序章...十二の神と五神核
物語の始まり始まり
総神、天照が創りえる十二国土の真鍮「五要素」を司る神の柱。
五人の候者が仕えし立場に上り得る十八の歳を越えし時、 己の源に忠誠を誓いて神座を得る。
天照は十二の国の神者にその要素を受けし旅に出て、 全ての要素が集まりうる時、 5つ神は「五神」となり、国を守る力を得るであろう。
何一つ、要素は欠けてはならない。
要素が揃わず、五神が新たに産まれなき時 世界は闇に葬られ、国は無とかすであろう。
ゆらゆら揺れる水面に映る美しき炎の光。
ゆらゆら舞い散る花弁が土に返り。
ゆらゆら風に煌く金子の飾り。
愛軽く艶やかに踊る。
十二国土は俗に言う「十二支」を司る国家である。
互いの存在箇所により守護する対象が異なり、その関係性を重んじ、国を総督する「天照」の元で、国が穏便で平和であるよう、日々、互いに話し合いを持っていた。
世界は主に天照が総督する「陽国」と、それに反抗する意思のある「陰国」で整形されている。
表に出ないまでも、水面下でこの2つの争いは日々続いている。
陽国の真鍮には、「火・水・木・金・土」の五要素を司る五神という「俗神」がいる。
天照に仕え、守る役目をまかされた「守護神」である。
5つの要素は各神家代々の子孫となり、各家の子孫が「成人の儀」を越える前に世代を交代する必要があった。
各世代の子孫が全て成人の儀を迎える時、十二国土の忠誠の儀を新しい五神の誕生へ遷す生誕の儀をもって、陽国は新しい国の守護を受けられるのだ。
それがかなわぬ時、陽国は守りの力を失い、陰国に攻め落とされる。
今期は子孫の年齢が大幅にバラけたが、最後の1人がまもなく成人の儀を迎えようとしていた。
天照は五神へ還す十二国土の力を預かるべく、長い旅へと出る事にした。
全ての「忠誠」を持ち帰り、五神が自らの立場を理解すると共に「成人の儀」を迎える為に。
□□□□
十二国土の中心にある「神国」の中、神殿に当たる「天照神宮」の脇にある「風神邸」。
天照の直属神であり、十二国土と神国を繋ぐ伝達人の役をしている風神の風啼の住処である。
同時に、天照の一人娘であり、風啼の妻であるこの国の守護神の愛神、愛朱の住処でもある。
早朝、風神邸に呼ばれた土神、土紬が玄関先で風啼が姿を現すのを待っていた。
土紬は風啼の師弟で、三年前に土神になる為の成人の儀を終えた。
腰丈の長い髪に、口数が少なく、四神の中ではあまり目立たない存在だが、冷静に収集した情報で判断する、影の柱役としての能力を買われている。
物をしっかり分析し、皆の知らぬところでに努力し、懸命に先になった2人につづいていた。
程なくして、風啼が一通の書簡を持って玄関先に姿を見せた。
土紬は一礼して風啼を見る。
「おはようございます。風啼様」
「おはよう、土紬。悪いが四神へ通達を願いたい」
「何か問題が?」
「火遁について少しな…」
土紬は火遁という名に少し眉をひそめた。
2年後、成人の儀を迎えれば自分達と同じ五神の仲間になる、火神である炎遁の息子だ。
「やはり、成人の儀の事で。ですか?」
「ああ」
最年長の金神の金樺を始めとして、水神の水杵、一昨年に成人の儀を終えた木神の木櫟、そして土神の土紬。
全て何事もなく成人の儀を行い、五神はあと1人、火神となる火遁のみとなった。
本来であれば、二年後に新しい五神は全て揃い、国を守るために力を合わせて行く為に、仲間の縁を強めていくはずだ。
ところが、この火遁は、仲間になるどころか、成人の儀を難儀なくこなせるのかさえ危うかった。
その問題は四神だけではなく、風啼、そして天照も十分にわかっている。
本来であれば、成人する前の歳に十二国土に旅立つ天照が、1年早めたのにも、この問題が多少関わっていると思われた。
それだけ、十二国土の不安が今期は大きいのだろう。
「炎遁だけの力に頼るのも限界だろう。未だに火神だとはいっても、力からしても火遁が今は上だからな」
「我々の手に負える器だとは思いませんが。師匠の水杵が手を焼いているくらいなのですから」
風啼は少し困ったように鼻先をかいた。
「それはそうなのだがな…。やはり、母君を力のせいで失うという事が、あいつの中にはまだ残っているのだろうな」
「…しかし、五神が揃わなければ、陰国はあの件以上の惨事を及ぼすかもしれません」
「策を今以上に練る必要もあるだろう。とにかく、四神に通達を」
「はい」
土紬は書簡を懐にしまい、風神邸を後にする。
火遁が無事に成人の儀を行えないことは、陽国の崩壊を意味していた。
心中が穏やかではないのは、皆一緒の事だろう。
しかし、策を甘んじて国が崩壊したのでは意味が無い。
火遁が難なく、成人の儀を受け入れないのには、他の四神にはなかった、巨大で暗い事実があるのだから。
程なく歩いたところで、背中に温もりを感じた。
横から顔を出したのは木神の木櫟だ。
新芽が開いたような鮮やかな緑の髪。耳飾りにも葉を飾っている。
2人は年齢が近いため、神になった時期も近かったし、一番仲が良かった。
「土紬、どこいくの?」
「木櫟、丁度良かった。水杵のところに行くんだよ」
「水杵様?」
木櫟が背中から横に移動する。
「様はいらないと言われたろ?僕達は仲間なんだよ」
「でも、金樺師匠の1個下だもん。水杵様を呼び捨てにするのはおかしい」
「そうだけど…」
木櫟と金樺は師弟関係で、歳が5つ違う。
水杵はその1つ下で、四神の中心的役割だから、神になったばかりの木櫟が敬語になるのは解らなくは無い。
金樺は師匠だから言葉使いに気を使うのは仕方ない事だが、「仲間」という関係上、水杵は木櫟に極端な敬語を使われるのを怪訝した。
「まあ、仕方ないか…。水杵も解っていると思うし」
土紬は苦笑いをもらして木櫟の頭をたたいた。
□□□□
穏やかな清流の川の淵、円形の水溜池の中心に聳える水龍邸。
水神の水杵の住処兼、道場である。
「何処に行った火遁!」
「水杵、どうした?」
池に生える蓮の葉の上、金神の金樺が胡坐をかいている。
「金華、火遁をみなかったか?」
右前だけ長い金樺の首が横に振れる。
「いいや」
金樺と水杵は現在四神となっている四人の中で、早くに神についた存在である。
互いに師弟をとっているのもあってか、神になる以前から何かと話すことも多く、今では腹を割った親友だ。
余り考えを口にする事の無い金樺は、その分、考えをしっかりまとめてから、水杵に話すことが多いが、水杵は逆に思ったことをすぐに口にした。
本来であれば、一番に神になった者が主導権を握る事が多いのだが、金樺はあえて1年後に神になる水杵にまとめ役を譲った。
自分の考えは口にする時点では計算した確かな答えだが、その前に他の情報が入ると、また考えを練る必要があった。だから、先に互いの考えを出し合ってもらい、それを全部まとめて処理するのが金樺にとって都合が良かった。
「また、修行を逃げ出したのか?」
「ああ。成人の儀まであと2年しかないと言うのに。術をまともにコントロールしようとしない。
最近では炎遁様のいう事も聞かないらしい、困ったものだ」
「我々の中では火遁の術が最も戦闘に有している。五神が揃っても、あいつに疎通の無い状態においては、不利としか言い様が無いのにな」
水杵は広間の椅子をひいて、金樺に手招きをする。
金樺は、軽く頷くと、耳元の金の耳かざりがこすれ、チリンッとなり軽やかに蓮の葉に跳ね、椅子に腰を下ろした。
「師匠のお前がいう事を聞かせられないのでは、あのじゃじゃ馬、どう処理する?」
「…火遁は神と言う立場を良くは思っていない。母君を失ったのも、神の力の所為だからな。
だが、その心の中に私は入る事が許されない。火遁はその隙間に他人が入る事を拒絶する。実の父親でさえも、入る事が出来ない」
「火遁の母君がなくなってもう六年だ。幼少期なら話は別だが、いい加減に受け止め、前を見ることも必要だろう?」
水杵は茶を入れた湯飲みを金樺の前に滑らせ、小さくため息をついた。
「母君が無くなった原因が、自らの神と言う力だというのであれば、その力を自分に入れることが恐ろしいのかもしれない。それさえなければ、母親がいなくなる事はなかった」
「陰国も残忍な事をする…。よりよって、もっとも歳の低い、火遁を狙うとはな」
「それが作戦だ。成人の儀を1人でも損じれば、五神は整形されないのだからな。木櫟にはお前がいたし、土紬には風啼様がいた。俺がついていながら…」
「止せ。お前を責めているわけではない。俺もお前の状況になれば、俺、あるいは木櫟の…」
金樺は不意に感じた気配に口を止めた。
通路の向こうに、土紬と木櫟の姿が見えたからだ。
「お師匠~!」
「木櫟、それに土紬も、どうした」
勢い良くかけよってきた木櫟を抱きとめ、金樺は木櫟の頭を軽く撫でる。
師弟とはいっても、木櫟は金樺にとって弟のような存在だ。
まだ乳飲み子だった頃から、金樺は体の弱い木櫟の母親を手伝うように、木櫟の世話をしてきた。
水杵は、静かに立ち上がり、向かいと脇の椅子を引いて手を招く。
「丁度良かった。この後、金樺の所に行こうと思ってたから」
「風啼様から通達か?」
「うん。水杵、これ預かってきたよ」
土紬が出した書簡をうけとり、封を解く。
腰を下ろした土紬に、金樺は首をひねる。
「お前は何も聞いていないのか?」
「火遁の事だとは言ってたけど、中身については何も」
「水杵、手紙には何と?」
水杵は手紙を机の上に広げて、腰を下ろした。
「子ノ国がようやく同意をしてくれたらしい。天照様が旅に出てもう二カ月。移動時間を考えても、天照様の判断は正しかった。しかし…」
「しかし?」
水杵は手紙の中の一文を指差す。
「子ノ国の様に2月で同意をするケースは珍しい。出来るだけ早く、火遁を神の受入態勢にと」
「…天照様も難儀してるってわけか」
金樺が困ったように額に手を当てる。
土紬が口元に手を当て、眉をひそめた。
「火遁がアレじゃあ、十二国土も安心しちゃいられないね」
「どうする、水杵?」
「どうするも何も、今まで出来なかったものが今日になってすぐに出来るわけじゃないだろう?」
「で、その渦中の主人公は何処にいるんですか?」
木櫟の言葉に、水杵は弱く首を横に振った。
「それが解れば、ここで悠長に茶を飲んではいないよ、木櫟」
「あ、そうか」
土紬があきれ気味に笑いを漏らして、水杵を見る。
「手分けして探そうか?」
「そうだな。私は火凰邸を見てこよう。家に帰っているかもしれない」
「じゃあ、俺は裏山だな」
金樺が茶を飲み干して立ち上がる。
「それじゃ、僕らは平野州源を」
「ああ」
□□□□
水龍邸から南に、土紬の土輝邸を通り過ぎた山の麓にある火凰邸。
現在の火神である炎遁、そして時期、火神になる火遁の住処である。
代々、それぞれの邸宅は新しい神が生まれたとき、神の所有物となり、前代である家族は隠居用の邸宅に移る事になる。
高い屋根の四端には、雨風にすら消される事無い「火」の灯った宝玉が飾られていた。
火神の能力で生み出された火は、同じ神である水神、そして、天照の俗神である風神の能力でしか消す事が出来ないといわれている。
そんな炎の間から、屋根の上に寝そべっている1人の少年の姿が見えた。
時期、火神になる火遁だ。
赤からオレンジのカラフルな髪の毛は多少治癒があり、まっすぐに伸ばせば身長をこえそうだ。
15歳の時に水杵の元に弟子入りして、今年で3年目の18歳を迎えた。
周りが騒いでいる「成人の儀」に向けて、そろそろ準備の為、能力を操る事を覚えなくてはならない時期だが、火遁は成人の儀を快く思ってはいない。
もちろん、それを行わない事が何を意味しているのはわかっている。
火神に他に子供はおらず、自分以外が火神になるしかない事もわかっている。
しかし、火遁にはどうしてもそれを受け入れる事が出来なかった。
「火遁。おい、火遁。上にいるだろう、降りて来い」
下のほうから声が聞こえてくる。
気だるそうに体を起こし、火遁は下を覗き込んだ。
玄関先にいるのは父親の炎遁と水杵だ。
「火遁、そうやって逃げていては何にもならない。お前だってわかっているだろう?」
「あんたと話す事なんかなんも無い。帰れ」
「火遁。師匠に向かってなんという口を」
炎遁の言葉に、水杵は眉を潜めた。
火遁が水杵に師弟らしい言葉遣いをした事は1度も無かった。
始めのうちは子供らしいと思っていた程度だったが、3年も付き合っていて、それが治らないのは聊か、精神面に問題が見える。
「火遁、降りてきてくれ。少し話をしよう」
「嫌だね」
水杵は弱くため息をついて炎遁へ目線を変えた。
「…炎遁様、少し水をお借りできませんか」
「水?」
「少し、目を覚まさせてやろうと思います」
「ああ。少し待っていてくれ」
程なくして、1人の女人が瓶を運んできた。
水杵は軽く頭を下げて、瓶を地面に置くと、指先を静かに水面に浸した。
「…水動、粒子よ、上へ」
水面が静かに揺れ、細かい水の粒が浮き上がる。
水の粒は勢い良く上空へ舞い上がり、火遁の上でぴたりととまる。
「!!」
「水静」
一瞬の間をおいて、水の粒は制御した力を失い、多量の水の塊として火遁の体に落ちた。
「うわぁぁっ!!」
「少しは頭が冷えただろう、火遁」
「ペッペッ!…何しやがんだ!」
火遁が握った拳から炎が上がり、細かい粒になって水杵に向かって突進してくる。
「水動、粒子よ、盾に」
瞬時に水の粒が一枚の大きな板の様に広がり、火の粒を打ち消した。
「水動、凝固なりて、呼吸をさえぎれ」
板になった水の粒が1つの大きな塊になり、火遁の顔を包み込む。
「…!!」
呼吸が出来ず、火遁はその場でもがきながら、屋根を転がり、端から下に落ちる。
地面に落ちる直前、一枚の巨大な木の葉が火遁の下に滑り込んできた。
それと同時に、土が少し盛り上がって火遁の体をクッションのように受け止める。
「水杵、やりすぎ」
「火遁しんじゃいますよ、水杵様」
「土紬、木櫟」
屋根の上から金樺が顔を出して、苦笑いを浮かべている。
「少しはセーブしろ、水杵。いくら今の火遁の力が炎遁様より強いとはいえ、火遁は能力を操る術を知らない。実際の力で言えば子供なんだからな」
水杵ははっとして炎遁に頭を下げた。
たしかに、今の火遁は今の火神である炎遁よりは上だ。
そして、何れ火神の力は、五神の中で最も強いものとなる。
もう何十年と火神を勤めてきた炎遁の方が経験から判断力は上だが、神の交代を行う事、すなわち、現行の神が戦闘における能力が衰えた時になる。
火遁にはまだ能力の出し方、制御の方法を教えたわけではない。
通常の状態で、持っている力の十分の一も出せれば良いほうだった。
「申し訳ありません」
「いや、この位がいい灸据えになろう。金樺、悪いが火遁を家の中に運んでくれ。お前らが揃って着たという事は、問題は火遁だろう?」
「は、はい」
□□□□
広間の中、案内された椅子には座らず、水杵は火遁の部屋に向かった。
金樺は少し苦笑いをもらして、目で炎遁に合図を送る。
二席づつ、六つ並べられた椅子に土紬と木櫟が隣り合わせに席に着き、横の1つに金樺が腰掛け、その向かいに炎遁が腰を下ろした。
「炎遁様、火遁は成人の儀を無事に迎える事が出来るでしょうか?」
少し不安げな土紬の言葉に、炎遁は少し眉をしかめた。
「…あいつの中にある母親の影が消えなければ、無理かもしれない」
「ねえ、金樺様。皆が言う、火遁の「母君」の件って一体なんなんですか?」
「…木櫟には話してなかったか?」
「私もその件は詳しく存じません。火遁の母親が陰国のせいで亡くなったとは聞いていますが、詳しい事は風啼様が口を閉ざすもので」
金樺は炎遁の顔色を少し見て、一呼吸置いてから、口を開いた。
火遁が水杵に弟子入りしてから1年。
自己流ながらも、火遁は自分の出せる位の術を操れるようになっていた。
中庭に置かれた藁の人形を相手に、技を磨く火遁を横目に、水杵は金樺、そして炎遁と机を囲んでいる。
「では、陰国は私を狙うと?」
「金樺が主格をお前に譲るという宣言は、金樺が神になる前にした事。本来なら最初の神が主格になる。まだ五神の繋がりが薄い時、陰国は固体を狙う可能性がある。
しかし、主格がお前に譲られた事で、陰国は目的をお前に変えたと見るのが妥当であろう。現に、金樺が成人の儀を向かえ、来月にはお前も成人の儀を迎えるのに、陰国は動きを見せていない。つまり、金樺を狙っているわけではない。という事になる」
陰国は毎回の様に五神の引継ぎ時期に、攻撃をしてくる。
それは次の神になる5人も解っていることだ。
ただ、陰国の人間は陽国には自由に出入りできないため、次の神の顔を知らなかった。
そして、陽国の結束と秘密体勢は、十二国土を始め、絶対だった。
次の神の顔を知るのは、成人の儀の直後からになる。
「十二国土を始め、国の守護体制は完璧と言える。しかし、進入が許されてしまった代もあるからな。
金樺と水杵の結束があれば、そう容易く負けるというわけにはいかないだろうが、用心するに越した事は無い」
「陰国は汚い手を使うのは得意分野だからな」
「そうだな」
水杵は中庭の中心で大の字になって寝転がっている火遁の横まで歩いていくと、額を軽く弾く。
「いてっ!!」
「まだ休むには早いぞ、火遁」
「だったら早く次の技教えてくれよ、水杵」
「師匠を呼び捨てにするとは何事だ。まだ1つの技も習得し切れていないくせに、生意気な口を利くんじゃない」
そんな2人の様子を見ながら、金樺は笑みを漏らした。
「来月に水杵、二年後には風啼様の土紬、その次の歳には私の木櫟。火遁が神になる頃には、最高の五神となるでしょうね。今期は」
「ああ。火遁は私以上の力を持つ。お前らが五神の間は陽国も安泰だ」
「炎遁様の代も、十分に安泰でしたよ。だから我々は安心して修行する事が出来た」
ふいに金樺は辺りに漂った淀みに顔を上げた。
静かに手元に持った金縁のカップの淵に指を当てる。
「…金動。粒砕、影を…」
中庭に灯っていた松明がふっとその光りを消した。
「水杵っ!!」
「え?」
「金動、影を打破せよ!」
金樺の指先から細かい金の粒が火遁と火遁の回りを漂っていた薄い影を貫いた。
「!!…なっ」
金樺は机の上に置かれていた花瓶を持つと、勢い良く水杵に投げる。
「陰国だ!火遁をこっちによこせっ」
「あっああっ」
右手で花瓶を受け取り、左手で火遁の襟首を掴むと全力を込めて炎遁の方に投げ上げる。
当時”子供”である火遁を片手で投げるには術で容易だった。
「うわぁぁぁっ!!」
金樺が火遁を受けると、
「水動、粒子よ盾に」
細かい水の粒が当たり一面に広がり、水杵の横に金樺が立つ。
「ひぃ、ふぅ、みぃ。3体。雑魚と言うところを見ると、偵察といったところか」
「この程度の魔物で、我々の力試しという事か。舐められたな、五神は。粒子、敵を溺死させろ」
水の粒が辺りを漂っていた影を包むと、影は見る見るうちに小さくなり、姿を完全に消し去った。
「水静。戻れ」
花瓶の中に水の塊が戻ると、金樺は辺りに気配が無いことを確かめてから後頭部をかいた。
「…妙だな」
「ん?」
「偵察にしちゃ少なすぎないか?それに気配を消さずに姿を現したというのも、陰国にしては手が温い」
「…まさか、囮…?」
瞬間、屋敷の中に女の悲鳴が響き渡った。
「あの声は」
「…母上…」
その場にいた誰よりも早く、駆け出したのは火遁だった。
「火遁!」
台所で悲鳴を上げたのは、火遁の母親で、炎遁の妻、明雀だ。
その周りには、中庭にいた黒い影が4つふよふよと漂っている。
「母上っ」
台所に駆け込んだ火遁は、脇で燃えていた松明に指を近づける。
「火動、炎、影を包め」
松明から一本の線が延び、影を包む。
「火遁!駄目だ!術を出すな!」
水杵の声は一足遅かった。
影が炎に包まれ、灰になる。
「火神の息子…見つけた」
「…なっ…」
影のひとつが灰の中で声をあげた。
「水動!粒子、溺死させよ!」
水杵の水の粒が届くには1歩遅かった。
床に落ちた灰が舞い上がり、巨大な闇のように辺りに広がると、耳を劈くような唸りを上げ、火遁に襲い掛かってくる。
「うわぁぁぁっ!!」
死を覚悟して目を閉じた。
陰国に自分の正体を知られる事は、神になる前の小さな器には大きすぎた。
そして、生ぬるく暖かい感触を感じた。
痛みは無い。これが死と言う感覚なのだろうか。
それが、自分の体から感じるものではない事に気がついたのは閉じた目を開いた瞬間だった。
「…!!あっ…あ…」
目の前にいるのは巨大な影の人間。
いや、それは。
「明雀!!」
「明雀様!」
3人が駆け込んできた時には、もう明雀の命は事切れていた。
体にまとわりついた灰がぱらぱらと床に落ちて、明雀の表情が見える。
静かな、寝顔のような安らかな顔のまま。
「…は…母上…?」
「大丈夫か、火遁?」
「母上が俺を…?」
水杵は火遁の体を力いっぱい抱きしめる。
国とっては、母親より、火遁の命の方が助かった事が有意義だった。
五神が消える事の無い安堵感もあった。
しかし、それは天秤にかけるには、あまりにも違いすぎる。
「火遁…」
「…母上が…俺を守るために…?」
炎遁に抱かれた母親の姿に、火遁は顔を歪め、力の抜けた両腕をだらりと床におとした。
「うわあああああああっ!!!」
水杵はこぼれ出そうになる涙を必死にこらえて火遁の体を抱き続けた。
炎遁が自分の師となり、厳しい修行をしている間、明雀はいつもやさしく微笑んで傷の手当をしたり、飯を出してくれた。
火遁が産まれた時、まだ八つだった自分が見ても本当に幸せそうな表情を浮かべていた明雀の、今までの思い出が走馬灯のように流れてくる。
明雀から火遁の弟子入りを頼まれた時、炎遁と合わせた今までの恩義を還す為に頑張ろうと心に決めた。
まだ、一握りも還せていないと言うのに。
「明雀様…」
泣き叫びたかった。
でもそれは許されなかった。
火遁の師の命を受けた時から、毅然と立ち振る舞い、弟子に涙を見せてはいけない。
そう炎遁に言われていたから。
金樺は顔をしかめ、明雀の体についた灰を丁寧に払い落とす。
「…明雀様、貴方様の最後、ご立派でございました。この金樺、貴方様のご意思、尊徳して五星真鍮の精とし、餞の言葉の代わりとさせていただきます」
炎遁は黙ったまま、妻の亡骸を抱いている。
最初から解っていたのかもしれない。
神家と言う立場が、家族に常に危険をもたらすと言う事を。
ただ、今まで愛した相手の温もりが完全に消え去ってしまうまで、炎遁は黙ってその体を抱き続けていた。
炎遁もまた、弟子に涙を見せる事はしなかった。
土紬がひそめていた眉間に更にしわを寄せた。
「それじゃあ、火遁は自分の力を陰国にばらしてしまった事によって、母上を失ったのですか?」
「そういう事だな。俺もそうだが、水杵が受けたショックは、火遁と同じ…いや、それ以上のショックを受けたのかもしれない。明雀様は15歳の時から火凰邸に入り、修行してきた水杵にとって、第二の母の様なものだからな」
「水杵と火遁は母親を失った…」
金樺が炎遁をちらりとみて、目線を下に下げた。
炎遁は、表情を動かさなかった。
いくら他人に見せていないとはいっても、明雀を失った悲しみが乾ききるにはまだ日が浅い。
それは、水杵にとっても同じ事だろう。
「ちょっと水杵の様子を見てくる」
「うん…」
金樺が部屋からみえなくなると、土紬は木櫟の方を見てため息をつく。
ふいに木櫟が口を開いた。
「炎遁様、火遁が火神の子だとわかって、陰国はそれから何も仕掛けてこないんですか?」
「ああ。陰国はこの件に関して、火遁の精神が持たないと判断したのだろう」
「火神になる事を拒否すると…?」
「現に、火遁は神になる事を理解していながら、神の座に着く事を躊躇っている。あいつが神の座を拒否すれば、陰国の思う壺だ。
陰国は水杵を狙っていたわけではない。最初から一番歳のいっていない者を探ってたんだ」
「でも、それならば、何故火遁を見たとき、一番歳が下だとわかったのですか?」
「火遁が歳が下だと理解したわけではないだろう。しかし、当時の火遁を見たとき、母親に情を持つ歳だと判断はついたはずだ。金樺や水杵は情があったとしても、歳からすれば、それほど引きづる事はないだろうからな。
そして、私の子だという事が最大の決定打だろう」
木櫟が首をひねり、土紬に目線をやる。
「…炎遁様が1人の愛に純すると、知っていながら…というわけですか」
「ああ。私は明雀以外の女を妻にする事は無い。火神は火遁以外に産まれない」
「…なんという事だ。陰国はどこまで腐っている」
土紬は拳を握りこみ、表情を曇らせる。
「炎遁様、火遁は何としてでも火神にしなければなりません」
「土紬?」
「陰国の思うままにしてはなりません。これ以上…悲しい思いをする者を生み出さない為にも」
布団の上で目を閉じている火遁には、明雀の面影が見える。
火遁は根は優しく、明雀の血が流れている事を確認出来るような場面も多く見られた。
「水杵」
「…金樺」
水杵の脇の椅子に腰を下ろして、金樺は眠っている火遁の顔を眺める。
「いつの間にか、明雀様の面影がだいぶ強くなったな」
「ああ。炎遁様の強さ、そして、明雀様のやさしさ。火遁は2人の血が流れているんだな」
「…水杵。お前からも、あの悲しみは消えないのだろう?」
「……」
金樺は水杵の頭を軽く叩き、笑みを浮かべる。
「火遁に受け入れろというのは、お前には重荷だろうな。お前自身、受入切れていないのだから」
「…しかし、私は火遁の師匠だ…。師匠でありながら、私は…火遁に何もしてやれない。今もあの時も…」
あの時、自分の術がもう少し早ければ。
もう少し、力があったのならば。
「時には涙も必要だよ、水杵」
「…涙?」
「悲しみは時として力になりうる時もある。持ち得ない力を与えてくれる時もある。
水杵、お前はお前だ。炎遁様とは経験も器も違うんだよ。お前の力を超えてまで気取る必要は無い。お前にかなわぬ事もあるだろう。師として、弟子に涙を教える事も…必要だと思うぞ」
「…金樺」
「俺はお前が感じている悲しみは解らないし、お前も俺がどんな感じ方をしているかは理解しきれないだろ?
それは互いに気持ちを言わないからだ。教えあえば、解らないなんて事は無い。一緒だよ、お前と火遁も。まだ、互いに知らない事が多すぎるだけだ」
ゆっくりこぼれてきた涙は、頬を伝って手の甲に落ちた。
「…私は…私は、明雀様に何一つ…恩を返せなった。大切な人なのに、守れもしなかった。私は明雀様に何をしてやれた?」
「…まだ、返せる事はあるよ、水杵。
火遁がいるじゃないか。明雀様の血の流れる、火遁が。明雀様はお前に託したのだろう、火遁を。守れ、育てろと」
「火遁を…」
金樺は水杵の肩に手を置き、目を閉じた。
「まだ、明雀様への恩返しは続いているよ」
水杵は震える声を押し込め、ゆっくり火遁の手を握り締めた。
あの日、涙を堪えたまま抱いた様に。
ぽつぽつと流れ落ちる雫がぼやけた視界に滲む。
□□□□
真っ黒な夜空。
水杵は水龍邸の中に潜む湖の真ん中に葉の船を浮かべて、水面を静かに撫でた。
「話ってなんだ、水杵」
「来たか、火遁」
柱に背をもたれて、火遁がそんな水杵を見つめている。
「そんな所に突っ立っていないで、こっちへ来い」
「こっちへ来いって…湖のど真ん中にどうやって行けっていうんだよ」
水杵は静かに手を横に動かし、横にあった蓮の葉を火遁の前まで促した。
「乗れ。沈む事は無い」
「……」
ゆっくり足を乗せると、蓮の葉は少し沈んだが、水の上にしっかりと浮いていた。
両足を乗せると蓮の葉はゆるりと流れ始める。
「なんだよ、話って」
「…火遁、お前は、母上をどう思っている?」
「え?」
水杵の唐突な質問に、火遁は眉をしかめた。
「…母上はもうこの世にはいない」
「そうじゃない。お前の中にどういるかを聞いているんだ」
「俺の中に?」
水杵は水面から指先を離し、空中に指を伸ばした。
掌から落ちる水の粒が一瞬、時を止めたように見えた。
次の瞬間、水の粒は更に細かい粒子になり、辺り一面に広がった。
それは水杵の「水の盾」にも似ていたが、水杵は術を口にしていない。
止っていた時が解れ、水の粒は再び湖面を弾く。
その後、目の前に広がったのは小さな虹色の板。
「…これは…」
「戦闘には使えない術だよ」
「え?」
「私達、神家の者は神の血を受け継ぐと共に「術」を使える。そして、神の妻、つまりは母親によって、使える術がある事をお前は知っているか?」
火遁は首を弱く横に振った。
「神の力は攻の力、そして、母の力は癒し、そして守の力。私の母の力は、こうして虹を作る、癒しの力だ」
その言葉に、火遁は黙ったまま、水杵を見つめた。
「この力は、五神にとって不必要な力かもしれないな」
「…なあ、水杵…」
「ん?」
「俺の、俺の…母上の力は?」
水杵は、火遁の顔を見て、少し笑みを漏らした。
「火子を出せるな?火遁」
「え?ああ」
火遁は両手を合わせて、掌の中に小さな炎を出した。
火子は一定時間しか出せない、道しるべの為の弱い火だ。
「母上の顔を思い出してごらん。そして…お前の一番好きな母上の顔を思い浮かべるんだ」
「…一番好きな」
火遁は目を閉じて、僅かながらの記憶をめぐった。
明雀はいつも笑っていた。
炎遁と喧嘩をした事も無い。
いつも柔らかい笑みを浮かべていた。
「…母上」
ふいに、全身に暖かさを感じて、火遁は目を開ける。
「…あ」
辺り一面に舞ったオレンジ色の粒。蛍が舞っているかのような、幻想的な景色だった。
良く見ればそれは小さな炎の粒だ。
「…綺麗だな。これが、お前の…明雀様の力。蛍火」
「蛍火…」
「明雀様の肉体は確かにもう存在してはいない。しかし…お前の中にちゃんと存在しているよ、火遁」
「母上が、俺の中に?」
水杵は火遁の頬を軽く撫で、優しく抱き込む。
「ちょっ…水杵っ」
「俺が守りたかったもの、そして、守ればならないもの。それは明雀様、そして…お前だ」
火遁は水杵の言葉に声を詰まらせた。
「守らせてくれ、火遁。私が守らねばならないものを…もう、涙を見る事はしたくない」
「……」
火遁は口を閉じて、水杵の腕を掴んだ。
「…師匠」
その言葉に、水杵が驚いたように顔を上げる。
「…火遁?」
「俺に、術を教えてください、師匠」
「……ああ。手は抜かないぞ、火遁」
水杵は微笑んで、もう一度、火遁の体を抱きこんだ。
「もう、誰も悲しませない…」
□□□□
「土紬、悪いが、風啼様にこれを」
そういって水杵が差し出してきた書簡に、土紬は首をかしげた。
「何だ?」
「十二国土と天照様に通達を願いたい。火遁が成人の儀の準備を始めるとな」
「え…?」
「火遁が、火神になる決意をしたんですか、水杵様」
「ああ。五神は陰国等に負けない。歴代最強の五神になる」
土紬と木櫟は顔を見合わせた。
「それじゃあ、火遁はお前の気持ちをわかってくれた訳だ」
「そうだな。俺の事を初めて師匠と呼んでくれた」
「めでたい事だな…なあ、水杵」
「ん?」
「なんか、焦げ臭くないか?」
金樺の言葉に水杵が鼻を動かす。
「…まさか」
水杵が慌てて駆け出した後を、金樺が慌てて追いかける。
中庭におかれた藁人形が勢い良く煙を上げていた。
「火遁!」
「わりぃ、お師匠!」
「わりぃ。じゃない!!お前は私を宿無しにする気か!」
「水杵、そんな事より消化が先だろ」
「あっ…水動!炎を消し去れっ」
水浸しになった中庭には火遁の姿は無かった。
「…本当にもぉ…」
「あいつを手懐けるには、まだ時間がかかりそうだな、水杵」
「まったたくだ。手間のかかる弟子だよ」
水杵と金樺は顔を見合わせて笑いを漏らした。
□□□□
「火遁が成人の儀を向かえる気になったか」
「はい、ですが…」
顔を曇らせた土紬に、風啼も眉をしかめた。
「どうした?」
「…陰国が動く事はありませんでしょうか?今回の件、陰国にとっては作戦の失敗になる事に」
「ありうるな。天照様の旅路も多少は早く済む事になるだろう、策を立てないといけない様だ」
土紬を帰し、風啼は筆をとる。
「…悪い方向に進まねば良いがな…」