五神の源(6)
壁にかけられた時計に目をやり、風啼は目線を水杵に移した。
「そろそろ、迎えに行った方がいいだろう、水杵」
そんな言葉に、水杵が顔を上げる。
「そうですね。木櫟一人では、あの正反対の2人の相手も大変でしょう。金樺、共をしてやってくれ」
「ああ」
金樺が立ち上がると、木櫟が走り寄ってきた。
闘王に会える事が本当に嬉しいのだろう。その顔は笑顔に見あふれている。
これが、他には無い木櫟の優良点だ。
金樺も似たような感覚はあるが、大抵は闘王に会うのには多少なりとも緊張した。
「失礼の無いようにな、二人とも」
「金樺は心配ないでしょう。木櫟は誰にもでいつも通りですよ」
そんな水杵の言葉に、風啼は小さく笑いを漏らした。
「それもそうだな」
□□□□
少し静かになった広間で、水杵は木櫟が書いた答案用紙を眺めていた。
問題の内容を理解するのにも数分かかるのに、木櫟の回答は教科書の模範解答を見ている様だ。
細かな文字が細い解答欄にびっしりと書かれていた。
長い間見ていると頭が痛くなりそうだ。
「なあ、師匠」
「なんだ、火遁?」
水杵は問題用紙から顔を上げ、火遁へ目線を移す。
「東国はどんな国なんだ?」
「東か?そうだな…。東は木櫟が納めるせいもあるし、全体的に温暖な国だよ。
国全体の戦闘にも、天照大神は東は最後の最後で援護を頼む位だ。つまり、東は殆ど戦闘の場には出ない。むしろ、その後の治療で活躍する事の方が多いだろうな」
「…じゃあ、南とは正反対なんだな。じゃあ、闘王も温和なんだ?」
「そうだな。寅ノ国の李戒は、絵に描いたように温和な人だよ。古本屋を営んでいて、本にも詳しい。多分、木櫟の本好きは李戒の影響がありそうだな。
辰の国の仁討は、陽気な性格だ。両親を亡くしているが、妹の凛子をとても大事にしている。李戒とは少し「ウマ」が合わない様だけどね」
「じゃあ、仲が悪いのか?」
「いや、仲が悪いというわけじゃないんだ。東は他の国に無い位、闘王の結束が固い国なのだよ。西も結束は固いが、それとはまた違うんだ。
李戒は静かな性格だし、静かな場所が好きなのに対して、仁討は明るい場所が好きだからな。仁討は李戒の店にしょっちゅう入り浸っている位だからな」
「ふぅん…」
水杵は火遁の質問攻めに苦笑いを漏らした。
火遁はあまり他国の闘王と関わりが無い。
それに加え、少し前まではその闘王に怪訝と思われていたから、ろくに話をした事も無い。
こう急激に色んな闘王に合う事になって、少しでも情報を得ておきたいのだろう。
「簡単に言えば、根暗と能天気って事だね」
「…春宗様、またその様な言い方を…」
「これ以上、解りやすい言い方はないもの。木櫟を見ていれば東の国はよく解る。無垢な明るさは仁討の影響だし、木櫟の頭の良さは李戒のおかげ」
春宗の言葉に、火遁は首を捻る。
「じゃあ、何故、李戒は義胡や智功と共に頭のキレる闘王に数えられないんだ?李戒の本を読んで知識があるのなら、それ以上の知識がるんじゃなのか?」
「…それもそうだな」
「李戒の知識が偏っているからじゃないの?」
「どういうことですか?」
「義胡や智功は満遍なく、様々な知識を持っているけど、李戒は一極端。自分の興味のある事しか調べないもの」
「成程な…」
「何の話をしてるんですか?」
ふいに間に入った土紬に、水杵は笑いをもらした。
「いや、東国の事でね」
「作戦会議でも?」
「いや、火遁に、東はどういう国だと聞かれたものだから」
「あ、そうだ。天照大神から帰国の達が来たよ」
「え?もうか?」
土紬は懐に入れていた書簡を机の上に出す。
「火遁が神になると決まったのもあるし、今回の件で中央、東と闘王が本国に呼ばれたからね。天照が行っても不在という事もあるだろう。まさに東がそうだし、同意書さえあれば、態々国を回る事は無い。
西は義胡君が同意書を貰ってきたし、南は火遁が神になる意思を固めた時点で同意を示してるから、いま東にいる礼薫殿に南の同意書を受け取って終わりだそうだよ」
土紬がいう事がそのまま書簡の内容だった。
水杵は火遁に目線を投げ、頭を軽く叩く。
「まだ陰国の動きは見えないが、天照大神が本国にいるのであれば、陰国はそう簡単には手を出せないだろう。まだ気は抜けないと思うけどね」
□□□□
軽快に足を運ぶ木櫟の様子に、金樺は小さく笑いを漏らした。
「本当に木櫟は闘王が好きなんだな」
「だって皆といると楽しいもん!」
「そうか」
木櫟が東国の闘王に合うのは成人の議以来だから、そう昔の事では無い。
金樺も義胡達とは仲が良いが、木櫟の場合はそういうタイプではなかった。
木櫟は闘王を親友というよりは兄弟の様な感覚で接している。
火遁の様に兄弟のいない木櫟の場合、親につれられている時点で、時期神という事は支配国にはわかる。
それに、木櫟の母親は体が弱かったから、妹や弟が生まれる可能性は低かった。
だから東国の闘王候補は、木櫟が神になる事を幼い内から解っていたはずである。
仁討が闘王になったのは智功と同じ位の歳だし、李戒も二十歳になる前にはもう闘王になることが決まっていた。
春宗も木櫟が東に訪れる頃にはもう闘王になっている。
それだけでも東が特殊な位置づけだというのに、東国の闘王は木櫟を幼い頃から神として扱う事はしなかった。
それらしい扱いを始めたのも、木櫟が神になってからのことだ。
あからさまに態度を変えるわけではなく、公式の場では木櫟を神として接する。それだけだったが。
通常なら西国の様に、後の事を考慮して多少なりとも神の扱いをする。
門の近くまで来ると、遠くに仁討と李戒の姿が見える。
木櫟が勢い良く手を振ると、仁討が駆け足を始めた。
木櫟の前まで来ると、そのまま勢い良く抱き上げる。
義胡ともそうだが、背の高い人の場合、これが挨拶になってしまうのだろう。
「久しぶりだな、木櫟!」
「久しぶり!」
「何もそんなに急がなくても…」
少し遅れて到着した李戒はあきれ気味にため息をつく。
「お久しぶりです。ご足労、感謝します」
金樺が軽く頭を下げると、李戒は苦笑いを浮かべる。
「そんな挨拶はいらないよ。本国ではお前の方が身分は上なのだから」
「そうそう。それに2つ3つ歳が違うからって、礼薫様みたいな考えは持ってないしな」
仁討は木櫟をおろすと、木櫟の頭をわしゃわしゃとかき乱す。
「まあ、一応、形式がな…」
本国においては、五神はどの国の方神であろうとも、十二国土にとっては目上だ。
しかし、闘王によっては、礼薫の様に五神より元の立場が上という場合がある。
礼薫や黒斗の様な特例を覗いては、本国の外では敬称をつけず、以前の様に呼び合うのが普通だった。
「それもそうだね。でも他に人がいるわけも無し、今は気にすることは無いよ。義胡も元気そうだったね」
金樺は李戒の背負っている荷物に目をやる。
いくら緊急の召集とはいえ、本国にいるのは長くても2、3日だ。
殆ど荷物を持っていない仁討に比べ、李戒の荷物の多さは異常だ。
「何をそんなに?」
「え?ああ、これか?面白い本がいくつかあったからに、木櫟にお土産と思って」
口を解いた中に見えたのは結構な数の本だ。
「態々、自分で持ってこなくても、送ればすむのに…」
「新書ならまだしも、古本は輸送では傷むからな」
そんな李戒の言葉に金樺はあきれ気味にため息をついた。
李戒の本に対する思いは時折異常とも思える。
古ぼけた本を、まるで子供の様に丁寧に、大事に扱う。
「まあ、こんな所で立ち話もなんだ。土輝邸に皆固まってる」
「ああ。大まかに礼薫様に聞いたよ。何か水杵が面白い事を考えてるとも」
「俺もその事は詳しく知らないからな」
金樺は木櫟に目をやる。
木櫟は小さく笑みを浮かべるだけだった。
□□□□
土輝邸に戻り、仁討と李戒は水杵の横にいる火遁へ目線を同時に向ける。
そんな視線に、火遁は深く頭を下げる。
「思ったより落ち着いたね、火遁」
「え?」
「木櫟の成人の儀のときは、見るからに悪ガキという印象だったからな」
仁討が笑いを漏らして案内された席に着く。
「随分身長も伸びた。あの頃は木櫟と変わらない位だったからな。炎遁様より大きくなったのか」
火遁は少し驚いたような表情を浮かべる。
確かに炎遁より火遁の方が2cm程身長が高かった。
しかし、炎遁は横に並んでいるわけでも無いのに、李戒は火遁の方が大きいと迷わず言い切った。
「李戒はね、物の大きさを測らずとも正確に見れるんだよ」
木櫟の言葉に、火遁はまた驚いた顔をする。
「正確には、大きさだけではなく、飛距離なんかもだけどね。対象物の以前の大きさとの差も見ただけで解る」
「凄い…ですね」
「そうでもないよ。記憶力に多少自信がある人間なら、やろうと思えばすぐに出来る」
「まあ、それに近づく事はできると思うが、李戒ほど正確にはいかないだろうな。智功でさえ、僅かながらの誤差が出た」
風啼が笑いを漏らす。
「で、水杵。話とは?」
「そうですね。まずはこれを皆に見てほしい」
水杵は机の上に問題用紙を置いた。
「なんだ?」
風啼と土紬が問題用紙を覗き込み、しばらくして2人が顔を上げる。
「問題は義胡、回答は木櫟の字だね。しかもこの内容は、陰陽国の歴史の問題だ。それも四世紀頃からの」
「その通りです、風啼様。これは先日、私が義胡と智功に頼んで作ってもらった問題で、その後に木櫟に答えさせました。二人の採点では全問正解、模範解答より正確に答えている。回答時間から、智功が敵わないと言った成績です」
土紬が木櫟へ目をやり、それから水杵に目線を戻す。
「つまり、木櫟の頭脳が智功を超えるという事?」
「ああ。ただし、歴史文学に限ってだけどね。木櫟、自分で読んだ本が何冊か解る?」
「えーと…多分六万冊かな。あ、でも昔、李戒の所とかで読んだのは何冊かわかんないや」
「東国で木櫟が読んだ本はざっと数えても四万冊程だろう」
「ってことは、木櫟は十万冊の本を暗記しているのか?」
火遁と土紬が声をそろえた。
李戒が軽く首を横に振る。
「いや、暗記だけじゃない。木櫟は覚えた知識の順、つまり、歴史の順どおりに知識を並べ替えられるんだ。それは俺が木櫟に本を読ませていた時からだよ。
例えば、設計図をバラバラに1枚づつ渡しても、全部目を通した時には正しい順番に頭の中で並べ替えられるって事」
春宗が水杵を見て、鼻先をかるくかく。
「それは東では知ってる者も多いわよ。小さい頃、李戒が学校で公演する時に手伝いとして付いていた事があるからね」
「…盲点だったな。俺はそんなことに気がつかなかった」
金樺が罰の悪そうに後頭部をかく。
「木櫟は、五神の活動の時、あまり自分から意見を言わないからね。金樺が気が付かないのも仕方ない事だろう」
水杵が苦笑いを漏らし、金樺の背中を小突いた。
「それで、態々我々を呼んだのは何故だ?」
仁討が水杵を見て首をかしげた。
「礼薫殿から話は聞いているかとおもうが、陰国の動きが今までに無く活発化している。智功と義胡の話によれば、陰国にも十二国土の様な組織が出来ている可能性がある。今回、土門を狙った事から見て、相当頭の良い者が指揮をとっていると考えた方が無難だろう」
「それで?」
「陰国の動きは火遁の成人の儀まで、もしくは、その直後に大きく動く可能性があると見ている。陰国には陽国の関係図案は丸見えの状態だから、こちらも陰国の状況を把握する必要がある。
その為、その組織を大まかにはじき出す必要があるんだ」
「それで、木櫟の知識を使うという事か…」
「陰国の模索には智功・義胡、そして整理を木櫟と李戒にと思ってな。まるきり国家に関係の無い人物がこの作戦に関わっているとは思えない。陰国の周辺の知識が多いのはこの四名だと思うんだ。
今まで東が初めから作戦に加わる事はなかったが、今回は例外だ。陰国にもいづれこの動きはわかる。そうなると、東に一番に害が及ぶ可能性が高い」
「それで、東を呼んだという事ね」
「本国を中心に活動する事になり、李戒が東に不在となれば、陰国が察する事が早まるかもしれない。
春宗様と仁討は出来るだけ李戒の動きが見えにくいようにしてもらいたい」
「と、言うと?」
仁討が眉を顰め、春宗と顔を見合わせる。
「春宗様は李戒の身内の保護、仁討は李戒が不在だと悟らぬように何かしろ行動を」
一瞬、李戒が眉を少し動かした。
「身内の保護というのは…」
「最悪の場合だ。他の三名と違い、李戒は今婚約している。それは陰国にも解るはずだからね。
陰国は火遁の件の様に「身内」を狙う事を躊躇しない。親を狙う可能性と共に「恋人」を狙う可能性も無くは無い」
李戒はそんな水杵の言葉に声を詰まらせた。
「…この作戦、木櫟が指揮を執る事ではないし、李戒の参加は絶対ではない。お前が参加する事を無理強いはしないよ」
風啼が李戒を見て、目を静かに閉じる。
「確かに、十二国土は中央を覗いて、方神以外の命令には必ずしも従う義務は無いからな。身内に危機が及ぶ行為にも無理強いは出来ない」
李戒は唇を弱くかむ。
土紬が眉を潜めて、風啼を見る。
「しかし、今の時点で躊躇する様では、今後の作戦に支障が出るかもしれませんが…」
「確かにそれは事実だ。その良い例が火遁の件になるからな」
「…ねえ、李戒」
ふいに木櫟が漏らした声に、李戒が目線を木櫟に向ける。
「なんですか…?」
「李戒は、参加しなくてもいい」
「え?」
その場にいた全員が、木櫟の言葉に首をかしげた。
木櫟にしては、随分はっきりとした言い方だからだ。
今まで、木櫟が闘王や目下の人間に「神」として接する事はなかった。
「確かに、李戒がいれば、今回の事は楽に進むと思う。でも、僕は自分の仲間が、仲間の大切な人が危険に晒されるくらいなら、一人でこなせる事は自分だけでやる。それに、迷いながら物事をやると、必ず失敗するよ」
「木櫟様…」
金樺が苦笑いを漏らして木櫟の頭を軽く撫でる。
「金樺師匠、僕の考えは間違いかな?」
「いや、木櫟らしいよ。俺も木櫟の意見には賛成だ」
水杵はあきれ気味に顎に手をつく。
他の国ではありえないが、これが東の特性なのだ。
風啼が目をゆっくり開いた。
「方神に従え、李戒。今回は、東への擁護命令は無しとしよう」
「…はい」
李戒が小さく頭を下げる。
「各々、作戦を決定次第通知する。気を引き締めておく事に変わりは無いからな」
「今日はゆっくりしていくと良い。どの道、礼薫達にも通知を出さねばなるまい」
□□□□
通された部屋の中、布団の上で横になり、李戒は天井を見つめていた。
「李戒、いいかな?」
「木櫟?」
少し間を置いてから、顔を覗かせた木櫟に、李戒は体を起こす。
木櫟は李戒の正面にすわると、小さく頭を下げた。
「さっきはごめんね」
「…いや。木櫟の命令には従う。お前は私達の支配神だからな」
木櫟は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「そんな顔をするな、木櫟」
「でも…」
「今まで、東は最初から戦闘の場に直面する事は無かった。けれど、木櫟が望み、戦闘に必要とされるなら、私はちゃんと正面から向かっていきます。我々は、親族よりなにより先に、木櫟を守る為に役を命ぜられたのですから」
「李戒…」
李戒は小さく笑みを浮かべて、木櫟の頬を撫でる。
「しばらく見ない間に、随分大きくなった…」
「そうかな?」
「木櫟はもう、木神なのだな…。我々を思い、守り闘う…さっきは驚いた。どこか、私の知らない木櫟を見ているようだったよ」
木櫟は少し照れくさそうに笑みを浮かべる。
「何も変わってないよ。皆、大事な仲間だもん。あ、李戒、本持ってきてくれたんでしょ?見せてよ」
「ああ。久しぶりにおもしろいものを見つけたんだ。忙しくなる前に読んだ方が良いね」
「李戒から本貰うの久しぶりだね」
木櫟は李戒の横に移動して、本を開く。
その横顔は、昔と同じだった。
無邪気な笑みを浮かべて、本を見つめる、幼い頃の木櫟、そのまま。
これが東の神、木神の本来の姿。
春宗の部屋で仁討が胡坐をかいている。
「春宗、李戒の事どう思う?」
「李戒?そうね。今回ばかりは荷が重すぎたかもしれないわね。まあ、あんたでも、凛子ちゃんの事を言われたら、似たような感じになるでしょうけど」
「…それを言われるとな…」
確かに、仁討もただ一人の身内である妹の凛子を危険に晒すとなれば、二つ返事で従うとはいえないだろう。
もちろん、夫や子供のいる春宗も同じ事だ。
前例に乏しい東にとって、戦闘への参加は陽国の最終的な危機。
身内を危険に晒す事は十分ありうる事だが、いままで、東国は直接戦闘に参戦した事は無い。
春宗は笑いを浮かべて、仁討の額を指で軽く弾く。
「いいのよ、東はそれで。東は最初から戦いを模す国じゃない。木櫟が良いというのなら、私たちはそれに従うだけ。
戦いを求める国ではないと、皆解っている。もちろん、木櫟もね」
「しかし、水杵の言う様に今後陰国が活発化すれば、そうも言ってられないだろう?」
「ええ。少なからず、戦いに備えた準備は必要という事。東は戦闘ではなく、医療班という位置づけ。闘王だけでなく、国民にもけが人や死人が出る可能性もある。杏珠とも連絡を取っておいたほうが良いだろうね」
「失礼」
戸を叩く音と金樺の声に、二人が振り返る。
「どうした、金樺」
「仁討…ここは本国でしょ」
「あ、いけね。どうしましたか、金樺様」
金樺は苦笑いを漏らして、2人の前に腰を下ろす。
「李戒の事、いや、今後の東についてな」
「何か問題が?」
「いや、問題というわけでは無い。今回の木櫟の判断は確かに「良い」判断だったかもしれないが、今後の展開によっては「不」になる可能性もある。いつまでも、木櫟の判断が良いというわけではない」
仁討と春宗が顔を見合わせて笑いを漏らす。
「わかってますよ、金樺様」
「…え?」
「そんなに気を使わなくても、我々は木櫟の事を解っています」
「木櫟は本当にいい師匠に恵まれたな」
笑いを漏らす二人に、金樺は不思議そうに首を捻る。
居間に戻ると、数冊の本を机の上に載せて書き物をする木櫟が見えた。
その横に腰掛けていた水杵が立ち上がる。
「金樺」
「ん?」
「今回の作業、どこでやる?三名がまとまっていた方が効率もいいかと思うが…」
「ああ、そうだな…考えていなかった。木玄邸は?」
「木玄邸はこれから運び込む資料の置き場が小さすぎる。おそらく、陽国全土の歴史資料を運ぶ事になるからな。敷地が大きいのは火鳳邸だけど、炎遁様が居住してるから、不都合が多いかと思う」
「なら、ここをそのまま使えば良いよ」
ふと聞こえた土紬の声に、二人が振り返る。
「しかし、それでは土紬が休まらないだろう。ただでさえここ数日バタバタしていたというのに」
「かまわないよ。それに、歴史関連の資料は多分、僕のものが一番多い。それに、木櫟がここにいる事は昔から多かったからね」
「いいのか、土紬」
「うん。中央神との親密さも増しそうだしね」
□□□□
静かで暗い部屋だった。独特の空気に香の香りが部屋中に満ちていた。
風啼は一呼吸おいてから、部屋の戸を開ける。
この部屋に入れるようになってからはもう随分たつが、未だに緊張する。
「十二国土の報国、お疲れ様でございました」
厚い幕の向こうの人影が、ゆっくり顔を上げる。
「どうやら、陰国が動きを見せた様ですね」
「はい。通達でのご報告の通り、本国に義胡と智功を収集します。李戒については、木櫟の意向につき、東の擁護を棄却しました」
少しの間、沈黙が流れる。
「陰国の策略は要と知れぬ。模索には万全を期す様」
「はい」
部屋を出て、風啼は大きく息を吐いた。
愛朱が笑いを漏らしながら、額に浮かんだ汗をぬぐう。
「お疲れ様」
「いつまでも慣れないよ、天照大神との面会は。あの方が自分の義母だという事が未だに信じられない」
「お母様は根優しい人よ。人に顔を見せるのは嫌いだけれど」
「茶をもらおう。喉がカラカラだ」
「はいはい」
愛朱が笑いを漏らしながら風啼の背中を押す。
短い様でとても長い日々にようやく1つの区切りが付いた気がした。