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津軽藩起始 油川編 (1581-1585)  作者: かんから
第九章 浄満寺戦争 天正十三年(1585)三月二日午後より
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再会 第二話

 明行寺(みょうこうじ)の門前で僧侶らと押し問答している者らと、北隣の浄満寺(じょうまんじ)より柵越しに “モロモロ” と一斉に唱えて心を脅かす者ら。彼ら町衆の威勢はよく、続々と人が集まってくる。特に浄満寺にはかつて油川城で奥瀬(おくせ)善九郎(ぜんくろう)に仕えていた郎党らが集結し、その数は五百に膨れ上がってしまった。いくら城主の奥瀬氏に戦う気がなかったとて、彼らは戦いたかったのだ。一泡浴びせたかったのだ。その舞台を失い……油川城は引き渡されてしまったが、ここでなら戦える。不満ある町衆も味方だし、いくら為信でも町衆を敵に回せば油川を治めることはできまいて……。



 ……明行寺の求めに応じて(ひつじ)の刻ほどか、油川城に詰める大浦軍三千兵を割いて兼平(かねひら)綱則(つなのり)率いる五百が寺に入った。門前で僧侶らと喧嘩していた町衆は、蜘蛛の子を散らすようにして逃げる。ただしその中の幾人かはそのまま隣の浄満寺へ駆け込み、さらに寺に立てこもる人数は増した。しかも浄満寺にはすでに町衆らが武器や食料やら、油川を戦いで取り戻すためとばかりに無償で持ち込んでおり、派手に事を起こす気で満々だった。



 寺の屋根に座る武士は十人ほどに増え、南隣の明行寺へ火縄を向けていつでも放てるように備えている。ただし向こう側に大浦軍が入ってしまったので、もし撃ってしまえば……それは戦闘開始を意味する。それはすなわちで “死” を意味するのであるが、理性が保てるのであれば、寺に立て籠もるなどするはずがない。これまで善政を敷いてきた奥瀬氏への恩情、謀略によって彼を追い出した為信への恨みと憎しみ。町衆の己らが持つ力への自信。行動することの勇気。この場合は勇み足かもしれぬが、感情のまま動いているので、理性など働いていない。それでも若干の思考能力は失われていないと見えて、わざと力を向ける矛先を大浦軍の入った油川城とはせず明行寺としたのは、とてつもなく滑稽(こっけい)な話。結局はなんらかの問題となる行動を起こせば、どこであれ大浦兵がやってくるのは当然なこと。対決するタイミングが若干早いか遅いかの違いでしかない……。


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