酒呑童子
玄々の放った雷の蹴りは、全てを貫いて周囲の闇を照らした。
一条の雷光が収束していき、あの巨人……禍津神の体がぐらりと傾き、大きな振動と共に倒れ伏した。
「勝ったの……?」
不思議と紗月の口から、呟きが漏れた。
勝ったのだ。
玄々も、義経も、天翼も、紫朔も、みんな無事だ。
大怪我してはいるものの、あの激闘を制し、みんなはしっかりと立っている。
紗月は安堵のため息をつき――
「まさか、封印するのではなく打ち倒してしまうとは。素晴らしいですねぇ……」
不意にパチパチと乾いた拍手の音と共に、声が響き渡る。
咄嗟に、紗月は声のした方に目を向けた。
そこにいたのは、小柄な体躯の少女だった。
プリーツ状のスカートになっているマキシワンピースを着ており、腰あたりを大きめのリボンで結んでいる。
洋服から覗く白く細い手足、、腰まで届く長くて艶やかな黒髪。
それだけ見るならば少し幼さの残る少女にも見えるだろう。
だが、ここにいる全てのものを威圧し支配するかのような金色の瞳が、それを否定していた。
全身が冷たく凍ってしまうような『畏れ』。
息ができないほどの畏れを、紗月は全身で感じていた。
ここに来て、新手の登場。
しかしみんなは満身創痍だった。
玄々はもはや辛うじて立っている状態だし、紫朔にいたっては義経に支えてもらってやっとという状態だった。
そんな状態で、こんな強大な相手なんて……。
「もう、それくらいにしといたらイイんじゃないかナ?」
いきなり紗月の隣から声が聞こえた。
ぎょっとして隣をみると、またもや謎の人物が居た。いつの間に……。
背丈は小柄で中学生くらい。ボサボサでセミロングの赤錆色の髪に青白い肌、左右大きさの違う青と赤の瞳とツギハギの体をしていて、ニッコリと笑うと肉食獣のようなギザギザの歯が見えた。
服は、裾がボロボロで丈の長めのダボダボTシャツにショートスパッツ、腰にベルトを巻いてるだけという出で立ちだった。
特に、左側のギョロリと大きな黒眼、その瞳の部分が赤色の御庭番のマークになっているのが印象深かった。
なんというか、ホラー映画に出てきそうな、一言でいうとものすごく不気味な容姿だったが、ほのかに香るミントの香りがその不気味さを和らげていた。
腰のベルトに帯刀してるのを見ると、刀で戦う人なのかもしれない。
「えー、だって初めての人がいるから大物感出そうと思って」
「毎回思うケド、突発的に思いついたこと実行するクセ、直したほうがいいと思うヨ? 酒呑チャン」
そんな風に朗らかに話す、突如現れた2人。話が見えない……。
「どうも、ご無沙汰しています。酒呑童子さん」
「はいどうも。天翼君たちも無事で何よりです」
「今回も、状況確認ですか?」
「ええ、今回の禍津神の回収と皆さんの無事の確認、それから現場保存ですね」
ニコニコと話す女性とこちらに来た天翼との会話の様子を紗月は唖然として眺めていた。
さらにその会話に義経と紫朔も加わって、報告会となった。
完全に蚊帳の外である。大人しく聞いてます、はい。
そんな報告会の様子を眺めながら、少しばかりの寂しさを紗月は感じていた。
結局、何もできなかった。
皆が頑張っている中、ただ見ていることしかできなかった。
妖怪と人間の、決して埋めることはできない溝。
目には見えない、どこまでも深い溝を、紗月は感じていた。
そんな様子を察したのか、隣のツギハギの人が紗月の気を紛らわすかのように、優しく話しかけてくれた。
「君、自己紹介はまだだったネ。はじめましテ、人間チャン。ボクは辰砂。気軽に辰砂チャンとでも呼んデ。」
「あ、どうも土御門紗月です」
どうみても10代前半の中学生位に見える小さな辰砂と、握手を交わす。
なんだか生気を感じられないほど冷たかった。
そういう種族なのだろうか?
「そんでアッチは御庭番の総大将、酒呑童子だヨ」
そして、辰砂は仰々しく登場した少女を指差して紹介した。
「……え!? 総大将!?」
「そゥ、一番えらい妖怪」
「えぇ……でもだって、ものすごい登場の仕方してましたけど」
「ああ、あれネ。酒呑チャンの趣味」
「……趣味」
「大丈夫だヨ。ボクもあれは馬鹿だと思ってるかラ」
辰砂と名乗ったこのツギハギの人は、優しいけど容赦がなかった。
それでも酒呑童子本人は「きこえてますよー?」と笑顔で反応はしたが、それだけ言うとまた天翼たちとの会議に戻っていた。普段からの戯れ合いなのかもしれない。
そこまで話を聞いて、紗月はふと思った。
「あれ? 総大将さんがこんなとこまで出てきていいんですか?」
紗月にとっては当然の疑問だった。
もし簡単にここまで来られるのなら、酒呑童子が戦うのが最善だったのではないだろうか?
総大将というからには、それなりに力もあるだろうし。
「その疑問はごもっともダ。ただ、あそこに居るのは酒呑チャンの分霊を宿らせた式神なのサ。だから強力な妖怪は相手にできないんダヨ」
そんな風に紗月の質問に、辰砂は応えた。
つまり、ここにいるのはいわゆる分身で、本体は別のところにいるらしい。
そりゃそうか、と紗月も納得する。本体がおいそれと出て来れはしないよね。
「さて、こちらも話は終わりましたのでそろそろ異界を解いて現界に戻りましょうか。入口にノウェムさんもまたしてありますし」
パチンッと拍手をひとつ叩き、酒呑童子が言った。
そこで、ふと紗月は気づいた。
「あ、そういえば異界って、作った人が倒れたら消えるんじゃないんですか?」
紗月は、以前経験したカリィと玄々の戦いを思い出していた。
前の時はすぐ解けたが、今回はずっと解除されないままだ。
「ああ、それは私の力で維持してるからですよ。というかそのために来たんですし」
「維持って、できるんですか?」
「私はちょー偉大なる力を持つゆえにできるのですよ。まー、維持くらいなら極稀ですが適正があれば他の妖怪にもできる技術ですけど。それにすぐ現界にもどってしまうと大変なので」
「どうしてですか?」
「いきなり血みどろ満身創痍の妖怪が現れて、近くに人間がいたら、その人たちがビックリしちゃうでしょう?」
すごく納得できる回答だった。
それもそうだ。
実際、以前の異界解除でも、そのままの状態で空き地に戻っていた。
ということは、あのまま異界が解除されていたらボロボロの皆が、路上か室内かわからないけれどいきなり出てくるわけだ。そりゃ驚くし問題だ。
「さ、帰りましょうか。皆さんの治療もしないといけませんし」
そんなどこかぶつ切りとも取れる酒呑童子の一言で、全員解散となるのだった。
まあ、ここに長居しても仕方がないのも事実ではある。
酒呑童子が異界を解除すると、町外れの廃ビルの中に出ることになった。
「お疲れ様です。酒呑様。それから皆様」
待っていたノウェムが頭を下げた。
挨拶もほどほどに、ノウェムは救急箱を取り出し、みんなの治療を行っていく。
「私も、何か手伝えないかな?」
手持ち無沙汰となった紗月は、ノウェムに聞く。
「お気持ちはありがとうございます、土御門さん。ですが、既に時刻は19時を回ろうとしています。早めにお帰りになったほうがよいと判断します」
「え? もうそんな時間?」
紗月は、慌てて外を見る。
外は既に雨が上がっており、夕日が街を照らしていた。
季節は夏だ。日が落ちるのが遅いから時間の感覚がわからなかったのだ。
そういえばノウェムはパソコンの付喪神だっけ。時間も正確にわかるのだろう。羨ましい。
とりあえず、いつも通り玄々を誘って一緒に帰ることにしよう。
「それじゃ、玄々。一緒に帰ろう」
返事がない。
そこで紗月は気がついた。
玄々の姿が見当たらないのだ。
「玄々は先に帰ったぞ。だいぶ戦闘で無理したからな」
玄々の姿を探していると、義経が答えてくれた。
紗月は少し恥ずかしくなった。
言われてみればそうだ。あれだけの激戦を繰り広げた後だ。玄々だって疲れている。
玄々のことになると、どうしても大丈夫なように思えてしまう。
それは仕方のないことだとも思う。玄々ってめちゃくちゃ強いし。
紗月はいままで、指で数えるくらいとはいえ玄々の戦いを見てきた。
どれも圧勝だったのだ。
辛勝といえば、今回くらいじゃないだろうか。
そのせいもあってか、玄々が弱いというイメージが全く浮かばない。
戦いで負けるときなんて、時々一緒にやる、格闘ゲームで対戦した時くらいだ。
だからこそ失念していた……という言い訳じみた考えを持ってしまう。
「わかった。それじゃ明日、玄々に見舞いにいくよ」
「いや、2,3日はやめておけ。暫くあとで会いにいくといい」
いきなり義経に釘を刺されてしまった。どういうことだろう。
「なにか不都合があるの?」
「今回の戦闘はかなり激しいものだ。少し休ませてやってくれ」
なぜか、少し悲しそうな目している義経に、紗月は何も言えず、ただ頷くしかなかった。
なにか事情があるのだろうか。
なにか言えないことがあるのだろうか。
紗月にはわからなかった。
でも、それ以上訊くことも紗月にはできなかった。
***
街の中心から少し離れた、剥がれかかったテナント募集中の張り紙がガラス窓に貼ってある、少し寂れた3階建ての小さなビル。
そのビルの階段を登って4階へとたどり着く。
扉を開け、部屋の電気もつけず、ゆっくりとソファーに身を投げ出すように玄々は倒れた。
「痛ってぇ……」
全身に痛みが走る。
だが、玄々は痛みには慣れていた。
今気にしているのは痛みではなく、体だった。
気を抜けば体が霧散しそうな、消滅しかけのような、そんな感覚。
原因はわかっている。
短時間で一気に魂魄を消費したことによる、魂魄の異常枯渇だ。
今回の戦いで、限界を越えて魂魄を使いすぎた。人間風に言うなら致死量一歩手前の血液を失った感じ。
それぐらい危険な状態なのである。
2,3日くらいで回復するかなと思ってたけど、この分だと全回復までは1週間くらいかかるかも知れない。
だが、それは玄々にとってはさしたる問題ではなかった。
一番の問題――
「くっそ……足りねぇ……喰いてぇ……」
それは、この食人衝動だった。
体が魂魄を求めて仕方がない。言うなれば飢餓状態なのだ。みんなと離れて帰ったのも、これが原因である。
特に紗月は良質で膨大な魂魄を持った、今時珍しい人間だ。
今、近くにいたら、恐らく自分を抑えきれない。
何か食べれば多少はよくなるかもしれないが、今の状態で街を出歩くのは危険だ。いつ衝動に負けるかわからない。
衝動に負ければ、人や動物を無差別に襲うだろう。それでは怪異と一緒だ。
それだけは、絶対に嫌だった。
後ほど、酒呑童子が丸薬 (※球状にした医薬品のこと。丸剤ともいう)を持ってきてくれると言っていた。
それまでに辛抱だ。
それでも。
「クソッ……情けねぇ……」
何がチートの塊だ。
何が鬼だ。
何が御庭番だ。
使えない。
ただの飾り。
宝の持ち腐れ。
チクショウ……。
自分への悪態だけが頭の中をずっと駆け巡る。
自分の力なのに、使いこなすことができない。
悔しさで、奥歯を噛み締める。
情けなくて、目頭が熱くなる。
額にある無様で小さな2本の角が前髪に紛れ、忌々しい尻尾がただ小さく揺れた。
雷の力を使わなければ勝てなかったとはいえ、代償が大きすぎた。それも想像以上に。
一応、対処法が無いわけではないが、あまりにも非現実過ぎる。
使えば、全てを圧倒できる、凄まじい力。
しかし、使えば自らも蝕む、忌まわしき力。
「……半端ものは、使うことすら烏滸がましい、てか」
玄々の口から、苦笑が漏れた。
それは自分への嘲笑だった。
だから、なるべくこの力を使わなくてもいいように、体を鍛えるしかない。
そう思って、ずっと身体を鍛えてきた。武術も独学ではあるが学んできた。
だが、どれだけ強かろうと結局自分はただの妖怪なのだと、そう思い知らされる。
「ちくしょう……かあさん……」
その夜、真っ暗闇の隠れ家には、1匹のちっぽけな妖怪のすすり泣く声が、虚しく響いた。




