨れた紗月を見て、遠巻きに様子を見ていた玄々はケラケラと笑った。普段と変わらない態度に見える玄々だが、この間の戦い以降、どこか元気がないようにも見える。たぶん錯覚じゃない……と思う。
あの後、3日後にお見舞いがてら会いに行ったのだが玄々本人に扉越しに門前払いされてしまい、ちゃんと会えたのは1週間後だった。
会えたあとでも、玄々はどこか元気がないように感じる。とはいえ、今の紗月にはどうすることもできない。唯一できることといえば、普段通りに接することだろう。
そんな中、酒呑童子がみんなの慰労も兼ねて温泉に招待してくれた、というわけだった。
「おい、紗月とやら。これは何じゃ」
ふと、紗月は紫朔に声をかけられた。紗月が、言われた方を見ると、紫朔は大きめの椅子を物珍しそうに眺めてる。
「なんじゃこれは。たくさんスイッチがついているのぅ。拷問椅子かえ?」
「んな物騒なもんありませんって。それはマッサージチェアですね」
「また横文字か」
「横……? ええと、その椅子に座ってボタンを押せば、肩とか肩甲骨とかをマッサージしてくれるんですよ」
「ほー、なるほど」
紗月の説明に、紫朔はなにやら頻りに感心しながら、マッサージチェアに座る。適当にボタン押してるけど、大丈夫なんだろうか。
そんな紫朔も気になるが、さっきから自販機の前で固まってるノウェムはどうしたんだろうか。なんとなく不安になったので、紗月は声をかけてみた。
「あの、どうしたんですか? ノウェムさん」
「ああ、土御門さん。実は少し、この自動販売機の操作が難しくて」
「あまりみないタイプの自販機ですからね。お金入れて、ここのボタンで欲しい商品の番号を入力するタイプだから」
「え?」
「え?」
わずかに凍りつく空気。
ノウェムのきょとんとした目がこちらを見ていた。手は、自販機に静かにかざしている。
紗月は一瞬、なぜノウェムが疑問の声を上げたのかわからなかった。だって、自販機は正常に動いて商品を運ぼうとしているのだから――
そこで、わずかに噛み合わない会話の矛盾点に気がついた。
ノウェムは番号のついたボタンを押して商品を選んでないのに、自販機が起動している。
つまり、
「ノウェムさん……まさか自分で操作してる?」
「え、そういうものじゃないんですか?」
「ホントにできるんだっ!? っていうか、そんな限定的な妖怪対象の自動販売機なんてないよっ!?」
この時、紗月は理解した。
――しまった、この人、天然だ!
「なんで、そんな面倒な……」
「ええっと、操作できそうな機構だったので、そういうものかと」
「そんなスナック感覚で自販機を操作しちゃだめだよ!?」
紗月は、改めて妖怪と人間の常識というものの違いを垣間見た気がした。
確かに、人間が普段常識として思っていることが、妖怪にとっては常識にならないことだってあるだろう。
なるほど、言われてみれば納得……納得……
――納得、できるかァァァァァァァァァアアアアアアアア!!
そんな風に心の中で叫ぶ紗月だった。
そんなとき、さらに後ろからパキッっと音がした。
すでに嫌な予感がする。
紗月は、それでも振り向かずにはいられなかった。なんとも悲しい性だった。
「なにしてんの……玄々……?」
「牛乳飲んでる」
「うん、そうじゃなくて」
「ああ、ごめん。フルーツ味」
「いや、ツッコんだとこはそこじゃないから。……で、今度はなんに影響受けたの?」
「昨日読んでた漫画」
紗月が見てしまった光景は、玄々が牛乳ビンの上の部分を握力のみで綺麗に割り、そのまま飲んでいる光景だった。そこは蓋ではない。
さすが鬼の腕力だった。呆れてツッコミを入れる気力すら湧かない。
「もう……だれか助けて」
「牛乳うめー」
「なんじゃこれはっ……わしの背をむちゃくちゃ押してくるぞ!? 人間よ、中に誰が入っておる!? 人間よ!」
膝から崩れ落ちた紗月。
牛乳を味わう玄々。
マッサージチェアを初体験する紫朔。
そこにはもはや、紗月にとっての魔境しか残ってはいなかった。
***
「遅かったな……どうした? 何かあったか?」
紗月たち全員が更衣室から出ると、談話室で義経がくつろいでいた。紗月のげっそりと疲れきった表情を心配して、義経は声をかけてくれた。
「……ああ、うん。なんというか、世界って広いね」
やつれきった紗月は、そっとなぞの言葉を義経に返すのだった。義経は少し片眉を上げ「そうか」と短く応えるだけでそれ以上は何も聞かなかった。
ちなみに、紗月を疲弊させた元凶たちは、不思議そうな顔で紗月を見ていた。
……原因、あんたらだからね?
そんな風に紗月が思っている中、天翼が浮かれ気味に廊下を歩いてきた。
「やあ皆、さっきそこの遊戯室で面白いの見つけたよ」
「お? なにを見つけた?」
「ふっふっふ……それはな」
玄々の反応に、天翼がもったいぶって応える。
「卓球台さ!」




