五神の源(3)
ようやく長い一日が終わった様な気がする。
水龍邸の中、格子窓から見える丸い月から、水杵は向かいに腰を下ろしている金樺へ目線を移動させた。
一つ収穫はあったものの、まだ陰国の策略全てが見れたわけではない。
すぐに攻撃を仕掛けてこないのは、炎遁の言うとおり予測がついた。
しかし、万全の状態になる前に何かしろ動きはあるはずだ。
まだ考える事は多い。
しかし、どこから手をつければ良いのだろう。
「師匠」
ふいに、聞こえた火遁の声に、水杵が顔を上げる。
「火遁、どうした。土輝邸にいるんじゃなかったのか?」
「土紬の世話は木櫟がしてる。俺がいても特別役に立つわけじゃないし、飯貰って帰ってきた。師匠達も食うだろ?」
水杵はそんな言葉に、今日一日、まともな食事をしていない事に気がついた。
昨夜、西国から走って帰ってきた金樺も同じことだろう。
金樺も出かける前に休暇を与えてしまっていた。
水杵は元々必要最低限の手伝いの女人を雇っていないし、掃除は自分達が使う部屋は自分で綺麗にするという決め事があったし、道場や広間は術で一気に洗い流す事も出来る。
今後忙しくなってくれば、自分は家にいる事が少なくなって、彼女らのやる仕事が無くなってしまうだろうと思ったのだ。
「愛朱様が作ったんだったな。茶を出そう」
「あ、いいよ。俺がやる」
手に提げていた包みを机の上において、火遁は奥の方にかけていく。
そんな火遁の様子を見ながら、金樺は小さく笑みを漏らす。
「変わったな、火遁も。お前が手を焼いていた頃が嘘のようだ。お前が手伝いを雇わなかった事、正解だったかも知れないな」
「火遁が神になれば、あいつも独り身だ。婚姻する相手がいるのなら別だが、自分で多少はやりくり出来ないとな。
これで勉強もしっかりしてくれれば、いう事は無いのだがな」
「しかし、火遁は理解が早い。解らない事は一、二言言ってやれば自分なりにまとめちまうし。しっかり勉強して、頭脳で競えば、義胡や智功とも対を張れるんじゃないか?」
火遁が持ってきた包みを開けながら、水杵は苦笑いを漏らした。
自分の弟子の事を褒められるのなんとも歯がゆいような、妙な感じだった。
「智功や義胡に対抗するにはまだまだだよ。あいつらは小さい時から徹底的に教育を受けてるからな」
「まあな。智功ももうちょっと統率心があれば完璧なんだけどなぁ…」
「でも、智功はよく周りを見てるよ。困った時にはさりげなくヒントをくれる」
「あ、そうだ。黒斗と夜壬が婚姻するらしいぜ。ついでに白來は子持ちになってた」
「そういえば、黒斗はもう三十五か。しばらく北国にも行ってないからな。これで北国の独り者も私と智功だけか」
「智功も結婚するつもりはねえだろうな。どっちが先に妻子持ちになるだろうな」
水杵は小さく笑みを浮かべた。
確かに、水杵は今の時点で結婚を考えているわけではない。
神と婚姻する相手は、神の子を授かった時点で副神となり、その寿命が神と並ぶ。
人間から神になるこの特殊な位置づけは、並大抵の精神のものには受入れがたかった。
後継者を育てる為に相手を模索する事も、神の悩みの為に一つになる。
それに、水杵にはまだ明雀の影が消えたわけではなかった。
「しかし、歳から言えば、俺の結婚を考えるよりお前が先だろう、金樺」
「それを言うなよ」
火遁が皿と茶道具を乗せた手押台を机の横につける。
「ありがとう、火遁」
「そうだ、師匠。中央神が来るって事は、礼薫様もくるんだよな?前から思ってたんだけど、俺が神になった場合、礼薫様をどう呼べば良いんだ?」
そんな火遁の質問に、水杵は少し困った。
通常、方国の属神は、五神にとっては「支配下」にあたる為、どの国の闘王も目下だ。
しかし、神になる前は、闘王は「目上」になるからである。
王になるまでは様付けをしていたのに、王になったとたんに立場が逆転する。
年下や歳が近ければ呼び捨てに出来るが、流石に年上の場合は判断に迷った。
礼薫は五神はもとより、十二国土の中の最年長である五十三歳。
それにつけて、十二国土の行動や方針を纏める総神群の頭であり、立場的には風啼達と変わらない。
卯ノ国の春宗も三十八歳と年上ではあるが、支配神である木櫟は数少ない女性の闘王の春宗を母親に接するようにしている。
もっとも木櫟は天照以外の年上の人間には目上目下関係なく様をつけて呼んでいたから、周りは自分がどう呼ばれようと気にすることは無かった。
水杵の場合、北国の王達は昔から自分を目上として扱ってくれたし、金樺の場合、属神は同い年やそれ程歳が離れていない。
けれど、火遁の場合は具合が違う。
十二国土闘王の殆どは火遁より大分歳が上だし、ろくに顔を合わせていない南国の属神達は、まだ火遁を完璧に受入れたわけではないからだ。
自国の属神意外は特に気を使うこともなかったが、それなりに礼儀は考えていなければならないだろう。
「そうだな、私と金樺は礼薫様とお呼びしているが…」
「困るんだよなぁ、神になった後の呼び方って。でも「礼薫殿」でいいんじゃないのか?一応お前の属神になるんだし、様ってのも変だしな」
「でも、殿って、目下の人に敬意を払う時の使う言葉だろ?三十五も離れてる俺が使うのは、礼薫様に失礼じゃないかな?」
「でも、礼薫様は神になったお前にとっては目下だからな…」
水杵は困ったように金樺を見る。
「どうせ明日には礼薫様も来るんだ。どうすれば良いか、本人に聞いた方が早いだろ」
「それは不躾すぎる。本人に敬称を聞くのか?」
「仕方ないだろ、当の本人が納得していないんだから」
眉間に薄い皺を寄せて、口元に手を当てる。
これが火遁が物事に納得いかないときの意思表示だ。
こうなると、もっとも適切な答えが出ない限り、火遁は意地でも納得しなかった。
「…火遁の問題はまだまだ続きそうだな…」
□□□□
翌朝。
土輝邸で朝食をとっている風啼と炎遁、そして脇のテーブルに愛朱と木櫟の姿が見えた。
「おはようございます」
風啼が箸を皿に置き、机の横で頭を下げた水杵を見る。
「おはよう、水杵。昨日は色々大変だっただろう?」
「いえ。これからの方が大変そうですから」
「それもそうだ」
風啼は笑みを漏らして、愛朱に目線を投げる。
「水杵、朝食は?」
そんな愛朱の問いかけに、水杵は掌を見せて、首を少し横に振った。
「家で。木櫟、土紬の様子はどうだ?」
「大丈夫ですよ。昨日はあのまま眠ってました。今朝起きたけど、ダルそうだったから寝てていいと言っておきましたけど」
「そうか。風啼様、中央神はまだ?」
風啼は壁にかけられた時計に目をやる。
「一番早いのは礼薫だろう。そろそろ着く頃だろうな」
「火遁、門まで迎えに行ってやれ。少し土紬を見てくる」
「はい」
火遁が玄関の方にかけてくと、金樺の袖を軽く引く。
「たまには木櫟の相手をしてやれよ。土紬がいないんじゃ相当暇だろう」
「そうだな」
金樺は小さく頷くと、水杵は浅く一礼して、奥の部屋に繋がる通路に向かう。
木櫟の横の椅子に腰を下ろして、頭を撫でる金樺に木櫟は照れくさそうに笑みを浮かべる。
「昨日は寝ずに看病してたのよ。ね、木櫟」
「お前がそこまでする必要は無かったんだぞ?炎遁様も風啼様もいたのに…」
「だって、土紬がいつ目覚ますかわかんないし。お師匠いつ戻るかわかんなかったし…」
木櫟らしい行動だ。
五神の中で、あまり力が強くない木櫟は、常に何かの役に立とうと状況を模索している。
「義胡や愛朱様が来るまでまだ時間もあるからな、少し稽古をつけてやろう」
「やった!」
神が出せるとする殆どの術を身につけていた木櫟だが、金樺との稽古は好きだった。
金樺は攻撃だけではなく、様々な手法や考えを教えてくれる。
金を攻撃の「元手」にする金樺が、耳元に多くの装飾品を付けるのを見ていた木櫟が、両耳に葉の飾りを付けたのも、金樺の教えからだ。
もっとも、この様な手法は、元手が固定されている金樺や木櫟しか出来ない。
変わりに水杵や土紬は小さな瓶に元手を入れて持ち歩いていたし、水場や土壌があれば、あたり一面が元手になる。
火遁は元手を自らの術で出すことが出来た。雨風にも負けず、どの様な環境でも術を出せる。
これが、火神がもっとも強いと言われる由縁なのである。
「じゃあ、道場を使えばいいだろう。土輝邸の道場は中庭の土壌だからな」
「あまり派手にはやるなよ。土紬に響くからな」
「どちらにしろ、術が弱まってますから、派手には出来ませんよ、炎遁様」
「え?術が?」
木櫟の言葉に、金樺が振り返る。
「お前、術を出してないのか?」
「ずっと土紬を見てたから…」
「土門が破壊された影響で、いつもの7割位に術の力が落ちているんだよ」
「そうなんだ…」
金樺は木櫟の意外そうな顔に、笑みを漏らした。
元から木櫟はあまり戦いを意識しないが、術が弱まっていることに気がつかないのは、この件に関してあまり不安感が無い証拠だ。
下手に骨を折らなくて済む。
「まあ、出してみれば解るだろう、行くぞ木櫟」
「はい、お師匠」
□□□□
扉を軽く叩いて水杵は土紬の寝室を覗き込む。
「…水杵」
「大丈夫か?って言っても、大丈夫という状況では無いだろうけど」
土紬が小さく笑みを漏らしたのを見て、水杵は少しほっとした。
木櫟が置いた椅子に腰を下ろして、土紬の頬を軽くさする。
少し熱っぽい様だ。
「これが、門が壊されるという事なんだな。瓶の中の土ですら、ピクリとも動かせ無かったよ」
「…無理をすることはないよ。今は出せないだろうけど、一時的なものだ」
土紬は少し声を詰まらせて、小さく頷く。
平気そうに装ってはいるが、土紬は技が出せない事にショックを受けている。
神になる前から使えたような、元手を触れずに動かす技ですら使えない。
「俺達も、先代も「門」が壊された事が無かったからな。皆も少なからず術が弱っていて、対応には困っている。資料をいくつか読んだが、今まで何度か門が壊された事はあったみたいだよ。天照様がいればすぐにもでも直せるのだろうが、とりあえず、中央神が来れば門の補修も早く出来るだろう。他の門の縄締めをかけなおして、一時しのぎは出来そうだ」
「縄締め?」
土紬が水杵の言葉に不思議そうに問いかえす。
「火門ならまだしも、お前が疎通を完全にした土門は、いくら金樺が離れたといってそう簡単に壊されるはずがないだろう?」
「それは、僕も考えたよ。こうしている今も、何故だかわからない」
「あの後、金樺を迎えにもう一度、火門に行って見たんだ。門締や岩締の封印はしめ縄、つまり「縄締め」が大部分になってるだろう?それがかなり痛んでいた。考えても見れば、縄を変えたのはもう何百年も前だ。ガタが来ていてもおかしくない。
火門の状態を知らずにそこを陰国が狙ったのだとしたら、他の門も同じと考えた。だから、中心の土を狙ったんだ」
「なるほど…」
土紬は考えていたことがすっきりしたのか、少しだけ表情を緩めた。
自分の力の無さでこの事態になったのではないという事実に少しほっとしたのだろう。
「炎遁様の話ではしばらくの間、陰国は再攻撃をしてこないだろう。お前だけが気張っても、どうにもならない。門が直れば自ずと力も戻ってくる。焦るな、土紬。お前が今まで作り上げてきたものは、こんな事で無くなったりしないから」
「…そうだね」
ふいに聞こえた音に、土紬が窓の外に目線をやる。
「…道場?」
「ああ。金樺と木櫟だろう。金樺は西国に行ってたし、木櫟はお前が倒れたからずっと看病してたからな。少し見に行くか?ずっと横になったんだ。いくら体が動かないといっても、それでは体もなまる」
「え?でも…」
「いくら力が弱まっているとはいえ、水の塊くらいは作れる。それに少し体温が高いから丁度良いだろう?」
土紬は小さく頷いて、少し体を起こす。
「水動、固まれ」
水杵はベットの脇に、小さな椅子のような水の塊を作り出す。
簡易の車椅子といった所だろう。
土紬の体を抱き上げて静かにその上に乗せる。表面を覆う張力で、体は沈まない。
心地良い冷たさが背中を包む。
「後で車椅子を持ってきてもらおう。これじゃ不安定だからな、余計に体に負担がかかる」
「ありがとう」
道場の中、金樺の作り出した薄い金板の人形が6つ程並んでいる。術をあてると反動で攻撃が跳ね返ってくる様だ。
それに向かって刃物のような鋭い木の葉を投げながら除ける木櫟。
「あ、土紬!!」
「大丈夫なのか?」
2人の姿に、金樺と木櫟が術を解いて、駆け寄ってきた。
「調子はどうだ?」
「それはこっちの台詞だろ」
金樺が苦笑いを漏らして、土紬の頬をさすった。
「熱はだいぶ下がったみたいだな」
「うん、平気だよ。中央神が近くまで来てる分、僅かながら力は戻ってる」
「そっか。じゃあ、そろそろ春宗様もくるかな?」
「そうだな、義胡もそろそろ着くだろう。水杵、お前も智功を迎えに行ったらどうだ?」
そんな金樺の言葉に首を横に振る。
「迎えに行ってついてくるような奴なら苦労してない。自分でここまで来るだろう」
「確かに、智功ならそうだな」
土紬の笑い声と共に、辺りに響いた腹の虫の音。
「うっ…」
思わず口元を押さえる土紬に、木櫟が笑みを浮かべた。
「そういえば、土紬、昨日から何も食べてないでしょ?多分、愛朱様が用意してくれてると思うよ」
「愛朱様がきてるのか?」
「ああ、炎遁様と風啼様もいるよ。お前の所、手伝いがいないからな」
「なんだか、大事になってしまってるんだな」
「…他人事だな、土紬」
水杵があきれ気味に土紬の頭を軽く叩く。
「じゃあ、食堂に行こう。終わる頃には皆着いているだろう」
「それじゃあ、また後で」
食堂に入ると、朝食の後片付けをしている愛朱が見えた。
「土紬。大丈夫なの?」
「はい」
「愛朱様、土紬を椅子に移動させるのをお手伝い願いますか」
元から土紬の体重は軽い方だったが、抱き上げた土紬の体は抜け殻の様だった。
力が入らないせいもあるだろう。
それでも、土紬が言うように「中央神」が近くまで来ていることで、少なからず体力は回復しているようだ。
「お腹空いたでしょう、粥を持ってくるわ」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。愛朱様」
「こんな事迷惑には入らないでしょう。たまには他人の世話を借りても良いのよ、土紬」
愛朱の微笑みに、土紬は少し照れくさそうに頭を下げた。
「土紬」
奥の部屋から顔を出した風啼が、少し駆け足で寄ってきた。
ゆっくり頬をさすってから、優しく笑みを見せる。
「私の判断が至らなかった。すまない」
「…風啼様。貴方のせいではありません。私達の成長の足らなかっただけです」
水杵は、一瞬だけ風啼が見せた複雑な表情に少し戸惑った。
風啼も、自分達の成長においての助言を切り替えるタイミングを決めかねている。
いくら先代からその座にいるとはいえ、助言を与える立場ではなかった。
長い経験という意識が知らず知らずのうちに風啼に多大なる負担を与えていたことに気がついた。
「…水杵」
「え?あ、はい」
奥の部屋から手を招いていた炎遁に、水杵は風啼に浅く一礼してからかけていく。
「なんでしょうか、炎遁様」
「まだ、時間はあるぞ、水杵」
「え?」
「まだ、火遁が神になるまで時間はある。急ぐ事は無い。俺達だって神の時間を楽に過ごしてきたわけじゃない。この長い間に勉強してきた事は、数え切れない程あるぞ。その代によって覚える事はいくらでも増え、今まで通りにはいかないのが道理だ」
そんな炎遁の言葉に、水杵は声を詰まらせた。
「ゆっくり成長すればいいんだ。神の時代は想像以上に長い」
「…はい」
水杵は、今まで自分だけでもがいていた事に気がついた。
確かに、神でなくとも、自分が生きてる環境が、過去と全て同じというわけではないのだ。
今までの資料で答えが出ない時もあるだろう。
自分達が新しい歴史、そして資料を作っていかねばならない。
□□□□
本国の入り口は四方にそれぞれ門が備えられている。
各属神等が本国に入る為の門である。
火遁は南門の柱に寄りかかり、午ノ国の闘王、礼薫の到着を待っていた。
最後に南国に行ったのは、明雀が生前の時で、確か五歳の時だった気がする。
明雀に手を引かれて、礼薫の屋敷に遊びに行ったのをおぼろげに覚えている。
次男の釆雛がまだ生まれたばかりで、長女の杏礼と共に子守の手伝いをした。
あれから十三年、自分より三つ年上の杏礼も成人を越えたし、釆雛もすっかり大きくなったのだろう。
耳元についた馬の蹄の音に、火遁は門の先を見る。
立派な毛艶をした馬に跨った礼薫は、火遁の姿を見て、軽く手を上げ、馬の手綱を軽く引いた。
「ご足労ありがとうございます、礼薫様」
「久しぶりだな、火遁。随分立派になったものだ」
火遁は浅く一礼すると、手綱を受け取り、ゆっくり引く。
礼薫は最後にあった時より歳をとって見えた。
口ひげを生やしているせいかもしれない。
無論十三年もたっているのだから当たり前の事だが。
周りから心配されない事が無い体の細さは今でも同じようだ。
別に食が細いわけでもないのに、顔は少し青白く、どこか病んでいるのではないかと思う。
しかし、当の本人はどこも悪くは無い。
「土紬様の様子は?」
「体力の衰えが激しいようですが、特には問題ないと」
「そうか」
礼薫は、火遁を見つめて小さく笑いを漏らした。
想像では、礼儀がもっとなってないと思ったが、火遁は想像以上に神の自覚を持っているようだ。
水杵の教育が良いのか、勉強熱心なのか。
明雀が不況の死を迎えてから二年。
葬儀に参列した時に見た火遁は酷く衰弱し、声をかけることもままならなかった。声をかけたとしても、反応らしい反応は出来なかっただろう。
水杵に抱かれて、ただ、ぼぅっと葬儀に参列する人の流れを見ているだけだった。
おそらく、葬儀に自分が行っていた事も覚えていないだろう。
「あ、そうだ、礼薫様」
「ん?」
「母上の命日に贈ってくださった花、ありがとうございました」
礼薫はそんな火遁の言葉に、少し驚いた。
炎遁や火遁を余り刺激しないように、明雀の命日にだけ使いの者に頼んで、墓へ花を手向けていたのだ。
もちろん名前も自分が送ったのだとも炎遁には言っていない。
「どうして私だと?」
「礼薫様が好きな花でしたから。午ノ国に行く時、母上はいつもあの花を持って、「礼薫様が好きな花」だと」
「…そうか」
当時の記憶は多分殆ど覚えていないだろう。
けれど、僅かな母親との記憶は深く刻まれいる。
皮肉にも火遁を絶望の底に叩き落した「母親の死」。それが、火遁が後ろ向きの考えを持たなかった理由になっている。
「それと、もう一ついいですか?」
「何だ?」
「私は2年後、火神となります。その時、礼薫様をどうお呼びすれば良いでしょうか?」
意外な質問に、礼薫はこみ上げてきた笑いをぐっと抑える。
いままで本人に直接、敬称を問いかけてきたものがもう一人いた。
水杵が神になった時も、敬称をそのままでいいかと問われた事はあったのだ。
ごく普通に目上に様をつけるのは当たり前だった礼薫にとって、水杵の考え方は面白かった。
その弟子である火遁も、また同じような考えをしている。
「好きにすれば良いさ。神になったお前にどう呼ばれ様と、私はかまわない」
「では、今までどおり、礼薫様で宜しいですか?」
「ああ。ただし、公式の場では「殿」にすべきだな。周りの目もあるだろう」
「はい、ではその様にさせていただきます」
立派な男になったものだ。
礼薫は、また笑みを浮かべた。
□□□□
顔を合わせた瞬間、少し眉を潜めた義胡に、金樺は罰が悪そうに頭を下げた。
しかし、本心では怒っていないだろう。
「わりぃ…」
「いいけどさ、別に」
義胡は金樺の額を軽く指で弾くと、笑みを見せた。
「しかし、土門が狙われるとはね。流石に白來も通達が来たときは驚いてたよ」
「俺もだ。火門かと思ってたら土門だったとはな」
「陰国もそれなりに頭を使ってるってことか。まあ、ツメは甘いけど」
金樺は、何か考えがありそうな義胡の言葉に眉を潜めた。
「陰国の策略、解るか?」
「俺だけの判断ではどうにも言えない。智功の考えも聞いた方がいいだろう。あいつは陰国に関して色々模索してるからな。それより、まずは土紬の精神面のフォローが必要だろう。土門の修復はそんなにかからないからな」
「…流石、十二国土の秀才だな」
「嫌味か?」
義胡が眉を潜めるのを見て、金樺は慌てて、両手を振る。
「違うって。頼りになるって事だよ」
□□□□
東門の脇にある一際大きいブナの木の枝に腰掛け、木櫟は春宗の到着を待っていた。
春宗に会うのは四年ぶりになる。
数少ない女性闘王の春宗と杏珠は昔から仲が良く、卯ノ国に行った時には、必ずと言って良い程杏珠がいた。
そのせいもあってか、北国を訪れることも多かった。
幼い頃から東国に訪れる機会が多かった木櫟にとって、属神は自国に関わらず、姉や兄の様な存在である。
寅ノ国の李戒や辰ノ国の仁討も、木櫟のそんな無垢な性格を良く理解していた。
だから、木櫟の事を特別な存在として扱う事をあまりしなかったのだ。
しばらくして、木の陰の向こうに、1つの人影が見えた。
「春宗様!」
「木櫟?」
上を見上げる春宗は化粧も手伝ってか、四年前に見たときと変わりは無かった。
ふんわりしたウェーブのかかった薄藤の髪に、周りが思わず釘付けになる様な妖美で豊満な体つきも健在だ。
ぱっとみたら、3つになる子供がいるとは思えないだろう。
これで戦闘の場に出れば、下手な兵士等かなわないほどの強靭な戦闘をするのだから、うかつに声をかけた男も逃げ足してしまうというものだ。
「お久しぶりです」
「四年ぶりになるわね。元気そうで何より」
「お疲れになりませんでしたか?結構な長旅だったでしょう?」
「この位、屁でもないわ。毎日、春帆を背負っていますからね」
木櫟はそんな春宗の言葉に笑いを漏らした。
家庭にいる時の春宗は、いい母親だった。
1人娘の春帆が生まれて数月も立たぬ日から、夫の世話から炊事や洗濯をこなし、きちんと国の仕事も始めた。
それが苦にならないと春宗はいつも笑っている。
「土紬が待ってます。急ぎましょう」
「そんなに急がなくても、土紬は逃げたりしませんよ」
手を引く木櫟に合わせて、春宗は足を動かす。
杏珠が五神の姉のような存在であれば、春宗は母親のような存在だ。
包み込むような笑顔で、いつも後ろから守ってくれているような。
□□□□
食事を終えた土紬は、出されたお茶を手に持ち、ぼぅっと窓の外を眺めていた。
体のだるさで、少し頭もモヤついていた。
何かを考えようとしても、考えがまとまらなかった。
常に勉強をしている土紬にとって、考える事のできない時間の使い方が解らなかった。
「少し、顔色がよくなったかな、土紬」
「…炎遁様」
向かい側の席に腰を下ろした炎遁が窓の外を見て、微笑む。
「考える事がまとまりません。何も出来ない時間というのは、どう処理すれば良いのか…」
「私も今はそうだよ」
「え?」
炎遁は茶を一口飲み込むと、後ろのテーブルで愛朱の手伝いをしている水杵を見る。
「火遁の世話は水杵に任せたし、これといって「火神」の仕事も無い。少し前までは五神の仕事であちこち走り回らねばならなかったがな…。今更ながら、もう少し若い時に、老後の時間の使い方を考えるべきだったな」
そんな炎遁の言葉に、土紬は小さく笑いを漏らす。
「炎遁様のお力は、まだ私達には必要です。まだ火遁が神になるまでは時間もありますから」
「そうだな…」
玄関の呼び鈴が小さく部屋に届く。
程なく、火遁が戸から顔を覗かせた。
「礼薫様をお連れしました」
「ご苦労様」
少し遅れて顔を見せた礼薫に、水杵が軽く礼をする。
「お久しぶりです」
「元気そうだな」
礼薫は水杵との挨拶を済ませると、土紬の前にゆっくり歩み寄り、片膝を立てる。
「お久しぶりです、炎遁様、土紬様」
「久しぶりだな。ちゃんと食べてるのか?」
「礼薫殿、あまり仰々しい挨拶は止めてくださいといったはずですよ」
水杵や金樺の場合は、敬称を付けられたりする事を拒まなかった礼薫だが、土紬と炎遁の場合は別だった。
炎遁は少しばかり年上だから、さしてその行為を気にはしなかったが、土紬は違う。
いくら自分の支配下の国とはいえ、三十も歳が離れている礼薫から、丁重な対応をされる事に土紬は未だに慣れていない。
礼薫は小さく苦笑いして首を横に振る。
「炎遁様も土紬様も私の支配神ですから」
「ですが…」
困ったように礼薫を見上げ、土紬は指先を小さく動かす。
「相変わらずだな、礼薫」
風啼が苦笑いを漏らす。
「礼薫、こちらにお座りなさい。まだ他の中央神が来るまで時間もあるわ」
愛朱がテーブルの上に湯飲みを置き、椅子を引く。
「少しは頭を柔らかくしないと、若手が混乱してしまうぞ。黒斗や智功達ならまだしも、土紬はそうすんなり「礼儀だから」と受入れられるわけじゃない」
「しかし、形式は形式だ。今更曲げるわけにはいかん」
「礼薫は変わらないわね」
窓から聞こえた声に、皆が窓を見る。
木櫟の横から顔を出したのは春宗だ。
「春宗殿、お久しぶりです」
頭を下げた土紬の頬を撫でて、春宗が微笑む。
「おひさしぶり。土紬、大丈夫?」
「はい。まだ少しぼぅっとはしていますが、大丈夫です」
「良かった。後で薬用食を作りますからね。愛朱様だけでは大変でしょう」
「助かるわ、春宗。お茶を用意するから入っていらっしゃい」
愛朱の言葉に、春宗は、部屋の中をぐるりと見回す。
「本国に女手が少ないのも考え物だね。早く五神の誰かでも結婚すればいいのにねぇ?」
「…春宗様、それは禁句です」
辺りに笑い声が響き渡る。
しばらくして、木櫟が窓から見えた人影に立ち上がる。
「お師匠!お帰りなさい!」
「…木櫟。ってことはもう春宗様もついてるのか」
勢い良く駆け寄ってきた木櫟を抱きとめ、義胡は軽く抱き上げる。
昔からのクセなのだ。
金樺ともそうだが、木櫟と義胡は身長が三十近く違うし、義胡の武器は三十キロを越える大鉈だ。
それを容易に振り回す腕力の義胡が小柄な木櫟を抱き上げるのは容易な事だった。
「おぉ、重くなったなー木櫟」
「大きくなったもん。義胡も相変わらずでかいけどね」
「久しぶりだな、義胡」
窓から顔を出した水杵に、義胡は木櫟をゆっくりとおろす。
「水杵、久しぶり。お前も変わらないな」
「おまえ、いつまでその髪伸ばしてるんだ?もう地面につきそうじゃないか」
「まだ願いが叶ってねぇんだよ」
「土紬も会うの楽しみにしてたよ。今部屋に戻ってるんだ。行こう」
「はいはい」
義胡は笑いを漏らして、腕を引っ張る木櫟の後をついていく。
金樺が窓際に歩み寄る。
「義胡も到着か。あとは智功だけだな」
「まあ、そのうち顔を出すだろう。智功のことだ、土紬に必要になる薬草を途中で拾ってくるだろうからな」
□□□□
部屋を覗くと、寝具の上で土紬が寝息を立てていた。
「あれ、寝てる」
「起こさなくていいよ。後でゆっくりしゃべれる」
「うん」
義胡は土紬の額に手を当て、そのまま首筋に滑らせる。
「熱はそれほど高くないな。脈は少し速い。何か食べたか?」
「多分、お粥位は。愛朱様に聞けばわかると思いますよ」
「そうか。体力が少し落ちてるな…。こういう場合は」
「精寿の実に活善草の根」
突然聞こえた声に、義胡が顔を上げる。
脇から土紬の顔を覗き込んでいるのは智功だ。
後頭部で一まとめにした金色の髪は、花の様に開き、棘の様にピシッと固められている。
両耳に隙間が無い程開けられたピアスは見ている側が痛くなりそうだ。
「…智功、いつ着いたんだ」
「半刻ほど前。ついでに今の2つ、愛朱様に渡しておいたぜ」
「採ってきたのか?」
「門が破壊された影響からみりゃ大体この2つが必要なのはわかる。来る途中にな。適当に見繕っておいたから、多分足りねえのはないと思うけどな」
「流石だな…手回しが早い」
智功は表情を変えず、木櫟へ目線を移す。
「木櫟、ここの道場はどこだ?」
「え?ああ、裏庭に抜けた所にあるけど?」
「じゃあ、少し体動かしてくるか」
「皆には挨拶したのか?」
「風啼様達にはしたぜ。金樺達には別にいつでも良いだろ」
「そういう問題じゃないだろ」
義胡の言葉を聞かずに、智功は部屋を出て行ってしまった。
「本当にもう…」
「火遁とひと悶着なければいいけどね…」
木櫟の言葉に、義胡は眉をしかめた。
「ありうるな…」
広間に戻った義胡は、茶を飲んでいる金樺と水杵の所に走る。
「火遁は?」
「火遁?道場に行ったけど」
水杵が不思議そうに首を捻る。
「不味い!」
「え?なんだよ、義胡」
「智功と鉢合わせするぞ」
金樺と水杵が眉を潜める。
「それは不味いな…」
「どうした?」
割り込んできた礼薫に、義胡が慌てて頭を下げた。
「挨拶が遅れて申し訳ありません」
「かまわん。で、智功と火遁がどうかしたのか?」
水杵が困ったように鼻先をかく。
「少し前、智功が所用で本国に来たことがあって、その時に火遁と揉め事が…」
「あの時よりは火遁も大人になっちゃいるけど、喧嘩っぱやいのは変わってないからな…」
「止めに行こうか。揉め事は土紬様にも良くはないだろう」
礼薫の後について、四人が駆け出した。