異界からの襲撃
「まずい、紗月ちゃんこっち!」
雪音に突然手を掴まれ、引っ張られる。
紗月はついていくしかなかった。
「こ、これってもしかして異界?」
「あら、良くご存知で。それなら話が早いわね。じゃ、出口を探しましょう」
走る雪音の後を、紗月は慌てて追いかける。
追いかけながら、紗月はカリィの言葉を思い出していた。
異界とは、妖怪が作り出す精神世界。荒れた景色は造り出した術者の思いが反映されているからだろう。
そして、異界には必ず現実との出入り口が存在する。
つまり、雪音はその出入り口を探しているのだ。
「……まずいわね。影響範囲が広すぎる。こりゃ私たち以外にもかなりの数が巻き込まれてるかも」
なんとか屋外へと出た雪音は、小さく舌打ちをする。
続いて外にでた紗月は、空を見上げた。
墨をこぼしたように真っ黒に染まった空がどこまでも続き、目の前に広がる廃墟となった建物群が現実味を希薄にする。
しかし、一度異界を経験している紗月にはよく理解できた。
これは紛れもない現実だ。
「紗月ちゃん、大丈夫?」
「え?」
「怖くない?」
そんな風に心配してくれる雪音の言葉に、紗月は改めて自分が震えているのに気が付く。
先ほどまで走ることができてた足も、今はガクガクと震えている。
怖い。
言葉にできない恐怖が全身を覆い圧迫してくる。
心臓の音が脳の奥にまで響き渡る。
それでも私が正気を保っていられるのは、たぶん理解が追いついていないせいなのだろう。
意識が平気でも、本能が恐怖に支配されている。
そんなちぐはぐな状態なのだ。
そんな私の状態を察した雪音は、そっと紗月を抱きしめる。
「大丈夫よ。私が守ってあげるから」
そんな風に言葉をかけ、頭を撫でてくれる。
紗月は、少しだけ緊張が解けたような気がした。
「雪音さん……」
「大丈夫だよ。大丈夫」
「いや、あの」
「ん?」
「言葉は暖かいんですけど、体温が冷たいです」
「あ」
雪音は、慌てて紗月から離れた。
雪女である雪音の体温は、人よりも低いのだ。
凍えるほどではないにしても、ひんやり冷たい。
「あちゃあ、忘れてたよ。ごめんね」
「ううん、ありがとうございます」
恥ずかしそうに頭を掻く雪音に、紗月は心の底からお礼を言った。
未だに身体は強張っているが、それでも幾分かマシにはなった。
「もう、大丈夫だから。出口に急ぎましょう」
「わかったわ。急ぎましょっか」
紗月の言葉に、雪音はしっかりと頷く。
恐怖が少し和らいだせいか、頭も少し回るようになってきた。
異界が発生しているということは、原因の怪異が居るのはまず間違いない。ということは、御庭番である玄々たちも動いているはずだ。
異界に巻き込まれてからある程度時間も経過している。きっともうすぐ来てくれるはずだ。
淡い希望を持ちつつ、2人は探索を再開する。
しかし、この時紗月は、少し楽観視しすぎていた。
異界が発生しているということは、原因の怪異が居るということだ。
そして異界というのは、獲物を捕らえる、もしくは閉じ込める為に使うもの。
異界とは、怪異の狩場なのだ。
「紗月ちゃんっ!」
叫びと共に雪音は紗月を突き飛ばす。
突き飛ばされ、地面に倒れこむ紗月の目に写ったのは、得体の知れない化物に切り裂かれる雪音の姿だった。
「雪音さんっ!」
紗月は、思わず声をあげた。
雪音は鮮血を撒き散らし、地面に倒れこむ。
慌てて立ち上がろうとした紗月の視界が、何者かに遮られた。
「あ……」
紗月が見上げた先には、先ほど雪音を切り裂いた化物が居た。
その姿は骨と皮しかないような体をもち、獣のような顔に凶悪な牙、そして手足が異常に長かった。その細長い腕には鋭利な爪が備わっている。
まさに異形。そこにいるだけで、全身が総毛立つような感覚を覚える。
「紗月ちゃん……逃げて」
その声は酷く弱々しかった。
しかし、必死に逃がそうとしてくれているのがわかる。
逃げなきゃいけないことはわかっていた。内心でこれが愚かな行為であることも、もちろんわかっていた。
しかし、雪音を置いていくことなど紗月の頭の中には微塵もなかった。
相手を刺激しないよう、紗月はゆっくりと立ち上がる。こういう時は焦ったら負けだ。変なのに出会うのはこれが初めてじゃないし。
震える身体を叱咤し、無理やり動かす。異形の化物はまだこちらを睨みつけている。紗月もまた、目を離さないよう睨み返した。
恐怖で真っ白になりそうな脳内を必死で動かす。
現状、紗月は目の前の怪物に対抗できる手段を持っていない。なんの力も持たない自分は、襲われたらひとたまりもないだろう。それでも襲われないのは、きっと何か理由があるはずだ。
紗月は睨み返す目に力を込める。気のせいだとは思うけど、こうすることで目の前の怪物がひるんだ気がするからだ。
だが、効果はその一瞬だけで、怪物は一歩づつ、ゆっくりとだが確実にこちらに迫ってきた。
(どうする……どうしよう……)
考えてる間に、一歩づつこちらに迫ってくる。
紗月は一歩づつ後ろに下がる。
脂汗が噴き出し、頬を伝う。
だが、拭っている余裕はどこにもなかった。
雪音は未だ倒れたままだ。出血も酷い。さっきは私を守ってくれたのだ。今度は私が守らなきゃ。
「グルルルルゥ……」
怪物は低く唸る。
一歩一歩とこちらに迫ってくる。
紗月は一歩一歩と後ろに下がり――
背中が、建物の壁についた。
そして、背中の壁に意識が向き、迂闊にも怪物から目を離してしまった。
(――しまったっ!)
「グガアアアァァァァ!」
怪物が唸り声を上げ、紗月に向かって飛びかかる。
その動きがやけにスローに見えた。
死に直面した紗月の知覚が、限界を超えたのだ。
鋭い爪が、紗月に向かって伸びてくる。
もはや紗月にはどうすることもできない。
怖くても目を背けられない。
悲鳴すら上げられない。
――私、
だが覚悟を決め、いつの間にか目を閉じていた紗月の耳には、刺突音と銃声が聞こえた。
一瞬切られたかと錯覚するが、薄目を開けてみれば、目の前にいるのは爪を振りかぶったまま硬直した怪物の姿だった。ギリギリ助かったらしい。
「大丈夫かい?お嬢さん?」
絶命し、ぐらりと倒れかけた怪物を無造作に蹴飛ばし、目の前に漆黒の翼を広げた青年が舞い降りた。
突然の出来事に呆然とする紗月にオールバックの茶髪を華麗にかき上げ天翼はウインクをする。
「君を守る騎士、葉隠天翼。貴女のピンチに駆けつけましたよ」
なぜかポーズを決めてカッコつける天翼。その口にくわえたバラはなんだろう。
そしてそのバラをこちらに渡してきた。いらない。
「阿呆が。今はそんなことしている暇はないだろう」
もう一つの声に、紗月は目を向ける。
両手に拳銃を1挺づつ持ち、歩いてくる犬頭の青年。義経の姿があった。
「わかってるさ。ちょっとした茶目っ気だよ。それと、もうひとりの女性の応急処置は済ませてあるから」
天翼の言葉に雪音の姿を探すと、既に自分の近くの建物の壁に寄りかかるように座らせてあり、左腕に包帯が巻かれていた。いつの間に。
天翼と義経は二人を背後に庇うように立つ。
その目線の先には、先ほどの怪物と同じような姿の怪物がどんどん集まってきていた。
「ひぃふうみぃ……。ざっと見て30くらいかな?」
「正確には36だ。随分と"亡霊"が集まったな」
「こんなにいるってことは、今回のターゲットはやっぱりアレか」
「まずはこいつらを片付ける。詮索はそれからにしろ、烏」
天翼は懐から何枚か札を取り出し、義経は2挺の拳銃を構える。
「貴様、何体ならば相手ができる?」
「んー、彼女たちを庇いながらだからねぇ。半分かな」
義経の質問に、天翼は気軽に答えた。
「ならば残り半分は俺が受け持とう」
「余裕ぶっこいて死なないでよ、わんちゃん? 寝覚めが悪いから」
「誰にものを言っている? 貴様はできれば死んでくれ」
相変わらずの軽口もほどほどに、2人は敵の群れに向かって駆け出した。
それを合図に、異形の化物――亡霊たちは2人に襲いかかった。




